
第三回 #書き出しコロシアム 2ndSet精読記事
ばんわ。今日もおらがんばるぞ!
企画概要・ルール
【企画趣旨】
書き出し祭りで結果を残した手練れ同士の、匿名ガチバトルを目指します。
また本企画では「書き出しの向こう側」をテーマとし、全参加者に2話目・3話目を書いていただきます。より連載に近い形での勝負、スキルアップの場としても活用していただければ幸いです。
(中略)
【作品規定】
基本的には書き出し祭りに準じます。
以下の点が異なります。
・文字数は0〜6000文字程度(なろうフォーマットで改行空欄を含めない文字数)。
・2話目、3話目、それ以降を想定した作品であること。
書き出し祭りというのは、肥前文俊さんという方が運営している別の匿名競作企画です。
ちなみにこの書き出しコロシアムは玄武総一郎さんという別の方が運営しているので全くの別物です。
【ルール】
本企画は以下の流れで進行します。
(優勝者が出るまで作者発表はお控えください)
1st set(予選)
↓
2nd set(準決勝 & 敗者復活戦)
↓
Final set(決勝 & 下剋上マッチ)
1st set
・予選
いつもの書き出し祭りと同じく、書き出し1話目を持ち寄り匿名で公開、得票を競います。結果発表後、上位5名に準決勝に進んでいただきます(作者名の公開は行いません)
2nd set
・準決勝
予選を勝ち抜いた5名で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の2話目」です。得票数が多かった上位3名が決勝に進み、下位2名が下剋上マッチに進みます。
・敗者復活戦
予選で上位5名に入れなかった作者様で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の2話目」です。得票数が多かった上位2名が決勝に進み、それ以外の方が下剋上マッチに進みます。
Final set
・決勝
準決勝・敗者復活戦を勝ち抜いた作者様5名で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の3話目」です。
得票数が多かった方が優勝となります。
※ただし、下剋上マッチの結果を踏まえます。
・下剋上マッチ
惜しくも準決勝・敗者復活戦で敗れた作者様で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の3話目」です。
一位通過の方の得票数が決勝戦で一位の作品の点数を超えていた場合、下剋上成功で優勝となります。
※ただし下剋上マッチのみ、投票欄に「該当作品なし」が出現します。
今回はその2ndSet分に対する評価記事です。
ちなみに気づいているかどうか知らないけど、作品タイトルはそのままリンクになっているから、気になったらタイトルクリックすればじかに読みにいけまっせ! よろしくです。
(※本記事では「ストーリー」、「ドラマ」などといった創作用語を独自の文脈で用いているため、不明点があった場合は前回記事より「構成力・場面づくり」の章をご確認ください)
▼前回記事
2ndSet評価軸
2ndは1stの結果に加えて下記の評価軸による合計点を加算します。
2nd単体の投票先は、本記事内で採点した内容のみで決定しますが、合計点は3rdの内容とセットで総計を計上し、個々の総評を出してみようとも思ってます(そのため3rd記事と総評記事が別個に現れることになり、筆者がしにます。おらにげんきをわけてくれーーーッ!!)。おもしろいものをつくりたい、という筆者の研究意欲に免じて、ここはどうかひとつよろしくお願いいたします。
では、2ndSetにおける評価軸を紹介します。
新キャラ・新展開:
簡単に言うと新キャラと新展開がストーリー・ドラマの座標軸をきちんと進展させているかを見ます。かんたんに言い過ぎてなに言ってるかわかりませんね。
エンターテイメント・ノベルにおいて、6,001字~12,000字のスパンは第一章の展開期にあたります。書き出しコロシアム自体が合計3話分(最大18,000字相当)の提出を求められる都合上、少なからぬ参加者が「序破急」的な三幕構成によって、三話目で一定の落着を見せる構成を目論んでいるというふうにわたしは見てます。
これは単なる一例ですが、東村アキコ先生の『海月姫』という漫画は、連載3話分で話の一個のまとまりをつくる構成となっています。ネタバレを避けるようにかろうじて整理すると次のとおりです。
・1話目:主人公であるヒロインの紹介(名前・外見・プロフィール、交友関係・日常世界の人物相関図、乗り越えなければならない課題を強調するエピソード)と、主要登場人物との出会い(ただしこの時点では名前・素性は明らかではない)を描く[物語のセットアップと本筋の端緒を開く]。
・2話目:主人公と主要登場人物の関係性が(主人公にとってはマイナスの意味で)構築される。明らかになる真相と深刻になる状況。日常世界と日常の交友関係の危機。(解決ではなく)解消を図ろうとする主人公だったが、その意図とは裏腹にさらに悪い状況に追い込まれる[本筋へ切り込むための最初の障壁を提示する]
・3話目:主要登場人物が、主人公の日常世界に入り込む。明らかな不和。日常における隠されたサスペンス。状況の進行と同時に、主要登場人物の動機の掘り下げが行われ、主人公との特別な関係性が強調される。サスペンスは破局しかけるが機転によって解決する。物語の場面は次回から主人公のいる日常世界から外に飛び出す[第一の関門突破、突破による主人公と主要登場人物との絆の形成、プロット単位の進展]。
また、いまなお週刊少年ジャンプの看板作品『ONE PIECE』の第一話は、上記で『海月姫』が展開していることを第一話の枠でクリアします。『ONE PIECE』に関しては第一話のネタバレもなにもないですが、「お話づくり」の観点で観察すると、かなり高等テクで組み立てられた第一話です。
話がだいぶ脇に逸れましたが、要するに第二話って単体の完成度という意味で一番評価が難しいんです。
ふつう物語を考えるとき、最も重要なのは最初と最後です。もちろん書き出しコロシアムは長編を想定した企画なので厳密には第三話で完結する物語ではありません。しかし企画自体が第三話までの各話の印象値によって投票する以上、第三話の時点で一定の仕掛け・タネ明かしを仕組む参加者は少なからずいるだろうと見込んでます(わたしが参加者ならそうします)。よって第二話とは畢竟、強烈なインパクトでつくられた第一話と、その後にいったんのまとまりを生み出す第三話の中間という非常にあいまいな立ち位置にあるわけです。
可能であるなら、第三話を見てから第二話を考慮したいところですが、企画の制約上それも厳しい。したがって本記事で考察するのは物語の拡げ方と傾斜です。もっとなに言ってるかわからなくなりましたね。
拡げ方、というのは新しい舞台(場所)・新しいキャラクター・全く異なる時制で話の幅が広がることを意味します。第一話はどうしても主人公の存在を明示しなければならない都合上、どうしても本筋を動かすための振り幅が狭くなります。したがって、物語を適切に起動する場合、一定の字数でキャラクターを固めたあとは場所の移動や時制の転換が発生します。
先の『海月姫』の例だと、主人公の日常世界におけるサブキャラクターたちのリアクションを一個一個丁寧にとっていく場面があります。これは最終的には第三話のサスペンスに持ち込むための前フリなのですが、読者に対しては主人公の周りの個性的なキャラクターの紹介という側面があります。日常世界の掘り下げが、やがて来る第三話の〝嫌な予感〟の下準備として機能する、構成上無駄のないつくりです。
この不穏さは、じつはもともと第一話では行間として与えられていたものです。第二話ではそれをあえて繰り返し強調したり、違う側面を見せたりすることで奥行きを構成します。しかし、本筋は見失わず、第三話でぶつかるであろうより大きな障害への予感も残しておきます。第二話の末尾ではその仕掛けが組み合わさって、強いヒキになるわけです。
こうした、状況固めの要素と、本筋へのハンドリングの手付きを検分してみるのが第二話の主な評価軸です。
もう少しだけ詳しく要素化すると、次のようなものを発見次第、評価を上げていく仕掛けです。
・ストーリー全体を読むにあたって求められる文章のリズム、場面展開のテンポの持続(あらすじや第一話で形成した文脈や構成を破壊しないこと)
・ストーリーを構成する人物相関図に、関係性の矢印を組み込めるかどうか(ドラマ部分の基礎づくり)
・第三話に向けての期待・予想を形成できるつくりかどうか(※ここには重要な情報を見落とさないように場面が設計できているかも考慮する)
あとは本文を見ながら考えていきましょう。
予想に対する応答:
第一話時点で生み出された予想に対する意外性の観点です。
むかしからよく「予想は裏切り、期待には応えろ」なんて言葉があったりしますが、それですね。そのさじ加減をつねに難しいのですが、標準点を4点とします。
予想より下回った場合(これは第一話のトーンから良くない意味で変更が加わった場合を意味します)を減点としつつ、加点は予想のちょっとだけ先を掴み、かつ読者の興味を持続できる場合に加点します。このあたりは本文を見ながら説明したほうが良いのでざっくりとした説明で済ませます。
期待に対する応答:
上記のうち「期待」にどれだけの応答があるかです。しかし、第二話の時点では期待が持続していないといけないので、第二話の時点でなんらかの解決や落着があった場合はむしろ減点します。
連載、という意味では想定読者の心中にある予想と期待のコントロールがつねに重要で、特に第二話は、第一話で必要以上に煽った期待のツケを払わされたり、順当に進めたはずのストーリーを「予想通りで退屈」と切り捨てられる局面が多々あると思います。そのあたりについては個々の作品で考察しつつ述べますが、中心にある課題は、読者の「興味・関心」はどのように形成されるか、という認知工学の領域です。
以下、本文読んだ感想です。
ほんとうは下から読むほうがフェアな気がしますが、見やすさのために実際の企画と同じ目次レイアウトで記事を組みます。そのため上位作品から下位作品に向かって記事を展開し、前段の話を受けて下に進む構成となってしまいます。
それではまいりましょう。
【準決勝】
Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
リガという主人公のバイタリティと行動力がすごかったですね。
結末部分でダンジョン、と言っていたので第二話はダンジョン探索なんでしょうが、はたしてリガの短所がほんらいの目標「ドラゴン牧場」の達成に役立ってくれるのかの疑問が残ってます。
ちょっと分析的なことを述べると、主人公に与えられたストーリー上のミッションに対して、「建前(利他的かつ説得力のある動機づけ)」と「本音(利己的かつ納得感の強い動機づけ)」の二重の層ができていることが、この物語を楽しむにあたってのひとつの重要な仕掛けです。つまり、目標としては「ドラゴン牧場を経営することで、自分が好きなドラゴン肉の良さを広めたい」というのはあくまで主人公が自分に対して吐いている美しい嘘で、建前にすぎません。実際には行動の節々に出ているように、「自分がドラゴンを食べ続けたいだけ」という本能に近いレベルの本音があり、これが見事に建前をくじくだろうとは、暗に想像が付くわけです。これは「明日テストだから徹夜してでも勉強しなきゃ」という状況と、「でもほんとは勉強したくないなあ」という内面のすれ違いがあって、「ではまず机の掃除から始めよう」とする、その共感可能なおかしみのようなものがあるわけです。
では何を期待するのか、というと、もちろんドラゴンとの戦いやアクションの連続だと思います。このあとに唐突にドラゴン肉を食べることについての苦悩なんて出てくると思ってません。それはあったとしてももっと先にあるべきことです。
本文感想
やはりダンジョンから切り出し、アクションの連続です。
もとからこの作者さんは、地の文のなかに一定の韻を踏んだり、音数や改行を調整したりすることで独自の語感とリズムを組んでいます。この可読性はなかなか他に代えがたい才能です。おまけに視覚効果にも富んでいて、読ませると同時に、楽しませる工夫にも富んでいる。
