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2023夏環境系学生未来塾〜森羅万象の中でその断片の一部として生きる〜

「世界とのつながりを醸し出し 私と共に生きることを探求する 場づくり杜氏」のやっくんこと福元です。
屋久島を起点に「屋久島に暮らすあらゆる人が 「屋久島が大好き」と誇れるように、多様な主体がわたしでつながり
青い地球とともに、自由に生きていくことができる教育と経済をつくる」
をミッションにいろいろ活動をしています。
さて、屋久島で13回目となる環境系学生未来塾in屋久島を2023年8月29日〜9月1日に開催しました。
今回は「あることを受け入れる〜自分自身の問いと向き合うやくしまじかん〜」をテーマに13人の仲間と一緒に過ごしました。
いろんな背景があり、当日も準備もてんやわんやの未来塾。コントロールできない事態が多い中で、無茶をせず自然体でいれたことは大きな発見でした。(後ほど詳しく語るかも?)
焚人や事務局スタッフ、想いを語ってくださる大人の皆さん、家を5日間も開けてることに理解を示してくれている家族、繋がりの中で未来塾が支えられていることに改めて、ありがたさを感じたこと。そして、感謝の気持ちを忘れないよう改めて感じています。
未来塾を共に作ってくださったみなさん本当にありがとうございました!

そんな未来塾の様子はこちら


個人的な未来塾テーマ「人生を自分を解釈」

カメラを撮らせてもらっている瞬間は、世界を最大限に観察し解釈する瞬間かもしれない。

毎回未来塾のテーマ(問い)を決めながら未来塾に挑んでいて、今回のテーマは「人生を自分を解釈」。
ニーチェの言葉で
「事実というものは存在しない
 存在するのは解釈だけである。」
という言葉を未来塾直前に見つけ探求することに。
僕もその通りだと思っているけれど、なかなか実際は難しい。
この感覚をいかに自分に取り入れながら表現するか。
まだまだ道の途中で、知床未来塾まで引っ張り続ける内容になりました。苦笑
ニーチェの言葉は力強く、そのまま受け入れることも可能かもしれない。
だけれどもこの言葉も自分なりに解釈していく必要があると考えると。
まずは、事実というものは存在しない。本当にその通りなのか?
事実は存在する。現象として事象として。
ただ、そこには必ず人間の解釈が存在していて、解釈が存在することで初めて認知できるということが前提で大事なのではないかと思う。
もっと難しくいうと、人は必ず自分というフィルターを通して、世界を感じ、見ることで、実感することができる。
このフィルターがどんなフィルターなのかを考えること、理解しておくこと、フィルターを時には変えることもできるし、作られることもあるということを理解する必要があると僕は思っている。
解釈フィルターを別の言い方をすると認知バイアスとも言われるし、感情といわれることもある。
対話の効用ってたくさんあると思っているけれど、違いを感じることで自分の解釈の個性を感じることが一番の意味だと最近感じるようになりました。

知的謙遜〜常識や正解を疑うこと〜

自然の中に浸ると自分の出した答えなんてちっぽけで、もっと大事なものがあることを思い出させてくれる

最近好きになった言葉「知的謙遜」
知的謙遜とは
「”人(自分)は不完全で間違いを起こす”ということを受け入れ、客観的に物事や自分自身を見る」ということ。
謙虚に生きるとはこのとで、要は知ったかぶりをせず、他人の意見への寛容さを持つこと。
人は分かり合えなさを超えるためにどうやったら寛容になるかも考えてつづけていて、不寛容社会を越えたいなっと思ってるところ。
今見ているYOUTUBEの動画「不寛容撲滅委員会」が最高に面白すぎて、記録としてここにも残しておこうかな。笑
大事なとは、新しい文化やアイデアに出会ったときに頭から拒否するのではなく「とりあえず試してみる」といった冒険心・好奇心にもつなげていくこと。
未来塾って最終的にこの価値観に触れて、それぞれが自分なりの答えを出し続けていく場だと思ったりしています。

