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レモンティーと夏の夜【ウィーン留学記】


はじめに

夏は嫌いだが、夏の夜は好きだ。今、ウィーンは夜8時ごろにやっと西日が差してくるほど昼が長い。太陽が沈み、あたりが薄暗くなってくると、気持ちが落ち着いてくる。

今回は、ある夏の夜に飲んだレモンティーの味について。

Sommerfest

6月いっぱいでサマーセメスターが終了。いよいよサマーブレイクという名の自分の研究を進めなければならない期間に突入した。

そして6月末、セメスターの終わりのタイミングで、パーティーが開催された。学科に所属する学生や教員をはじめ、研究領域を同じくするウィーンの研究者も多く集まった。日本で言うところの、打ち上げである。

パーティーは一部の学生さんたち主導のものらしく、ミニコンサートや自主製作映画(!?)の上映が行われた。学生さんや先生たちも集い、大盛り上がり。自由でオープンな雰囲気もふくめ、とても楽しかった。

(自主製作映画は、これ日本の大学でやったら教務課に怒られるんじゃないか、という際どいシーンもあったのだが、みんなゲラゲラ笑っていた。)

その後、キャンパス内のテラスに移動して、いよいよサマーパーティーが始まった。わたしが大学をはじめて訪れたとき、スタッフの方が校舎を案内してくれたのだが、図書館や教室よりも、いちばん熱心に説明されたのがテラスの存在だった。夏は最高なんだよ!と言われた意味が、このときやっと理解できた。

パーティーにはケータリングという感じで、スナックやらケーキやらフルーツがテーブルにもりもり。ナイフでゴリゴリしないと切れないような固いパンが、ボンボンとボードの上にほっぽり出されていたり。とにかく「ご自由に」という感じ。

わたしもワインを飲みつつ、友人や、テラスに集った人たちとおしゃべり。ゆったり酔いたいところだが、気を抜くと聞き逃して会話についていけなくなる。耳をそばだてつつ、頭はフル回転。ガヤガヤと騒がしい場所で英語を聞き取るのが、めちゃくちゃ難しい。

おしゃべりとは言いつつ、4月に来たばっかりのわたしは初対面の人が多い。名前は?何を研究しているの?日本のどこ出身なの?という質問に、ひたすら答える。わたしは大阪出身なのだが、Osakaはよく知られた地名であるらしく、大阪知ってるで!という感じで盛り上がってもらえる。

レモンティー

追加でスナックを取りに行こうと、テラスからケータリングコーナーに戻ってくると、机の上に大きな赤い鍋が出現していた。給食のカレーが煮られていた鍋を思い出すサイズ。のぞきこむと、レモンティーだった。

ときどき、スケジュール帳に日記のようなメモを書き付けているが、そのサマーパーティーの日にわたしはレモンティーのことを書いていた。

サマーセメスターの終わり。サマーパーティー。でっかい鍋で煮られたレモンティー。輪切りのレモンとティーバッグがいっぱい。夜風にあたりながらゴクゴク。さっぱり。おいしい。

26 June 2024

あの夜のわたしには、よっぽどレモンティーが染みたらしい。

4月に来たときから比べると、けっこう会話ができるようになったなと思う反面、まだまだ何度も聞き返してしまったり、言いたいことが言えなかったり。ただ、聞き取れなかったときや、切り返せないときの対処法はそこそこ身についてきた感じがしている。

というより、吹っ切れた感じだろうか。聞き返すことも、質問に合ってない答えを言ってしまうことも、それもまたコミュニケーションで。何も言葉が浮かばないときは、身振りで何とかする。意外と伝わる。(なんなら、ちゃんと文章で話したときより伝わってるかもしれない。)相手に伝えたいという気持ちが、いちばん大事なのだろうな、と。

楽しいのだが、もちろん楽しいのだが、リラックスしておしゃべりを楽しむ日はまだ先のように感じる。楽しいのだが、めっちゃ疲れる

そんなわたしに、大きな鍋で煮られた黄金のレモンティーが、それはもうめちゃくちゃに染みたわけである。

レモンティーの「味」

お気に入りのポッドキャストの一つである「味な副音声」を聞いていると、「味の説明」というネタで人気の鈴木ジェロニモ氏がゲストで登場していた。ジェロニモ氏のことはまったく知らなかったのだが、今回もめちゃくちゃ面白い30分だった。

「味の説明」という奇妙なネタは、その名の通り味を説明するものなのだが、その説明がなんとも絶妙で笑えてしまう。「どういうことやねん」と「なんかわかる気がする」が混在した感じ。

炭酸の味について、次のような話があった。

ジェロニモ「なんかこうバス乗ってたときに、バス停にこう止まっ、バス停にこう止まるんすけど。ある止まったバス停が、ちょっと商店街みたいなところのバス停で、たまたまそっから見えたなんかカフェの、こう手書き看板みたいなのが見えたんすけど、夏の暑い時期で、『リンゴソーダ販売中です』みたいな。『リンゴソーダ、炭酸が入って爽やか』って書いてあったんすよ。で、そんときに、なんか、イヤ、炭酸爽やかって確かによく聞くけど、俺、自分で『炭酸が爽やか』に辿り着けてないな、みたいな。のを思ったりして。そう思った後に、なんか『炭酸水の味を説明する』って動画あげたりとか。なんかそういう、自分でここ、辿り着けてないな、っていうもの。まあ味の分野においてなんですけど。っていうのを自分で説明をしていくって中で自分で辿り着きたいな。みたいな」
平野「なんかそれって、豊かだなってのも思うんですよね。さっき言ったように。ただ、それと一方で、みんなで約束してたその『爽やか』みたいなのを、壊される怖さ、みたいな」

「味な副音声~voice of food~」(7 July 2024, 7:03-8:07)

世間一般で言われる「味」ではなく、「味」に自分で「辿り着く」。味に辿り着く、という感覚が新鮮。何か食べて、自分が感じたことや、こんな味がする、という説明をすることはある。だが、そこで自分が「味」に辿り着いたな、と感じたことはなかった。

このポッドキャストを聞いて、まず思い出したのはサマーパーティーでのレモンティーのことだった。わたしはきっとこれから、レモンティーを飲むたび、あの夏の夜という「味」に辿り着くだろう。何とか会話についていこうと奮闘する自分や、言いたいことが上手く言えずに歯がゆい思いをする自分を、レモンティーの「味」の中に見るのではないだろうか。

(アクエリアスが「甘い新幹線の味」は爆笑してしまった。どういうことやねん、と感じる反面、なんかちょっとわかる、となる感じ。)

おわりに

子どものころ、レモンティーの苦みがどうも好きになれなかった。まだそんなに得意ではないが、今では、その苦さに自分で辿り着いた「味」がある。味覚は変わる、というが、それは身体的な話ではなくて、辿り着き方が変わっただけなのかな。

最近、いろんなものを食べ、飲みながら、その「味」について考えている。食べものだけでなく、音やにおい、目にするもの、触れるものにも「味」がある。未知のものを自分の内に取り込む毎日だが、その都度しっかりと味わい、それらの「味」に辿り着きたいと思う。

ミュンヘンで飲んだレモンティー(22 July 2024)

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