良い文章というものは、時代とともに変遷していくものです。しかしテキストを駆使してものごとを的確に、正確に伝える技術については古今東西さまざまな極意を先人たちが残してきました。わたしたちはその遺産を再学習し、直感のもとに飼いならしながら当たり前のように使い、ときに自らの商品に用いて対価を得るように社会化してきました。「著者」を意味するAuthorという英単語は、もとを正せば権威化(Authorize)という言葉とセットでその原義を持つもので、書くことはつねに権威を有します。それはすなわち、混沌としたリアルの感覚を、一定の意味と構成の秩序に配置しなおし、権威付けていくというひとつの力を駆使していることになります。わたしが本記事で試みていることも、一種「ストーリーライティング」の権威付けであることを免れません。
例えば、句読点。西洋ではコロン(:)とセミコロン(;)といった記法の発明は、じつは中世ヨーロッパの修道院で、キリスト教の歴史とともに(文字通り)築き上げられたものです。この記法によって、元来文字がひたすら流れていく文章において、意味の区切りとまとまり、ないし音読時のブレス(息継ぎ)の位置を、視覚的に表現できるようになりました。
この「区切る」というのが肝要で、”理解”を意味する「分かる」という日本語は「分割」を暗示する漢字表記で慣用的に表現されます(余談ですが英語における「理解」を示す語は「I see」=「一目瞭然である」や、「understand」=「ものごととものごとの間に(under)立ち(stand)つながりを発見する」、「comprehend」=「一緒の結びつきを(com-)とらえる(prehend)」など、もともと2つであるものを1つの意味に結合するニュアンスを含みます。この点、表音文字と表意文字の違いのようなものを予感しますね)。
人類史における記録媒体は、パピルスの巻物によって、一方通行的に流れるように読み続けていた文字列を、羊皮紙の冊子の形式に置換し、「ページ」という単位で区切るようになりました。巻物は両手で広げるギリギリのサイズでしかテキストを表示できず、おまけに位置情報をマークする手段に乏しかったため「あの巻物にかかれていた言葉は何行目だったっけ?」と思い出すことが非常に困難な媒体です。
他方、冊子形式は文字情報を一定の画面サイズとレイアウトに固定し、ページ数という目印で往還しやすくなっています。スクロールやタペストリーの時代にもなかったわけではありませんが、この段階になるとページ単位の挿絵にも強い印象を作ることが可能となり、写本絵師の技術も、コンテンツに奉仕する工夫を重ねていきました。同時に、文章の構成そのものにも、ページ単位の画面レイアウトを意識した字下げや改行の概念が発生しました。結果、一文の中に主語と述語・修飾語の区切り、一文単位の意味のまとまりをさらに連ねて、ページ単位に構成し、さらにページ数によって区切りながら意味の前後を文脈によって理解する中世の情報工学を達成しました。このことから、冊子の形式で書くべき内容を〝適切に〟区切って意味のまとまりをつくる文章執筆の極意が、当時の知識人たちの手によって残されています。それをわたしたちは「記憶術」という名称で歴史的に振り返ることが可能です。そのなかには目次や索引の発明も含みますが、そこまでいくと完全に余談なのでやめておきます。
話がだいぶ脱線しているように見えますが、だいじなのはここからです。
わたしは前回の記事で、読みやすさには「見た目の読みやすさ」と「内容の読みやすさ」があるという話をしましたが、そのルーツのひとつは中世期西欧の著述家の知見に基づいてお話ししております。また、同一人物ではありませんが、ほかにもさまざまな著述家が、文章を書く時のメソッド、ひとの記憶に残る文章を作る際に検討すべき事項を解説してくれています。
そのなかで極めてよく言及されるのが、地口(言葉遊び的な要素)や音感をだいじにすること、だと言われています。ここからはわたしの個人的な考察も含みますが、擬音や音感の整った文章は、音読すると気持ちが良いものです。と同時に、日本語の世界では漢字をひらき、カタカナやアルファベットといった異なる字へ変えることで視覚効果の可能性を秘めています。そうしたものをうまく組み合わせると、読者の想像力に働きかける複数の回路が開かれます。すなわち、字面・音感・内容の3つの読みやすさです。
ドラゴンとリガ、どちらからともなく走り出した。ドラゴンは羽ばたきの数だけ加速し、リガもまた魔法で人間を超越したスピードに至る。数瞬で彼我の距離はゼロになる。ドラゴンは爪を、リガは剣を。振りかぶった互いの獲物がそれぞれの速度を乗せて交差する。
拮抗したそれを、リガは力任せに上へと跳ね上げ、剣を下ろしざまに迫っていたもう片方のドラゴンの腕を斬る。痛みのあまり仰け反り晒されたドラゴンの喉を下から斬りあげる。大量の血が噴き出す。
このあたり、特に象徴的です。文章の頭には「ドラゴン」がいて、「リガ」が後から続く。この二者の対立関係は、ひとつの漫画や映画のなかで向き合う二者のイメージを作ります。いっぽうで、この二者は常に対句の構成をとり、付かず離れずの間合いをとりつつ、一定の語感にテンポよくリズミカルに展開しながら、絶えずドラゴンの挙動に警戒し、反応するリガを写りとります。各文の開始が「ドラゴン」から始まるのには、構成上の、かつ視覚効果的な意味があります。前から順番に文章を読む読者にとって、つねに「ドラゴン」のほうが先に行動し、ドラゴンのほうが状況を司る側に立っているからです。演劇でいうとこれは上手(かみて)・下手(しもて)の概念に相当します。
特撮ヒーロードラマを見たことのある人ならすぐご理解いただけると思うのですが、映像や漫画において、「←」を向いている人物が上手側=状況を進行し、制圧する力を示しているのに対して、「→」を向いている人物が下手側=状況を受ける側、進行に対して抗うポジションを獲得します。これは漫画などはページを繰る方向に向かってアクションを起こす人物が、状況を支配していると思うとわかりやすく、読者の意識が向かいたい方向にむかって状況の主体をなしているかどうかが、可読性の鍵なのです。
ことテキストにおいては上手側が先出した主語で、下手側が後出した主語です。映像では常にカットによってこの順番を基礎づけられますが、文章でも似たような演出が可能なことを示す稀有な例です。上記で引用した箇所は、まさに重文(※じゅうぶん、主語と述語をそなえた部分を二つ以上含む文。例「花は咲き、鳥は歌う」の類)の文法を駆使して、この上手・下手の入り乱れるアクションを直感的に読めるように工夫しているわけです。
いまのは極端な事例ですが、本作はこうした「直感的に」わかる文章によってその作品世界の存在感を担保しています。哲学の用語でいえば「身体性を獲得する」といい、絶えず読者が五感の随所にイメージを反響させながら、作品世界の活き活きとした「感じ」というものを想像する回路を開くことを可能としています。特に擬音の使い方なども特徴的で、視覚効果のように使いつつ、耳にはこのように聞こえたのだろうな、という漫画のような表現も差し挟まり、活字慣れしていない人間にもコミカルに、たのしく読ませることに成功していると言っていいでしょう。
また、構成上も面白いです。
もともとドラゴン牧場を経営する、という主人公の(建前上の)目標は、主人公の弱点(本音・本能の部分)が最も重要な関門となる目標です。この物語において、主人公の目標を阻害するのが実は主人公自身だという構造がこの物語における主人公キャラクターの強さをも示していて、「キャラクターが(あらすじから離れて)際立っている」ことの本質もここにあります。要するに、動機とズレさえしなければ、リガはどこで何やったっていいわけです。リガの目論見が上手くいけばスムーズな読み心地を提供し、失敗すれば自業自得のギャグになる。こんなん強すぎます。
しかしストーリーを正しい方向につなげていくためには、リガは自分の弱点を克服するようにアクションを促さないといけません。本作ではそれは、ドラゴン退治ではなくダンジョンマスターの少女を説得するという、会話劇のなかで繰り広げられます。一見すると新キャラの登場とその掘り下げによる愉快な会話シーンですが、世界の謎や仕掛けについてのほのめかしもあり、長編の核となるであろう箇所の先出しも巧妙です。ハイ・ファンタジー系の物語はつねにこうした世界観や舞台設定に関する情報の提供をどのように行うかについて、頭を抱えるのですが、この作品は地道に積み上げた文章のリズム感、会話のテンポのよさに乗っけていくことで解決してますね。
そして、まったく思わぬ形で、主人公の「ドラゴン牧場」への道は一歩前進してしまいます。この意外さは、凄腕と言わざるを得ません。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(展開のつなぎと王道のアクション、リズム感のよさ、どれもS級)
予想に対する応答:★★★★★(ダンジョンマスターに出会うなんてだれも予想しないよ)
期待に対する応答:★★★★★(リガが相変わらずなようでなによりです)
・2nd評価 :15/15
◆1st評価 :19/20
◆総合評価 :34/35
贋作公主は真龍を描く 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
あらすじが上手いので、前回の要約はあらすじ通りだったと言っていいでしょう。前回は完全なガールミーツボーイでした。王道の導入と緊迫したサスペンス、そして舞台設定の紹介と主人公がもっぱら扱うことになる「贋作」のモチーフについての徹底したディテール描写が特徴的でした。
もちろん表面的な筋については、表題の通り、暁飛の立場が明らかになり、贋作造りと宮廷陰謀がどのように展開していくのか、でしょう。これは予想です。
いっぽう期待については、前回の末尾で「顔を背けようとしても、力では敵わなかった。強引に合わせられた暁飛の目は黒々として、吸い込まれるよう。耳元に囁く声音も甘く、誘うようだった。」とあるように、恋愛の匂いもあります。初期段階でさっさとそうなるか、もっと時間をかけてそうなるかのタイミングの管理は作者に委ねられていますから、意外性を出すならこのドラマ面での緩急をどうつけていくか、だろうと思われます。
なぜなら、本筋としての宮廷劇は複数の登場人物と思惑を段取りを追って読者に理解してもらわないといけないので、プロットで決めた以上のことはあまり融通が効かないからです。これはプロットの整合性を取った場合、かなり手数が限られます。もちろんサスペンスであるため、全体像をいつ、どうやって示すのか、という手腕にも作者の緩急のペースが問われるでしょう。この物語の装置上の問題から、予想の裏を付くのはテクニカルな問題で、期待を満足させるための緩急のほうが繊細な判断を求められると考えることが出来ます。
いっぽうで、前回記事でわたしが「作家性」と表現した内容については、個人的な期待がかかります。美術品を扱ったストーリーは、作者自身に生の制作体験があってもなくても、作者自身のクリエイター魂についての表現の舞台と化します。マンガ描きなら漫画とはなにかを、小説書きなら自身にとって小説とは何であるかをおのずと語らなければなりません。古来この手の創作作品には類例が限りなくあり、小説だとアンドレ・ジッドの『贋金づくり』から、フィリップ・K・ディック『高い城の男』、漫画では『ギャラリーフェイク』などの作品がそれに当たるでしょう。すでにいくつかのほのめかしが存在するため、そのあたりのディティール表現も見落としたくはないですね。
また、あらためて今作のコンセプトを解体すると、「中華宮廷謀略もの×男女恋愛×『ギャラリーフェイク』」といったところでしょうか。この独自性の高いコンセプトも、この作品の強みです。
本文感想
さきほどの予想通りで、サスペンスと恋愛を交互に表・裏と使いこなすことでドラマと状況を進行させていますね。
「安心しろ、悪いようにはしない。そのためにお招きを受けたのだからな」
絶対に信用のおけない、上辺だけの寛容だった。親しげに振る舞っているようで、この男は最初から彼女たちの企みを見抜いていたと仄めかした。そうして、彩玉を脅したのだ。すべて彼の手の内だから従え、と。
(迂闊だった。私たちのほうが狙われてた、の……!?)
