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とおたん(お父さん)が子どもからもらったもの 4
さて、もちろんだが、公園以外にも遊ぶところはたくさんある。
公園だと雨が降ったら遊べない。
前日に雨が降ってしまうと遊べない。
といったようなことが起こる。
我が家では、水溜まりがあるときにあえて公園に行くこともある。
(ただし毎回ではない。なぜなら遊んだ後がとてつもなく大変だからだ。着替えにシャワーに、服の汚れ取り等)
そんな時は“長靴”の登場だ!
水溜まりの上を長靴でバシャバシャと歩く。
この感触がたまらないというようななんとも言えない表情を我が息子はする。
多分、きっと、いや、、確実に私が長靴を履いてそれをしても、100%楽しめるというか水溜りさんに楽しませてもらえる自身はある。
でも周りの目を気にしてきっとやらないのだと思う。
大人になるとはどういうことなのだろう。
楽しめることさえ、楽しめなくなってしまったような気がする。
「大人なのに」
という言葉が私たち大人に“制限”をかけている。
こんな言葉がある。
「社会に出て、仕事を子どもたちがしたいと思えない。夢がない。それは大人が悪い」
何を意味しているのか、そのままだ。
私たち大人が仕事から帰ってきて、開口一番こんなセリフを言う。
“今日も疲れたよ。今日もまた上司から怒られてさ。。。なんかもういやになるよね。”
それを聞く子どもはどう思うのか。
“仕事って大変なんだな。なんか楽しくなさそうだな。お金を稼ぐのっていやなことをしないといけないんだな。大人になるの嫌だな。”
と思うという話だ。
私はその通りだと思う。
大人であることの楽しみや楽しさを私たち自身が体験し、実行していないのだから。
さて、話がだいぶそれてしまった。
しかし、私自身、息子といる時間はなるべく息子の目線に立って、同じ遊びを楽しむことを心掛けている。
というより素直に“楽しい”と言っても過言ではない。
最近はお砂場遊びをともにするが、山を作ったり、穴を掘ったり、トンネルを作ったり、道を作って車を走らせたり。
シンプルな遊びの中に、2つのソウゾウ力(想像力・創造力)が鍛えられ、楽しさを提供
してくれる。
いつしか息子より夢中になって山を高くし、固くし。。それを見かねたのか飽きたのか、砂場を出ようとする息子。
“めっちゃいいところやのに。。。”
と思いつつも息子のいる方向に歩を進める。
気づくと遊んでいるのは自分なのだ。
でもそれで良い。
大切なことは共に遊び、笑い、学ぶこと。
そう、今日もとうたんは
シンプルに楽しむ
ということを子どもから学んでいるのだ。