9.9
生活は脆い、どうしようもなく不器用であると自覚している。乱れ切った生活のなかでは、時間という意識さえも淡く遠いものになるような感覚がある。ここ1週間で二、三度、真夜中にコンビニまで歩いた。なんとなく手持ち無沙汰な気持ちになって。稼働し続ける信号機や、そこを行き交う車や、煙草を吸う人に、その瞬間にすれ違い続ける生活の営みに紛れる。触れたという確かな感覚が欲しくて、だからこその夜行。言葉未然のものへの渇きを満たすことで精一杯なときの儘ならなさを、わたしは何度だって自覚しなおしている。
「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」をすごくゆっくり観ている。出版エージェンシーでアシスタントをする作家志望の主人公のジョアンナに、サリンジャーは「君は書く人間だろう」と問う。そして「電話番で一日を終えるな、君は詩人だ」と続ける。一瞬で水面に引き上げられるような気持ちになった。いつだってわたしはこうして言葉に手を引かれてきた。クタクタになった夜は明けて、空腹と気だるげな朝に色を移すときにベランダで立ったままノートを開く。生活は脆い。生活を愛するということに、また何度でも出会い直せるだろうか。今はまだわからない。それでも、わたしだってそうだ、と頷き続けたいのだ。「君は書く人間だろう」という問いに対して。