人生って、伏線張るか、回収するかのどっちかじゃないですか
"気付き"ってなまもので
その瞬間に、勢いそのままに吐き出す(かたちにする)までを行わないと
すぐに腐っちゃう気がする。
おそらく、noteのような
こういった媒体で発信した経験のある人であれば
なんとなくにでも共感してくれるのではないだろうか
ここ数ヶ月の間でも
結構良さげなアウトプットが期待できて、纏めを試みていても
一晩寝かせただけで 一気に冷める冷める
なんてことが数えられないほどある。
熱のこもらないアウトプットなんて
"自分"である必要性を感じられない。
私は、私であることを常に感じていたい。
"伏線"という視点が、長期性を創り出す
この社会では、
何かをしていても、していなくても
周囲が勝手に評価してくることが多いじゃないですか。
で、社会の物差しで
あるいは、その人の物差しで
勝手に測ってくれるときって
こちら側の物差しについては基本的に正しい理解がないと思うんです。
それって
ある人が、公園でバッティングをしていたときに
となりで見ていた1人のおじさんがいきなり
「もっと腰を落としてバットを振った方がいい」
また別のおじさんが
「そもそも左打ちの方がいいんじゃないか」
また別のおじさんが
「身長小さいから別のスポーツにした方がいい」
って言ってくるようなもんだと思うんです。
(勝手に悪者っぽくして、おじさんたちごめんなさい)
メジャーリーグを目指しているのか
ホームランバッターになりたいのか
遊びの野球で1回でいいからヒットを打ちたいのか
ただの息抜きなのか
当人がどんな目的でいまバッティングをしているかなんて知ろうとしないのに。
伝えたかったのは
外部からの意見なんて無視しろ
ってことではなくて
こういう状態って、日常に溢れているし
ある種、自然の摂理だと思う。
個人的に、
こういった局面で 一番避けたいのが
当人が"エネルギーを失うこと"
だと思うんです。
あくまで私の感覚でしかないですが、
外部からの、一時的で 暫定的な評価に影響されて
エネルギーそのものを失っているケースは静かに多発してるんじゃないかと。
これは非常にもったいないことだと思います。
当人にとって、良い方向に進むために
外部の声を聞くことは、一定重要な要素ではありますが、
全ての声を聞くのは現実的ではないし、あまり適切でないことは分かると思います。
最も大切なのは、エネルギーを失わないこと。
そのために、"伏線"の感覚は
そこそこ使えるんじゃないかなーと
基本的に、外部の声は
分かりやすく"伏線が回収されたとき"に
プラスな評価をしてくる傾向にある。
回収されていないときには
やんややんや言ってくるんです。
つまり、毎回毎回
となりのおじさんの声を拾い、修正し、褒められているようでは
伏線を張りに張った超大作は創り上げることができない。
伏線張っているときは
周囲には分からないんです。
分からないから"伏線"なんです。
だから、
自分の信じた道であれば
周囲がやんややんや言ってきても
いま、伏線張ってんねん!黙っとけ!!
っていう心構えがあると
ほんの少しは生きやすくなるんじゃないかなーって
こうして、無力な私は伏線張っている風にして
周囲からやんややんや言われないようにしています☺️
(どんどん孤立に向かってるだけかも?((((;゚Д゚)))))))ガクブル)