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ナウシカは実在した 疑うものは   リディア・ヴィトヤクの飛翔を見よ

ナウシカは実在した。疑うものは、リディア・ヴィトヤクの飛翔を見よ。

そして少女はドンバスの天空に消えナウシカの如く夭逝された。

芳紀二十一歳のソ連邦空軍上級中尉だった。

ブラノフ・ニキータによって書かれたこの記事は、
確かにロシアのプロパガンダを含むかもしれれない。
けれども、しかし、このモスクワ生まれのユダヤ人の少女が、
ドンバス/現ウクイライナ/の空を守ろうとして
天に召されたことを誰が否定できるだろうか。

朝日新聞のナウシカナ特集での、ベストセラー『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』などの著書がある現代史家の大木毅さんの発言によれば、勲が想定した
ナウシカの物語の戦術と戦闘のモデルは独ソ戦であった。

以下ブラノフ・ニキータの記事から引用する

リディア・リトヴァクの航空機技術者であった I. パスポートニコワ上級軍曹は、次のように回想しています。
「1941 年 10 月、私たちがエンゲルス近くの訓練基地でまだ訓練を行っていたとき、リリヤは活動を停止するよう命じられました。
彼女は冬用の制服を着ていて、フライト スーツのファッショナブルな襟を作るために毛皮のブーツの上部を切り落としているのを見ました。私たちの司令官マリナ・ラスコバがいつそれをしたのかと尋ねたところ、リリアは
「夜に...」
と答えました。

しかし、1942 年 8 月の最初の出撃で、彼女は新しいガールフレンドのカチャ ブダノワと一緒に、ユンカース Ju-88 敵爆撃機を撃墜しました。
若いパイロットが連隊で注目され、彼女の戦闘スコアは伸び始めました。
リディアが愛機に白い百合を描いてほしいと私 /I. パスポートニコワ/に頼んだのはこの時でした。
同時に、コールサイン「lily-44」が彼女に割り当てられました。
そして、「スターリングラードの白いユリ」が咲きました。

1943 年 8 月 1 日、ミウス川近くの前線で最も困難な戦闘が行われ、
ドイツ軍の防御が突破された場所で、兵士たちは航空支援を必要としていたため、邪悪な運命が彼女を襲いました。
リディアは 3 回の出撃を行い、
4 回目の出撃から飛行機は戻ってきませんでした。

引用終わり。

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