若く可愛い娘に縋りつかれれば悪い気はしないだろう、という魂胆も見え見えだったとしたら、恥ずかしすぎる。恐怖と焦りによって血の気が引いていた彩玉の頬は、今度は羞恥によって熱くなった。
でも、もちろん、顔を赤らめている場合ではないのだ。皇子への不敬を見逃してもらえるか否かは、どうやら彼女の贋作の腕にかかっているらしいのだから。
吊り橋効果──は現在の心理学だと必ずしも強い意味を持ってはいませんが、状況が緊迫したものであるだけに、そこで獲得した羞恥の情や目まぐるしく蠢く思惑の数々に、恋愛の予感を自覚することがありません。このキャラクターの内部での恋愛感情の自覚の有無と、傍観者として設定された読者の側で察知する恋愛の予感の管理が、こうしたストーリーにおける予想と期待のさじ加減に直結するのが非常によい作りですね。おそらく一般的に「女性向け」と呼ばれる物語のほとんどがこの予想と期待の交錯で、ストーリーの推進力を生み出しているのだと思います。本作はその仕掛けに即して、権力争いのヴェールを被せているところがひとつ妙味です。
そして、やはりといいますか。作家性についても、ストーリーで直接的に掲載してくるとは思いませんでしたが、非常に体重の乗った、力強い踏み込みを感じます。
死んでいない──まだ生きている作家の作品を贋作する。これは要するに、中国という生きた国の歴史を、生きていると知りながら改変し、改ざんした異世界を、徹底した取材のもとに構築することへの疑義です。それは言い換えれば、歴史的事実の残酷さやその悲劇などの生々しい現実の臭みを消して、女性向けのファンタジーとして提供することへの疑問をも含んでいる。
しかし、これほどまでに作品世界のディティールを描き、かつ実在する歴史に敬意を払うしぐさは、同時に、滅ぼされた壇国の遺臣に対して暁飛が最低限の文明のマナーに則って対話の回路を開こうとするしぐさに似ています。これはもしかすると、実在の歴史を踏みにじった側からの「上から目線」の気遣いかもしれません。ですが、それでもすでに市井に流出し、一定の価値と評価を得て流通してしまっている「中華異世界ファンタジー」というジャンルに対して、それでも実在の歴史に近似し、なんらかのタッチが可能ではないかと模索する作者自身の姿勢すらも感じ取れます。
もっとも大抵の読者にとってこの作家性の領域はあまり注意して読まれることはないでしょう。しかし読者には知っていてほしいのです。物語作者の中には、自分が手掛けている作品そのものについて疑問を持ち、それでも自分がつくっているものが真実の物語であり、真実の世界であるとどこかしら願って書くものがいるのです。
だから、この物語はつねにそうした願いを隠し持つものにとっては、(ほんらいは)言語化しようのない、深い感動につながる導線を作中に設けずにはいられないわけです。これこそが近代以降の物語創作における作家性・テーマの発現です。作家自身が抱える課題を、物語のなかに組み込むこと。物語を通じて思考し、答えを得ること。この強い問いかけを、わたしはたびたび「祈り」という言葉で表現します。作品にこめられた「祈り」こそが、作品を作家の名のもとに唯一無二のものにします。
いっぽうで、話の筋立ては新しい局面へ向かいました。
それは当初受け身に転じた主人公が、その真相でほんらいの身の上が明らかになり、強い動機付けによって回復していくドラマの展開です。これは同時に第一話の冒頭で「(国を滅ぼした敵の連中に)仕返しをしよう」という動きをさらに深化させた「復讐」という言葉でそれは表現されます。主人公のドラマとしては、あくまで中心軸をずらさずにメインプロットへの動機づけを完了させた形となりました。
他方、この形式でチェンジアップされたということは、第三話ではその〝復讐〟を成し遂げるかどうかを展開するように思えます。本作の表題が暗示する「真龍」というのは、おそらく皇帝の地位を示すはずです。ということは、そのストーリーは12万文字単位の流れのなかでは皇位継承を争う対立軸が明らかになっていくはずなのですが、旧国の裏切り者を最初に配置したことで段取りの成功はしていても、今後の話の展開が連作短編のようなエピソードの串団子になるリスクをはらんでいるわけです。本作単体での評価はこの点で下げはしませんが、次回が予想通りであれば申し訳ないですが減点します。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(主人公の掘り下げと強い動機付けに感服)
予想に対する応答:★★★★★(復讐譚になる意外さはあった)
期待に対する応答:★★★★★(作家性の領域に非常に誠実。エンタメ的な配慮も完璧)
・2nd評価 :15/15
◆1st評価 :19/20
◆総合評価 :34/35
「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~ 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
前回では世界観(「作品の雰囲気」も広義の世界観です)と物語のベクトル、主要登場人物の人物相関図を描いたところで終わりました。
「さっそく仲間を探しにいきましょう」というロイ王子のセリフにある通り、展開的には『ONE PIECE』よろしく仲間探しをするだろうと思います。ところで関係ないですけど、コンシューマRPGによくある「仲間探し」をちゃんとストーリーの軸にのっけて成功した連載漫画ってぼく『ONE PIECE』しか知りません。ほかの作品、例えば『幽☆遊☆白書』や『ドラゴンボール』の初期なんかは「仲間探し」というよりは、一回対立してから友情に発展する「喧嘩して仲直り」みたいなつくりになっていて、最初から目的地をシェアし、共同で活動するグループを結成するためのリクルーティングとはまったく毛色が異なるように思います。その観点でみると『NARUTO』も『BLEACH』も似たようなもので、ジャンプ漫画によくある登場人物が増えていく過程の表現について、ある時期はまちがいなく「喧嘩して仲直り」のつくりだったと言えるのではないでしょうか。
これが『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』、『チェンソーマン』になっていくと、主人公が所属する「組織への合流」という形で登場人物を増やすテクニックが増えており、「仕事をシェアしながら(共同生活・共同作業)、関係性を構築する」という手続きによって人物相関図を形成するストーリーテリングが、少なくとも少年誌においては増えてきました。
ただ、これはどちらかというとアルバイトや具体的な職場環境を隠喩的に連想しないと理解しがたい舞台装置で、そのことから検討してみても、少年マンガ誌がターゲティングしている読者層が小学生よりも上のレイヤー、具体的には中高生以上を目論んでいるような気がしてなりません。余談。
本作は一日勇者なので、24時間(正確には23時間)のうち2~3時間で仲間集めをしないといけません。どうするつもりなんでしょうか。
本文感想
6,000字の字数の500字強をまさかの「前回のあらすじ」に使う手法、恐れ入りました。
この手のつくりに対しては読者の賛否が分かれるかもしれませんが、前段で「中学生にもわかる」つくりを検討したとき、もしかすると忘れてる人・興味のなかった人への配慮を感じます。「少年ジャンプ」においても、漫画の傍らに注釈のように前回までのあらすじを記すのは、途中から物語に参加できるようにした配慮の一部です。
書き出しコロシアムでしばしば忘れ去られがちなことのひとつに、「読者は物語をそれほど覚えてくれない」ということがあると思います。
忘れられる理由はいくつかありますが、主要な指摘を挙げると次にようなものです。
①作者(作り手)の意識が、つねに「読者を掴もう」として字数のなかに大量かつ刺激的な情報を詰め込み、詰め込んだ内容の出来によって高評価を獲得しようとする傾向がある
②投票者(読者)側も、少なからず作り手側に立った経験を持つもので、自分が参加者だった場合にどうするかなど、作り手の事情を考慮しながら読む「小賢しい読者=考察やマーケティング分析・批評をしながら読む人間」であるため ※わたしのような人間もここに属します
③創作経験のない「読み専」の投票者であっても、日頃から「読む・閲覧する」行為を日常的に実行し、習慣的に物語を楽しむ能力を有している(=「積極的な読者」の上澄みの部分に相当する)
以上のことは本企画の周囲の人間もうすうす自覚しており、企画期間においてはつねに浮動票(=名乗り出ない読者の票)がどのように動くかについての推理合戦が始まるわけです。
わたしはこうした選挙予想みたいな世界線が非常に嫌いなので参加する気はあまりない(理由は別の機会に書きます)のですが、そうした言説のなかでつねに参加者(作者)側は物語の構成を更新したり、新しいコンテンツをぶち込んだりして、競い合うところにこの企画の面白みがあると思います。参加者側からしたら胃が痛いことでしょうが……苦笑
もちろん推理合戦そのもの、というよりは作品それ自体に関する「うわさ」が界隈を流れること自体は、わたしはいかにも企画の主旨に沿っていると感じていて、肯定的です。面白く眺めております。
この「うわさ」の有無は、浮動票の流入にも影響します。わたしだって週刊少年ジャンプのすべての漫画を第一話から連載を追いかけているわけではなく、むしろ他者の言説=「うわさ」や批評を通じて興味を抱き、単行本から読む側です。これは作者の側からしたら「連載中から観てくれよ!」と言いたくなる気持ちは非常によくわかるんですが(わたしの作品なんて、ブクマ一桁、ポイント評価二桁、更新しても推しキャラなどの感想はなし、それがデフォルトです。とてもかなしい)、現実問題としてそういうものです。
かつて『ドラゴンボール』や『ウイングマン』などの漫画作品を編集し、『ONE PIECE』が連載された頃の編集長でもあった鳥嶋和彦さんは、よく週刊少年ジャンプの単話の構成を「山手線2駅分の移動時間でさっと読める内容で19ページをつくりなさい」と言っていたそうです。
これは重要な指摘です。あまりに作者が思い詰めて、字数に対する直接的な情報量を上げてしまうとその分読解に時間がかかります。読みやすさとはつねに見やすさと内容の濃淡のバランスによって構成されるのです。漫画におけるこの指摘は、小説においても決して無視できないものです。特に小説の場合、伏線もそうですが、段落づくりや地の文の語彙にもそうした問題についてまわるのです。
わたしが本作を、「中学生にもわかる語彙」という観点で高評価を与えているのも、こうした読みやすさの観点において、他の追随を許さないほどのユニークさを持っていることが挙げられます。作者もその点を半ば自覚しており、「前回のあらすじ」を配置したことも、〝消極的な読者〟による途中参加を可能とした導線づくりを配慮しているわけです。
