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「標本」

 はじめに断っておきたいが、これは日記ではない。ここで起きたことというのは確かにあったはずだけれど、言葉にされなかったことの方がもしかしたら多いのかもしれない。落葉樹の枝のように、巡りゆくものの行く末を見守ることしかできない。木の枝として、あるときはやさしく踊るような花のことを、あるときは穏やかに揺れる新緑のことを、そしてあるときは散りゆこうとする枯葉のことを。


 「写真というものは標本みたいなものだ」

 木の枝が見るこの星の歴史。一本道が違えばまるで別の街が浮かび上がるかのように、違う枝には、その枝にしか見られない歴史がある。同じように見えて違う、写真というのはその枝から見える星の手触りだ。記録というと少々機械的に感じるかもしれないけれど、記憶は変容する。ここにひとつ触れられるものがあるということは、記憶の端を綴じることでもあるはずだよ。と、先生は新緑の山の毛並みを確かめるように歩きながら語った。先生はゆっくりと歩くことを愛し、ほんとうのことを大切にし、そして合成を嫌った。

 「言葉にしなければこぼれ落ちていってしまう気がするんです。最後まで枝にくっついていた枯葉も、いつの間にかいなくなっている、そのことに気づくことさえできないのが切ないです」

 とても、とても穏やかな沈黙があった。取りこぼしてしまいそうなものを、大事に大事に運ぶかのように一歩一歩を丁寧に歩いた。

 「きっと言葉までの長い長い道のりのなかで、置いてきてしまうことの方が多いのだろう。それらの置いてきてしまったものたちと心を通わせることができるのならば、それはひとつの守るべき才能だ」

 先生の声は一音一音が一定の息と確かな意志を携えて届き、背中を押すその筋肉ごと支えてくれるかのように思えた。先生はいつも少しだけ前を歩くけれど、なぜだかそう感じた。頭上で鳥が鳴いた。リルリリ、リルリリ、深呼吸をする。ゆっくりと吐いた息が吹いた風で加速する。先生のフィルムカメラが巻き上げられる音が聞こえる。遠くまでいけるような気がした。


『標本』


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