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とおたん(お父さん)が子どもからもらったもの 12

「人見知り」


最近、出張で3週間ほど家を空けて、やっと家に帰ることができた。

その日寝る間近の息子を一目見ることができた。

私を覚えていたのか、忘れていたのか、思い出したのか。
そんなことは分からないが、
“おいで!”

というと笑って走りながら私のほうに来てくれる。


でもなんだかよくわかっていないような、見覚えのあるようなないような感じで見てくる。


どうするのかなと思ったら、おもちゃ箱の蓋を私に当てて“ポンッ”と言った。

わたしは大げさに“イテッ”と返した。

いつも二人で遊ぶときにそうしていたので、本人はとても喜こんで何度も繰り返しやってきた。


彼なりのお父さんの確認の仕方なのかなと思った。


言葉がうまく話せなくても、自分ができる限り

の方法でコミュニケーションを取ろうと努めて

いる姿はむしろ頼もしく感じる。



家では、ぎゃぁぎゃぁ叫び回っていますが、いざ外にでると急におとなしくなる息子。
息子らしいというかなんなのか。
お母さんが横にいないと取り乱してしまう姿を見ると、やっぱり“母の存在”というのは子どもにとって偉大なんだなと感じる。

もちろん、お父さんがメインで育てている家庭もあるかと思いますが、どちらにせよお父さん、お母さんの存在は子どもにとってなくてはならないもので、私たちの生活から彼らの基盤が築かれているのだなと思うと、私たちの発する言葉や行動はすごく大切だ。

“人見知り”もそのうち終わっていくものだとは思うが、私たちが周りの人と良い関係が築けているとそれを見て子どもも学ぶのだと思う。


でも子どもにとって人見知りも大切な一つの成長の過程なのだと思う。

周りの人をしっかりと見て、どのような対応をしていくべきかを瞬時に考えている証拠なのだなと感じる。

外に出れば外に出た時の対応をし、3週間いなかったらお父さんにはまず本当にお父さんなのかの確認を彼なりに行う。

そうしていろんな人を知っていくのだと思う。

でも私たちも同じことをしているのだと思う。


初めましての人と会うと、この人はどのような人なのかな。どのような話をするのかな。と考える。様子を見ながら話しを聞いたり、話しかけたりする。

それと同じなのかなとも感じる。

私も子どものようにもっともっとアンテナを張って行動していこう。

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