おまけに、繰り返しになりますが非常に読みやすい。情報の「抜き」加減が最適で、つねに筋を運んでいるのですが、表面的にはキャラクターとセリフの掛け合いの、テンポの良さによってストーリーが進行します。地の文がそれを妨げないところも非常に良い。言い方がよくないですが、「考えなくても読める」。対象読者を中学生と考えたとき、ライトノベルとして最強の語りを形成しております。
また、今回では見かけのイージーさに対して、展開の複雑な展開もうまく状況に織り込まれております。メインのプロットとしてが新キャラである「ロザリア」とのいざこざ(「前段の予想と期待」で記載した「喧嘩して仲直り」の段取りでしたね。これは対象年齢を下げて新キャラとストーリーを展開するにはほとんど最強のプロット技法です)で、ありながらその解決を万能アイテム=舞台装置である「聖剣」によって図り、それを通じてプロットのレイヤーに秘められた「裏の筋書き」がほのめかされます。このあたりは考察などをしたい「ディープな読者」の心を掴む仕掛けです。
一方でロイ王子を一時的に不在にしたことで、画面上読者はつねに主人公エリナと新キャラロザリアの掛け合いにのみ集中すればよく、世界観設定などの余計な情報は一切ない、あくまで心情とキャラクター間の相関図の移り変わりだけが読者の意識のテーブルに並べられているわけです。
この情報の減らし方は実に上手い。新キャラを一定の記号的表現で「キャラ化=印象に残」してしまえばあとは作者の手のひらで、これを好きになってもらえれば「新しい仲間=新規読者の獲得」につながります。
言ってみれば勇者=作者がその困難を切り開くためには、仲間=読者を集める過程が必要なわけです。そのあたり無意識によって構成された可能性がありますが、物語上の仕掛けと読者を巻き込むコンテンツとしての展開の合致が、本作の作品性を向上しているわけです。これは売れます。舌を巻きすぎて喉に詰まりました。だれかたすけてください。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(新キャラをメインプロットに載せる手付きと新規読者を導入する仕掛けの相互作用がたいへん上手)
予想に対する応答:★★★★★(新キャラ出して上手くプロットに乗っかったらだいたい高評価だよ)
期待に対する応答:★★★★★(仲間集めが順調でなにより)
・2nd評価 :15/15
◆1st評価 :18/20
◆総合評価 :33/35
奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
本作には辛口なコメントを残しましたが、単発での文章テクニックや構成、表現のレベルは負けず劣らず、という印象は残っています。
まず「奇遇」という抽象的な設定。それを可視化するための舞台設定や、状況の配備、主人公の日常世界から主人公の紹介、新たな主要登場人物(玄布青年)との遭遇、主人公にあたえられた困難の提示など、段取りで整理すると非常によく計算されてつくられたものだといってよいでしょう。
『贋作公主~』における主人公の主要能力が、「贋作づくり=実在の歴史に対する取材量の多さ」に基づくものであるのに対して、本作の主人公の能力はその「設定の抽象度の高さ(=作者が発想したであろう神話的なアイデア)」にあります。言い方は悪いですが、知識や努力によって得る前者と比較した際、後者は生得的かつ因縁的なものがあり、非常に厨二病的です。
「厨二病」という言葉の解釈にはさまざまな観点で解説が入りますが、この記事でわたしが言いたいのは「社会的な地位や集団生活、努力などの調停プロセスを極力省くことによって、世界そのものに関与する力を措定すること」を「厨二病的」と呼びます。『HUNTER×HUNTER』におけるゾルディック家、念能力などはその典型で、例えばキルアが努力をしていないとは言いませんが、明らかに年齢や本人の精神性、その社会的な立場とは比較にならないほどの、状況・世界に対する干渉力を初期設定として持たされている。その力と精神性のバランスの偏りが、ある種の「厨二病」感を生み出すのだろうと思います。誤解を恐れずに言えば「力を持った幼さ」と言ってもいいかもしれません。
厨二病的なものは、ライトノベル・Web小説とは切っても切れない関係にあります。かつては「中学二年生=14歳の年頃の妄想」という意味で「中二病」と呼ばれたものでしたが、いまとなっては年齢そのものとは関係なく、精神の成熟度という観点によってもなお、決して否定されずに社会化されているものと考えて良いと思います。これを「社会の欠陥」として考えて問題視し、絶望した評論家は数知れませんが、完全に脱線しますのでここでは省きます。
いっぽう、この「厨二病的なもの」が日本独自のものかというとそうでもありません。日本国内においてはそれはライトノベル・漫画・アニメ作品を通じて社会化されていますが、アメリカにおいてはアメコミ・マーベル映画のジャンルによって、ハリウッドスターの形象を借りて表現されますし、韓国においては、TV・配信における韓流ドラマ(『梨泰院クラス』や『還魂』といった作品を念頭に置いてます)や縦読みコミックの形式で一般に流通しており、実は「厨二病的なもの」は世界化しつつあると捉えることが可能です。どの国の作品にも共通するのは、①主人公における内面の幼さ=直球なセリフや読者に対して複雑さを一切見せない明快な感情設定、②その精神性とは不釣り合いに設けられた強すぎる干渉力を持った能力の設定、③①と②のちぐはぐさをテコにした作劇の3点の構造です。
「厨二病的なもの」を取り扱った物語は、必ず一定のベクトルに物語が収れんします。すなわち、主人公に万能感を与える「能力」そのものを巡るドラマです。たいていの場合、厨二病の本質上の都合から、主人公の能力は世界(物語舞台の構造そのもの)を揺るがす装置と化します。他方、このことに拠る強いメリットもあります。すなわち「主人公の決意や行動が世界を変えることができる」という純粋な希望を描くのに最適だからです。
この最も美しい典型が『うしおととら』や『天元突破グレンラガン』、あるいは『君の名は。』以降の新海誠のアニメーション映画です。特に本作を考察するにあたって重要なのは、『君の名は。』や『天気の子』のような作品でしょう。すなわち男女の遭遇とそのすれ違いのドラマをどれだけ「厨二病的なもの」を通じて面白がらせてくれるのか、主人公の能力の本質を巡る物語の核心は見せてもらえるのか、そして世界と恋愛相手を等価交換するような劇的な場面によって、そのクライマックスは達成できるのか。こうしたものが将来的に約束されていると考えてみます。
本文感想
この間「週刊少年ジャンプ」を紙で買って読んでいたのですが、そのなかで掲載されていた『HUNTER×HUNTER』の408話と、まったく構図が同じで笑ってしまいました。なんでカードゲームでキャラクターと世界観の掘り下げをやるんだよ!!!w
おまけにカードゲームの設定も、なかなかちゃんとしたつくりとなっていて、世界観マニアの血も騒ぎます。そうかこの作品は『HUNTER×HUNTER』だったのか……
カードゲームに入ってからの緊張感と世界観の提示、改行のテンポの良さと視覚効果などは大変目を見張るすばらしいつくりですが、そこに至る箇所でもたつきや時系列の混乱があったのが少し痛いところです。
というよりも、突き詰めるところを突き詰めると、これは文章のもつれ、極めて偏りのある文体そのものと表・裏の関係なのでしょう。
文体。
小説における文体というのは、大きく2つの特色があります。ひとつは物語が扱う題材に対する誠意と信念の発露。そしてもうひとつは、作者自身の美学(=感受性の構造)の発露です。
人間と言葉の関係は、言語学などという学問の枠では決して修めることのできない複雑にして多種多様な関係が存在します。人は言葉を使ってものを考えて、言葉を使って情報を伝達することが可能ですが、一方で「書かれたこと」と「読み取り可能なもの」の間には著しい乖離があります。記号学の分野ではこれをシニフィアンとシニフィエと言いますが、これは余談です。
言葉はそれ自体が人間の意識を構成し、思考のツールであると同時に、言葉によって人間は世界を認知します。特に小説においての言葉は絶対的なもので、現代国語の教科書にあるような「主語と述語の明確化」などといった規則では図りきれないものを、わたしたちは倒置法や体言止め、切断された文法によって体得していきます。
本作においてそのスタイルは決定的なものだと言っていい。『贋作公主』がその熟練した基礎文法に即した文章の積み重ねであるのに対して、『奇遇仙女』はそれ自体は作者が意識的か無意識的かによって選択した用語法・撹乱された文法によって不規則に繰り出されるわけです。
凌華は天を仰いだ。
「完、全、手詰まりー!」
うがぁー! っと玉石の賽を天高くばらまきながら寝台に倒れ込んだ凌華を、通りすがりの喜媚がチッチッと鳴いて笑う。
この辺りを始め全編、もしかすると意図的か、あるいは作者の持つ独自のセンスに基づく文章だなと思いますね。
『Sランク探索者~』の項目で書いた通り、フラットな読者は基本前から単語を拾いながらテキストを視認し、意味を回収します。
その手順にしたがってこの文章を読むと、「うがぁー!」と叫ばれた声と、玉石の賽の視覚的な配置、それが天高くばらまかれる動きの後付けがあって、しかもそれが受動態ではなく能動態であることから、投げた主体(主語)が隠蔽された状態である。まだ主語は来ない。寝台があり、倒れ込むものがいる。凌華だ。ここで初めて読者は叫んだ主体、賽を天高くばらまいた主体、寝台に倒れ込んだ主体が凌華であることを知る。しかし文章はここで終わらない。それすらも絵画・動画的に突き放し、目的格にすり替え、読者の目線は強制的にその場を通りすがった喜媚にまで遠ざけられる。喜媚はチッチッ、と笑う。そう、主人公は笑われているのである。
簡単に言えば、1行あたりに詰め込まれた情報量が濃い。おまけにケレン味がたっぷりあって、特殊なアングルとテキストの構成によって、視覚効果の強さを出しつつも、簡単には読ませない韜晦(とうかい)っぷりもある。
アニメ作品で似たようなものを知っています。『新世紀エヴァンゲリオン』っていうんですけど。王道のプロットに対して情報の紹介や場面づくり、特殊なアングルとセリフづくりのこだわりから独自のスタイルを形成するいわばこのケレン味は、どちらかというとそうしたスタイル先行型の娯楽作品という印象を新たにしました。
いっぽうで、この文章のつくり方は日本語においては伝統的な領域にもタッチすると思っていて。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