未来塾という場の生き物と共に生きる

未来塾が詰まっているストーン。物語がここに

そういう流れの中でいうと、未来塾自体は参加者で作り上げていき、そこに価値観というなの解釈が蓄積されることで生き物として動き出す場だと思ってます。
ファシリテーターとして場をホールドする感覚は、本当に大変(オフレコ)。何もしてないように見られているけど、関係性を必要最低限育むための土壌づくりはやり続け、温度を管理して最低限の光や水を与えてる感覚です。
個人的にファシリテーターという役割について、とことん向き合うのが未来塾。
一般的な理解でいれば、会話を促したり、ゴールに誘導するのがファシリテーターとしての役割。
僕の大切にしていることで、メインのファシリテーターは未来塾という場であり、僕たちスタッフはサブファシリテーターとして、関係性から問いや意味を醸し出す役割だと思っています。
今回の場で言えば、屋久島がメインファシリテーターであり、みんなが行き着きたいと願った場所に連れて行ってくれていると信じています。
僕はただ、場を整えホールドし、関係性を育み続けるきっかけのお手伝いをしているだけ。
13回も未来塾を続けてこれたのは、この感覚を大切にしているからかもしれません。


関係性から学ぶこと

多様性ってただそこにあるものな気がしてる

教育者としての視点で言うと、僕は関係性から学ぶ場を提供しているんだと最近感じてます。
自然体験も地域づくりもオンラインコミュティもラジオもいろんなことにチャレンジさせてもらっているけれど、何一つ同じことはなくて、同じ意味もない。
同じ仲間でやっいても、関係性は少しづつ変化していき、その変化から生まれる問いや意味にいつも学びを得ているのが最高に楽しい。
教育の意味って、世界を楽しみ方を教え合うことだと強く感じ始めているこのこごろ。
このことについては、ラジオで語ってみたのでぜひ聞いてもらえたら。

森羅万象の中でその断片の一部として生きる

火を炊くことは人間性を思い出させてくれる

まだまだ書きたい学びはたくさんあるのだけど、実は今日から知床未来塾が始まります。
初めてのことだらけで、準備に走り回っているので、若干焦っているのは秘密。苦笑
なので、とりあえず今の段階ではこのテーマで終わり。
森羅万象とは、あらゆる現象、宇宙に存在する一切のもの
「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶことであり、「万象」は万物やあらゆる現象。
屋久島の人たちは本当に悟っていて、宇宙を感じられる人がいる。
今までは失礼ながら理解できず若干バカにしてました。
今思えば世界の解像度が低かったんだと反省。
僕も今では、この言葉について少しは理解できるようになった気がしてます。
屋久島はなにもないけれど、全てある。小さな島の大きな世界。
僕たちはつながりの中で生きていて、地球という大きな生態系の中で生かされているし、社会という人間が作った生態系の中で生かされている、さらには目に見えないご先祖様や子孫たちに思いを馳せることで生かされている。
生かし生かされ、間で生きる人。
だからこそ人間と呼ぶのかもしません。
繋がりの中で生きている感覚を表しているのが、その断片の一部として生きる。
世界の自分の解像度をあげればあげるほど、寛容にいきることができる世界をつくることができると僕は強く信じています。
それが僕表現したい一つの世界だと思っています。

最後に感謝を

未来塾は人のためじゃなく、自分のために。あらためて。

いつものことですが。本当にいろんな人にこの場を支えてもらい、できていること。
未来塾事態が開催できること事態が有難いことだと改めて受け止めています。
本当にありがとうございました。
改めて
僕が不在の中家を守ってくれた
ちーちゃん、がくと、あきら
一緒にチャレンジしながら場を作ってくれた、
りん、しんぺいさん、あかりん、れふと、ぽんちゃん、うっちゃん、ゆな
素敵な写真を切り取ってくれた
ちゃどまつ
一緒に未来塾を醸し出してくれた
こより、かずさ、かいる、しゅうへい
人生の大事な時間を一緒に過ごすとができて本当に幸せでした。
ありがとー!
また会う日まで。


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