これは『源氏物語』の冒頭一文ですが、みなさん古文の授業で、例えば「敬語がだれを敬っているか」とかをひとつひとつ読解させられて嫌な気持ちになったのを覚えておりませんか。
その嫌な思い出はいったん堪えてもらって(ひどい)、こうした平安期のテキストは主語がだれで述語がどうだったかを明記しないスタイルでした。上記の文章は光源氏爆誕エピソードにおける母:桐壺更衣の紹介なのですが、作中でそのような名称で呼ばれてはいません。そのため現代語訳においてはさまざまな文学者が苦労し、独自の工夫を凝らしながら近代以降の「国語文法」に置換しているのですが、この原文は、これ自体の読み心地のよさ、味わい深さというものもあります。わからないという方はちゃんと勉強してください。
要するに、わたしは『奇遇仙女』の読み方を間違えたのです。
もちろん本作にも短所があります。それはスタイルを先行しすぎているためにストーリーの正しい進行が読者に了解できず、つねに読者の目にはきらびやかでめくるめく世界観(雰囲気の提示)をし続けているところです。もちろん立ち止まって地の文の意味を読解すれば、それは正しく読み取りうるものです。また、よく練られていることに、基本設定と「」と()で書かれた内容をたどっていけば、状況の移り変わりがわかります。この点、『HUNTER×HUNTER』ともよく似ている。
『HUNTER×HUNTER』は少年漫画においては奇抜な存在で、その筋立てに対し極めて洗練されたケレン味すら感じる表現によって読者にリーチします。大人向け読者を意識したような構成上の工夫や複雑な設定、頭脳戦の要素などが『HUNTER×HUNTER』の世間一般的な魅力として認知されていますが、その恐るべき本質は異なります。この漫画は、絵の構図とキャラクターの表情、コマの進行によって小学生でも理解可能なようにつくられていることにその本領があるのです。読者の下限に対して読む次元を下げつつ、難解なものを提示する──この運びが、設定偏重型のラノベのひとつの戦略なのかもしれません。
文体についての考察がひたすら長引きましたが、新キャラ・新展開に対しては少しだけ減点が入ります。
まず主人公を構成する複雑な設定・キャラの掘り下げを今回の話では実施しました。この手付きはカードゲームによるサスペンスを通じて極めて緊張感たっぷりに、ドラマとともに進行していて愉快です。しかし第一話の時点で登場し、ようやく名前を明かした玄布と主人公:凌華との間の人物相関図がまだ明確に定義できない状態で、さらに新キャラ(妲己)が登場します。これは手痛いミスです。
あらすじから提供されたストーリーの線は大きく2つ。
1つは凌華と玄布の関係性。
もう1つは妲己と玄天上帝の関係性です。
前者がストーリーの基本路線を組む傍ら、後者が行うのはストーリーの奥行きの構成で、あるべきすがたは「世界観の謎」の提示にとどめおかないとならないはずです。それを焦ったか、前者の構成を未完了なまま後者に転じてしまった。いきなり現れた妲己の存在は、『呪術廻戦』における宿儺と同じで、状況を一気にひっくり返すためのワイルドカードかつ、主人公がいずれ自力で克服しなければならないストーリー上の最も強大な障壁です。その明示の仕方は、第一話の流れからは、場面的にはなく説明的に行い、もう少しだけ玄布との人間関係を構築することに割くべきでした。
でないと、ほんらいこのあらすじが提供したであろう「凌華と玄布の関係性」の軸はぶれます。いまこの話の末尾で示されたのは、「玄布と妲己の関係性」であり、それは物語から主人公を排除することを意味します。これはあまりよろしくない。というより、まだ早いというのが率直な感想です。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★☆☆(第三話へ向かうベクトルが失われた)
予想に対する応答:★★★★★(カードゲームになるとは思わなんだ)
期待に対する応答:★★★☆☆(ちょっとドラマの基軸がぶれた。まだそっち行くのは早い)
・2nd評価 :11/15
◆1st評価 :17/20
◆総合評価 :28/35
うらみあい 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
前段では、非常にスリリングでノンストップな場面の連続で息を吐かせてもらえませんでした。
ホラーという作品あるあるなのですが、まだ作品の全体像が見えていない(見せてはいけない)ところが「次の展開の予想」という意味ではどうともいけます。しかし一方で、意外性の観点で期待を超えたものを出すのが難しいでしょう。本作はあらすじがふたりの視点人物によって進行するものをほのめかしていますが、第一話のヒキの強さがあまりにも強すぎたので、視点を変えてしまうのが惜しいような気がします。
紙の本ならよいつくりなのですが、Web小説の場合、強すぎるヒキで第一話を終えて視点を変えると、「さっきまでのドキドキ」をリセットしなければならないため、割と厳しい気がします。
あと、視点を変更することのデメリットは、第一話でせっかく構築した人物相関図が更地になることです。恐怖体験の目新しい連続を提供することはジャンルとしては大切ですが、いっぽうで第一話で提示された内容が深まっていくこと、人物相関図に新しい矢印や人物を書き足していくことで、物語の全貌が明らかになります。この手続きによって人間はストーリーを了解していくはずなのです。
したがって、視点が変わっても変わらなくても、そうした前段とのつながり・類似性のようなものがどう出てくるのかが鍵だと思ってます。
本文感想
やはり、視点を変えてきましたね。気分的には「えーっ!」って内心叫びました。あらすじ通りだけども! あの強いヒキの続きも読みたい! この「待て」状態でジリジリしながら、新たな視点人物を再インプットします。
さっそく郵便局で働く男:深澤昌也なる人物が出てきました。いいですね。前段で言及された「呪いの荷物」との関連性が気になりますね。
が、その期待は巧妙に裏切られ、予想もつかない方向に話が進んでいきます。第一話で指摘した地の文のもたつきは第二話では圧倒的な改善を見せ、主述関係や会話の主語を見失わずに場面を読むことが出来ました。可読性の向上は、今回の評価軸ではないものの、改善が手早く、作者の手がよく行き届いているのがわかります(もしかすると単純に会話が少なく、整理された場面だったからというのがあるかもしれませんが)。
人物相関図がリセットされてしまった残念さはありますが、構成的には非常に面白い試みです。第一話が視覚的なイメージにも訴えかける「わかりやすい」スプラッタ型のホラーであったのに対して、第二話は一転し、静的な場面と識閾下の情報が錯綜する心霊ホラーの様相を呈してます。
先ほどわたしは「期待が裏切られた」と書きましたが、本作においてはそのことは減点対象にはなりません。むしろ筋の隠され具合と、不思議なものごとの関係性を予感し、不安になることのほうがホラージャンルとしては適切なように思えるからです。本作でいえば、「呪いの荷物」から「郵便局」へのイメージの連結です。一見すると関係ないはずの事件に、まったく人知を超えた存在や悪意による蹂躙こそが、ホラーを刺激的かつ奥ゆかしいものにする強みを持っています。
一方、この構成によって、第三話への予想がしにくくなりました。現時点で開示されたさまざまな情報をもとに、ストーリーを推理することも決してできなくはないですが、本記事のやりたいことではありません。この記事のすることは、あくまで各作品ごとの物語や構造の分析と、それが可能にするあらゆる創作経験への回路を開くことです。したがって、テクニカルな領域でこの作品がなにを達成し、何を隠しているかを整理します。
ホラーにおいて、比較的重要なのは中心となるモチーフの決定です。『リング』においては「呪いのビデオ」、『着信アリ』においては「携帯電話に入る不審な着信」、『呪怨』は白塗りの少年で、『ぼきわんが、来る』は「田舎の家庭を訪れる〝ぼきわん〟」です。
物語とは原則「時間・場所・人物」の3点を特定することでその概要を読者にわかりやすく提示できるのですが、ホラーの場合その中心には「怪異」が据えられます。そして困ったことに「怪異」は主人公とはなりえないものです。能におけるシテとワキの存在を考えてみましょう。能の世界において、われわれ読者に近いのはワキの側です。しかし能の主軸に立つのはシテ=つまり死者や霊の側なのです。とくに、モダンホラー以降、このジャンルでは人命が軽い傾向にあります。そしてホラーというジャンルが視聴者・読者に対してショッキングなものを提供する性質があるため、非・恐怖シーンなどにおける人物は一定の存在感がなくてはいけません。でなければ「名前の知らないだれかさん」が「知らない間に」「どこか」で死んだ、という身も蓋もない情報だけが提供されてしまいます。
つまり、ホラーの手腕は、「時間・場所・人物」を特定しながらも、決して物語の奥や裏に潜む「真の登場人物=怪異」の真相をどこまでほのめかすかにあると思われます。
本作は、あらすじで「これは村と、男と、女の話。」とあるように、重要な本筋は男と女と村の3つの軸を必要とします。第一話ではその片鱗もみられませんでしたが、第二話では村と女のふたつの要素が開示されました。だとすると「男」とはなんなのでしょうか。それがある種の期待と言ってもいいかもしれません。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★☆(人物相関図はリセットされたが、物語の核心に迫っていく構図は担保できていた)
予想に対する応答:★★★★☆(ある意味予想通り)
期待に対する応答:★★★★★(二話目を静的な場面にしたのは正解。第三話への期待のせり上げとなっている)
・2nd評価 :13/15
◆1st評価 :18/20
◆総合評価 :31/35
【敗者復活戦】
保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
おじさんから植物系宇宙人が出てきました。おまけに美少女です。これだけ書くとなんてラノベ! って感じですが、王道のボーイミーツガールを構成していてよかったですね。
第一話を非常にていねいに書いていたので、もう主人公とヒロインの間、そして猫型ロボットの人物相関図は見間違えようのないくらいにがっちりと組まれている印象です。したがってあんまり日常描写に拘泥せずに、急展開で日常世界の外側に向かって話が進んでいくことを期待します。
というのも、暗黙に相思相愛っぽいところがあるので、ふたりの関係性の構築・完成がゴールになるという予想・期待こそあれ、それを妨げる障壁がなかったんですよね。前段のラストでニュースになっていたから、そこから派生するのは世間の無理解やら両親の登場でしょうか。このあたりは作者の手腕が問われます(ΦωΦ)
本文感想
急に回想で宇宙に飛んでったーーーーッ!
おまけに新キャラが複数、ネームドで登場です。書き出しコロシアムと仕事の両立で脳疲労を起こしているワイには、カタカナのフルネームの羅列に目が滑ります。
あと、第一話でうまく行間で処理していたSF要素が、今回は冒頭で牙を剥きます。はやいはやい。
あと、ヒロインの生い立ちや背景の掘り下げも、ぶっちゃけ早いです。
わたしもSFを好みますからこの辺、かえって厳しく言わなきゃいけないんですが、SF書きがSFの本領を発揮するのは可能な限り行間に仕舞っておかないとマニア向けの話になっちゃいます。たぶんSFの教養のある人にしかこのウーリャの回想シーンは読みにくいです。
なぜ読みにくいか。もちろん造語や馴染みのない舞台に対する惑乱もありますが、根本的にはストーリーの根幹に関わる人物相関図と、ヒロインの動機づけの部分を”説明”してしまっていることにそのもったいなさがあります。おまけにそのひとりひとりの人物も、ふつうの人間じゃない。やれ虫型だの妖精型だの、言葉は平易ですがジャンル外の人間はあまり想像しないものを端的に表現され、あたかも自明のことのように描かれつつも、その人物が宇宙で何をやっていて、どういう事情でウーリャとの人物相関図なのかを短いセンテンスで叩き込まれるわけです。
字数にして約1,350字。強いて言えば2ページ程度の分量で、ウーリャ、ムジカを含む4人の人物のあらましを濃縮して聞かされる。これはきつい。
『かがやき損ねた星たちへ』の第一話で、読者にとってまったく初見の人物3人による会話で、事件の概要と3人の主要登場人物の紹介が行われました。あれで2,200字相当だったことを考えると、無茶にもほどがあります。
かれらは(死亡したベルゥを含んで)ストーリー進行上そこそこ重要な役割を果たす人物になるはずです。おまけに、その過程でほのめかされたあらゆる出来事が、ほんらいならば主人公が立ち向かうであろう壮大な舞台装置に関わる重要な情報です。これを一度に全部、無造作にぶちまけられたことは、予想と期待を悪い意味で裏切ってます。
それまで余計なことを言ってシュールなギャグになる、という第一話でうまく機能していた世界の提示も、この運びとなると情報の渋滞が発生し、かえって読者を惑乱します。話の筋は一層見え難く、状況の進行はいっそうスローになっていきます。これは二話でするべきことじゃなかった。
また、主人公もこの渋滞しすぎた情報に対して物わかりが良すぎます。まだ瓜谷がウーリャになったタイミングのスルースキルは、日常ベースのシュールギャグでしたが、このフェーズになると無駄に頭が良くて物わかりが良すぎる受け身主人公のていになりますね。
ウーリャを囲む相関図の強調がなされる一方で、主人公側からウーリャを構成する人物相関図に対して矢印の引きようがない状態が続くとこれは単なる説明になります。
「地球に来て。私は生まれて初めて恋をしたの」
「……ウーリャ」
「私は、大好きな春樹と一緒に暮らしたかった……それだけなんだよ。だけど、状況は変わった」
ここで明示されてしまったように、ウーリャの主人公に対する気持ちがもうほとんど明確になっていて揺るぎそうにないのも、ドラマ的な転換点を最初から封じていてけっこうつらいです。これをひっくり返して劇的な構成にするにはNTRっぽいことをしないといけないんだよなあ。秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』の再来ですが、ちょっといただけないです。
物語はなんとか時制の進展と、地下室という舞台の新調によって新しい局面を見せようとしていますが、すでに主人公の半径5メートルで構成される登場人物の相関図が第一話で完成している状態なので、厳しいと思います。その進展を試みて無理をしているきらいがあります。当たり前ですが無茶です。王道のプロットに載せるなら、さっさと主人公の自宅に警官を送り込み、逃走劇に変えてしまったほうがいい。いま必要なのはアクションによる状況の劇的転換であって、キャラの掘り下げではありません。掘り下げはアクションによる盛り上がりの合間合間に、少しずつ飲み込ませていくのが順当ではないかと思いました。
▼評価
新キャラ・新展開:★☆☆☆☆(設定陳列罪でタイホする)
予想に対する応答:★★☆☆☆(予想外だが状況の変転が説明的)
期待に対する応答:★★☆☆☆(期待は満たされず、主人公の半径5メートルの人間関係が更新されないのが非常に痛い)
・2nd評価 :5/15
◆1st評価 :18/20
◆総合評価 :23/35
Flight to Chaos 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
主人公を強調しつつ、群像劇の体裁をなすような面白い構成でした。状況の進行と各登場人物の思惑が錯綜し、面白くなることは必定です。
本作は第一話の手付きを見る限り、状況をゆっくり温めていくことが非常に上手であるように見えました。第二話でどこまで状況が加速するかは読んでみないとわかりませんが、今後の動きのなかで主人公と事件の距離が近づいていくことを期待します。
けっこう忘れがちなんですが、こうしたサスペンスや冒険小説、ミステリにおいて重要なのは「事件が起こる前」です。
アガサ・クリスティの有名な小説を開いてみましょう。本編を構成する事件が起こるのはだいたい80ページから100ページ目です。これは単行本の全体から考えたとき3分の1か4分の1の分量にあたります。『古畑任三郎』だって冒頭の5~10分は犯人のドラマです。もちろんこのプロセスを興味をもって読んでもらうために現代ではさらなる工夫を要しますが、この事前の段取りがないと推理もサスペンスも発生しないのです。事前に打った布石がきちんと機能すること。それこそが読者を物語に参加させるための基礎的な事項です。
本文感想
で、予想通り期待通りといったところが本作第二話の所感です。
すでに書いたことなので繰り返しませんが、ダメ押し的に主人公の職業と能力をエピソードとして、地の文などで補強していく手付きがなかなかいいですね。『ダイ・ハード』でいうとナカトミビルが占拠される直前、妻ホリイの執務室でくつろいでいるときに慎重に張った伏線のようです。この仕掛けは物語の終盤で機能します。
一方主人公の知らないところで状況が進行し、やがて主人公が向き合うであろう困難な事件の端緒がひらかれました。この塩梅だと、第三話では主人公が何と向き合うのかを自覚するか、決意するかのあたりで区切れ目となりそうですね。個人的には自覚するのほうに賭けます。要するにこれは18,000字を使った壮大な「海外ドラマの第一話」という構成で、あともう一話掛けて人物相関図を完成させるであろうと思います。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★☆(順調な滑り出し)
予想に対する応答:★★★★☆(機長室というのが意外だが、想定範囲内)
期待に対する応答:★★★★★(期待には十分答えている)
・2nd評価 :13/15
◆1st評価 :17/20
◆総合評価 :30/35
奥村さん家のガーディアン 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
物語構成上は、主人公のアイ子と奥村家の関係性の明示、とくに春太に対する特徴的な関係性の暗示によって、盤石な基礎をつくりました。
いっぽうでSF的にはAIネットワークによる集合頭脳と、AI→人類に対する不調とも言える描写が端的に表現されましたね。
この手のSF物語は、どこからどこまでがSFを優先し、物語を優先するかの塩梅が非常に難しく、本作はどっちよりにするかがキーポイントでしょう。個人的にはSFに寄せてほしいところですが、ストーリーの進行上サスペンスとおねショタを基調とした進め方になるのは避けられません。
となると、期待の折衷点としてはAIの得意分野と苦手分野の提示と、それがどのように困難な状況を解決したり、さらに悪くなったりするのかという振り幅の提示を期待します。でないと、物語をSFにした利点がありませんし、サスペンスの面白みもなくなります。
本文感想
開始一行で面白い指摘がありました。戦闘能力の不在。これは家庭用であることを考えるとその通りです。ネットワークが加速化した世界では戦闘プログラムのインストールなどもあり得ると思いますがそういうのって、武器輸出入と同じくらいの規制があるんでしょうかね。少なくとも『Vivy -Fluorite Eye's Song-』というアニメでは歌唱用アンドロイドであるViVyが早期段階で未来のAIによって戦闘プログラムをインストールしてました。が、あれはたぶん作中世界の道理から考えるとハッキングの類です。
と、思って読み進めますと、ロボット三原則が出てきました。
ではセキュアコンシェルジュが人間を傷つけていいのかという話になりますと、これはもちろん否です。がしかし、抜け道はございます。
当社倫理部により設計されました行動原則によりますと、ワタクシたちはいついかなる時も『ユーザーさま最優先』であり、かつ『不可避的な事故あるいは急迫不正の侵害に際しては、率先して身を投げ出しお守りする』ように指示されております。
通常の家電ロボではないセキュアコンシェルジュだからこその仕様ですが、これを拡大解釈して運用することで、『正当防衛』あるいは『緊急避難行為』に近い行動をとることができるのです。
ロボット三原則とは明示されませんが、SF読みのあいだでは一般教養と化したこの原則は、1940年代から1980年代にかけて作品を発表し続けたSF作家アイザック・アシモフによる造語です。『わたしはロボット』(早川書房)を始め、『ロボットたちの時代』、『鋼鉄都市』、『はだかの太陽』などのロボットシリーズによってその三原則が展開します。
その内訳は下記のとおりです。
第一原則「ロボットは人間に危害を加えてはならない」
第二原則「第一原則に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない」
第三原則「第一、第二原則に反しない限り、自身を守らなければならない」という原則からなり、第一原則が最も優先される。
じつは「ロボット」という言葉は造語です。その源流はカレル・チャペックというチェコの作家(フランツ・カフカと同時代)が書いた『R.U.R』という戯曲に登場します。作中の「ロボット」は大企業が製造した労働用の人造人間で、戯曲自体も「ロボット」が人類に反乱を起こし(この反乱は共産主義革命の暗喩という側面もあります)、人類はロボットによって滅ぼされる結末を迎えます。本作がすべての元凶というわけではありませんが、この作品のインパクトから、ながらくロボットは人類に反逆し、人類を滅ぼす(という『ターミネーター』などで再三繰り返されるストーリー)ものだという固定観念をつくったことでも知られています。
アシモフは、このロボットの反逆可能性に対してある制約を課すことで、SFにおけるロボット物の新しい局面を開きました。それが三原則です。
その文脈の上で三原則の文面を読み直すと、いかにロボットがその性能・振る舞いを維持しながら、人類を滅ぼさないでいられるかをよく検討していて興味深いですね。ちなみに根拠がないので妄想かもしれませんが、たしかアシモフは「家電のあり方から発想を得た」というようなことを言っていたと思っております。したがって、『奥村さん家のガーディアン』は、図らずともこのアシモフのロボットの正統な後継者でもあるわけです。
アシモフのロボットシリーズが、上記の三原則を持ちながらなぜか人間を苦しめてしまう不可思議な状況を設定し、それを解決するミステリのつくりを呈していたのに対して、本作はその三原則的なものをみずからの意志と判断によってすり抜け、合理的な解決を目論むサスペンスとなっているところがSF好きにもたまらないですね。ほんとうにこの作者さんはSFをよくわかっておられる。
また、いま気づきましたが、「◆」で区切られた展開が、アイ子のなかの決心や念頭に置くべき事項を表示しながらも、まるで新聞の見出しと記事本文のような文章レイアウトになっていて、読者への可読性も高いです。こうした語りとSF的仕掛けの一致は、SF小説を非マニアに向けて読ませるには非常に効果的なつくりでもあります。
唯一減点ではないのですが、気になる箇所が2つあったのでその記載をして終わります。
1つは、強盗の位置づけです。2024年現在、『警察白書』によると現在の強盗犯罪の多くはいわゆる「闇バイト」であり、その犯罪トレンドは現時点で黒幕が明らかになっていないことから、今後もそうしたものが続くと見ていいでしょう。本作における家庭強盗は、「郊外であること」、「AIを雇うほどには富裕層であること」などのそうした諸条件をうまく舞台設定とともに提供しながら、肝心の強盗犯の手際が「闇バイト」よりも旧時代的なものを感じました。そのあたりを組み込んでしまうと話の軸がぶれかねないので諸刃の剣ですが、強盗の会話だけが1990年代臭かったのが奇妙な印象を残しています。
そしてもう1つは、新章突入するの? ここで? という驚き。第一話時点では連作短編か長編の端緒かわからないと言いましたが、この運びだと連作短編をつないで長編化する串団子形式となるでしょう。二話=12,000字相当で一件落着であることを考えると第三話はどうああがいても「次の章の”書き出し”」というかたちになります。各参加者の戦略が見えてくるようで興味深かったです。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(順調に進み、順調にクリアしましたね)
予想に対する応答:★★★★☆(予想通り、どんでん返しもなく進んだ)
期待に対する応答:★★★★★(SF的な満足度が高い)
・2nd評価 :14/15
◆1st評価 :18/20
◆総合評価 :32/35
かがやき損ねた星たちへ 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
第一話では厳しいことを言いましたが、題材と主要登場人物の配置、そしてネームドキャラクターの人物相関図はかなりくっきりと輪郭が取れていて非常に良い書き出しだったと思います。
また、吉永嶺次郎と長谷川薫の両名がバディであることや、そのふたりが最初に問題解決を見せるシーケンスは、滑り出しとしては(改善の余地はあるものの)非常に物語の個性を強調するよいつくりでした。
ストーリー的には新たな人物が主人公の相関図に加わる予感(公安部の男)と、公安側で進展している捜査状況がどれほど明らかになっているかというところですね。
実際の事件の進行をある程度覚えているのですが、たしかこの元ネタになった事件の捜査はいったん太田竜をあたって空振るというのが歴史的事実だったかと思います。こういう「空振り」は緊密な構成を求められるミステリではけっこう厳しいのですが、それを乗り越えて名作になった作品も少なからずあります。松本清張の『砂の器』です。
『砂の器』は小説の構成をそのまま脚本家橋本忍がうまく置き換え、原作以上の表現力で映画化したことで知られていますが、この当初の脚本は映画関係者の間では不評でした。「映画は一方通行の線に乗っかってストーリーを紡がないといけない。捜査したが空振りでしたは、映画の脚本としてはだめだ」と指摘したのは、自身も『天国と地獄』で傑作ミステリ・サスペンス映画を撮った黒澤明でした。
しかし、結果的に原作の構成をうまく用い、『砂の器』は日本映画史に残る優れたできのミステリ・サスペンス映画となっています。本作がこのようになるかはわかりませんが、やはりネタ元を知っていると、小説としてどう料理するのかに期待がかかります。
本文感想
いまさらのように言うのですが、この作品の文体は『奇遇仙女』とは異なる意味で非常に洗練された、美しいつくりです。まずなんといっても無駄がない。主述の関係をしっかりと捉えていて、そこで行われた行動や状況を、万遍なく、端的に示しながら、画面内に気持ちよく収まる美学に裏打ちされています。
小説における文体は、描写対象を捉えるための視点・アングルを提供するものであると同時に、作者が世界をどう受け止めているかの感受性の側面があることは、『奇遇仙女』の項目でも述べたとおりです。本作はその匙加減か絶妙に作者の美学にありながらも、美学自体がものごとを正確に、端的に表示するという精神によって表現されており、一文一文の密度があります。
これに限った話ではありませんが、下記などは特徴的です。
公安の特捜本部まで、我々は一言も交わさず、気まずく電車に乗りました。
本庁の敷地に建てられたバラック小屋が、公安の特捜本部でした。
ふつうの小説のシーケンスなら、電車に乗って見えた景色がどーだとか、風景を見ながらなになにを考えたとか、そうしたことを書いて主人公の掘り下げや状況の整理を行うものです。
ところが作者はそうしない。電車に乗ったら、次の行では公安の特捜本部に着いている。この透徹した、場所や風景が本質的に有している叙情なんてものをあえて省いて転換する場面の見せ方が、本作の強い魅力と言ってもいいでしょう。そこには事件があり、事件を解決する人間の群像がある。では例えば当時の事情や風俗を全く記録していないのかというとそうでもない。第一話では「お茶の水の喫茶店でクリームソーダを注文」したり、「ジュリーの影響で若い男性に流行していた長髪」があったりする。ジュリーとは沢田研二のことです。時代が三菱重工爆破事件(1974年)であることを考慮すると、沢田研二は「1973年4月21日発売の「危険なふたり」が大ヒットし、ソロ初のオリコン1位を獲得、第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代最高視聴率の47.4%を記録)し、ソロとしての人気を確固たるものとした。」(Wikipediaより)時期であり、非常な人気スターだったことときちんとリンクします。ちなみに現今知られるジュリーの主演映画『太陽を盗んだ男』(1979年)や『魔界転生』(1981年)は、この事件のあとなので、映画スターではなく、歌謡曲スターとしての沢田研二ですね。
おっと脱線。ということで、本編です。
時系列的には「大地の牙」班による物産館(三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)が発生しましたね。このことから物語は1974年10月14日であることが判明しました。作中の「岡依彦」の元ネタは実在する左翼活動家で故人の太田竜です。ストーリーの進行とともに、今度は帝人への爆破事件も発生してます。捜査そのものが淡々としているとはいえ、状況の進行が早いですね。
ちなみに、太田竜をはじめ、本作が元ネタとしてる「三菱重工爆破事件」の犯人関係者(実はまだ生きていて指名手配犯です)は、北海道・樺太の出身者が多いです。そのあたりは脚色が掛かっていますが被疑者特定の推理プロセスが『砂の器』などで特徴的な松本清張メソッドでちょっと微笑んでしまいました。「カメダ」的なあれですね。
ストーリーの進行も、上記の取材・脚色に対して非常に手際がいい。なにより第一話できちんと関係性をクリアにした状態で進む会話劇なので、読んでいるだけで気持ちいいのです。
このあたりきちんと物語を軌道に載せたら、もともと持っていた物語のポテンシャルが爆発的に加速していくさまが見事です。
おまけに、会話や捜査の進展とともに明らかになる登場人物の本音や素性、といった掘り下げも巧みです。やはり作者は慎重にキャラクターを作り込んでいて、行間でほのめかしながら、ここぞというところでキャラクターのドラマを展開する手際にも長けています。
加えて、明らかになった本音・素性が新しい3人の捜査の進展をうながすことで、ストーリーを駆動していくわけです。これはもちろん、Web小説的にも大きなプラスで、あえて調べまくったであろう1970年代の日本社会の描写をバッサバッサと切り捨ててストーリーに集中しているところも見事でした。やはり一押しですね。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(キャラクターの配置と掘り下げが、状況の進行と駆動を同時にうながすさまはプロ)
予想に対する応答:★★★★★(脚色と殺人事件への導入が上手い)
期待に対する応答:★★★★★(期待以上によくできている。エンタメを意識しつつも、取材先に対する慎重な描写も見事)
・2nd評価 :15/15
◆1st評価 :17/20
◆総合評価 :32/35
魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~ 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
本作は非常にテクニカルな反面、技巧におぼれてしまったというのがわりと正直な感想です。可読性と文脈形成、そして行間の折りたたみ方と奥でうごめく表現力は抜きん出て優れているところがありますが、ストーリーの進行や主人公の強調に使用しきれなかったところが弱みでもありました。
じぃちゃんに連れられて新たな旅路に出る主人公ですが、前回のヒキが姉アマリアの涙によって演出されたためその辺をどうサブプロットに収めるのかが気になるところです。
また、主人公は開始時点で5歳です。もちろん十分知的でものを考える素養を持っていますが、これがどう今後の展開を切り開くのか、また今後待ち受けるであろう困難とはなんなのかがいまだに不明瞭です。その点、主人公の物語としてのヒキの弱さがどうしてもあります。その点もこの回で挽回できるとよいのですが……
本文感想
しめっぽいシーンも思ったよりさっぱり終わりましたね。なまじ行間でちゃんと埋め込まれていた分急に表に出てきたなあって感じなのですが、それもさくっと区切りになっちゃいました。やっぱりこのドラマ構造におけるじぃちゃんの権威強すぎて、デウスエクスマキナ化している気がします。
ところでこれは現代的、特に2020年代以降のポリコレ的な指摘なんですが、ここで唐突に姉が「美少女」にすり替わることに違和感がありました。そもそも前段で「女~」と下に見られ、男の武術の世界に関心を持ち、かつ弟をいびっていた存在が、急にしおらしくなったとたんに「美少女」になるというのは、作劇的にもチグハグな印象があります。この地の文は5歳の主人公の一人称です。つまりここで姉を美少女として観察するのは主人公ということになるのですが、急にここで男らしさのようなものを垣間見せるのは、「あれっ」て感じです。
もしかするとなんらかの仕掛けがあるのかもしれませんが、仕掛けを隠す場所がいまいちピンと来ませんでした。あといま気づきましたが、アマリアは7歳なんですね。美少女……まあいいか。
今回の話では「夢」の具体的な内容が現れました。魔法学校の学制が限りなく現代日本のそれに似ているのが少々残念ですが、それを言い出すと第一話の魔力測定器もなんじゃいって話になるので突っ込まないことにします。とかくなろう系のファンタジーはこのあたり現代の制度を無邪気に突っ込みすぎていて、それが魅力になることもあるのですが(「一日勇者」はそのあたりさじ加減がうまかったです)、今回はなんだか妙な居心地の悪さを感じてしまいます。
前回の文章の筋運びの手際を見てからだと、この第二話の筋運びはいささか状況を説明しすぎている気がします。おそらくこの物語における重要なモチーフは「夢」で、それは主人公が最終的に目指す目標を示す「将来の夢」と、過去の因縁と乗り越えるべき障害を暗示する「悪夢」が交互に現れては意味をすり替えていくところにその文章の筋運びが機能したほうがいい。第二話においてはそのトリックはうまく機能しておらず、ただ新キャラとして与えられた「俺」なる登場人物のプロフィールと回想を独り語りで読まされるといった、いささか主人公の掘り下げや主人公のドラマの進展とは遠いところで終わってしまいました。改行も余計なものが多く、それこそストーリーを事件によって先に進めたいのか、登場人物の背景や内面を掘り下げたいのか、いまいち軸がぶれている印象を受けました。第三話はどうなるのでしょう。ちょっと想像がつかないのが正直な感想です。
▼評価
新キャラ・新展開:★★☆☆☆(主人公を取り巻く人物相関図に変化のないまま、別の人物のドラマがはじまってしまった)
予想に対する応答:★★★☆☆(予想通りといえば予想通りだし、予想外といえば予想外。興味を引っ張っていく工夫が少し足らない)
期待に対する応答:★★☆☆☆(物語の内容にちゃんと興味をもたせる事件なり人物の掘り下げがほしい。例えばじぃちゃんが主人公をどこに連れていってくれるのか、とか。そういうものを期待していた)
・2nd評価 :7/15
◆1st評価 :18/20
◆総合評価 :25/35
失翼の龍操士と霹靂 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
第一話はいささか説明的でしたが、世界観と舞台装置の配置はなかなか上等なつくりでした。主人公のぼやきによるちょっとしたノイズはありましたが、おっさんミーツガールと言いますか、いま主人公が置かれている負の日常世界についても周辺の人物相関図とセットで可視化できており、非常に期待の持てる物語になっていたと思います。
いっぽうで、この新しく登場したヒロインと主人公がどのように関係を切り結ぶのか、その関係性の構築によって主人公は自分を閉じ込めている穴蔵の外に出ていけるかどうかが期待のかかるところです。主人公が希望を持つ方向が上下によって秩序付けられているところが非常にエモいので、あとは没入感をコントロールできればシナリオ進行はそのままで立派なハイファンタジー作品として化ける余地があります。
本文感想
前段の段取りがうまくなかっただけで、今回の話はけっこうスマートに進行しますね。
まずなにより、ヒロインとの出会いがうまくいかないところがベターです。そりゃいわれてみればそうで、主人公に信じる根拠がありません。この辺のリアリティ管理も最適で、おまけにヒロインが去っていくのに対して主人公が後ろめたさが生まれる始末。展開としては気分よくないかもしれませんが物語上は必要な措置で、かつ今後主人公とヒロインのあいだに、やがて信頼関係へと転じるための負の関係性が構築できたことを意味します。
状況の進行は比較的オーソドックスな起承転結のリズムによって行われますが、なんだか王道の連載漫画第一話を読んでいる気分で、そんなに嫌な気がしません。
押しかけヒロインのかたちで、あくまで主人公とヒロイン(第一話のヒキとなった新キャラ)の関係性の掘り下げに注力しているところも筋運びがたいへん上手いです。ひとつの場面に拘泥せず、前段からの続きと破局、その事件が日常世界に忍び込むことによって、主人公が日常世界に対して居た堪れなくなっていく運び、夢の中でしか見られない輝かしい過去──と続き、その夢から覚めて、少女の押しかけ訪問です。
一方的にドラマを加速させようとするヒロインに対して、状況を正しく理解しない主人公が抵抗するさまも見事です。
この抵抗、というリアクションを通じて主人公がもっとも大切にしている、そして言葉にできずにいる鬱屈を吐き出させる様は、一種のカタルシスを生み出します。この感情の「禊」がないと、物語がほんらいたどり着きたい正位置=天空という舞台への足がかりができないことも注意が必要です。しかも直前に夢の中で飛翔するイメージを得ているところがより切ないですね。日常世界が地下に位置づけられているのは、実は負の座標なのです。主人公はそれを二回の夢によって肌身にしみて痛感します。もう15年も放浪し、すっかり慣れたはずの心の痛みも、ノエシスの名を語る少女によってふたたび膿んだ生傷へと回復していきました。その積み重ねによって、初めてかれは失われたもの=天空に向かう意志を回復するのです。
ストーリーの表面的な進行は、魔晶石の採掘現場で働く元龍操士が、その過去の経験を蘇らせて魔力嵐という世界観のトラブルを解消しにいくシンプルなクエストになっていますが、このクエストを通じて主人公の内面的な課題がきちんと昇華されていないと、物語としてのほんらいの作用が働きません。それは娯楽作品をたのしむものが多かれ少なかれ期待するであろうもの、「感動」というひとつの効用です。
『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』の作者J.R.R.トールキンは自身のファンタジー論を大学の講義形式で執り行いました。いまでもそれは『妖精物語について』という本によってわれわれは読むことができます。そのなかで指摘しているファンタジーの効能について、「感受性の回復」「現実逃避」「そして破局からの慰め」という3つの要素を紹介します。本作はある意味でトールキンの言う正しいファンタジーの効用を発揮させてくれる、ていねいなつくりの異世界と物語を提供してくれます。
こと日本で一般的に流布するファンタジー作品は、比較的設定偏重型と言いますか、独自の世界観設定を組んだもの、そのアイデアこそが異世界の本質だと考える向きがあるような気がしますが、それは大間違いです。では欧米で流布する、それこそ『ロード・オブ・ザ・リング』や『ゲーム・オブ・スローンズ』、『ウィッチャー』といったハードでシビア、考証の行き届いた泥や汗、血が滲むようなリアルな異世界表現のある架空世界のドラマが「ファンタジー」なのかと言いますと、それもあまり真ではないように思われます。どちらもその着想と観点が、トールキンが指摘するファンタジー(正確には「妖精物語 fairy story」なのですが)の3つの効用を満たしているとは限らないからです。
本作は、すてきなことにこの3つの効用をうまく起動させました。的確に配置した世界観と設定を通じて、空=憧れや理想を配置する「上」という空間的座標を眼差す感受性を喚起し、労働を主とする「地下」の日常世界からの脱出を期待させ、さらに不思議な力によってそれが叶えられる奇跡的な瞬間を授けてくれる。
少女エレアが龍へと変貌するメソッドやメカニズムははっきりいって不明です。しかし重要なのはそこにいま説明が与えられず、窮地に立たされ、無力でいながら空を志してしまった主人公に、ふたたび翼が差し出されたことへの感動・慰めの効用があることに着目しましょう。この時点でドラマ的には一個の完成を見ています。しかしストーリー上、まだ問題はあり、主人公はそれを解決するためにふたたび行動しなければなりません。そしてその行動を通じて、主人公は新たなフェーズに立つことになるでしょう。この字数でここまでドラマを進行してしまう手付きは、前回とはうって変わって美しい所作でした。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(12,000字で「感動」まで持ち込めるのかと感心しました)
予想に対する応答:★★★★★(オーソドックスだがちゃんとドラマをひとつ到達点に導いてくれた)
期待に対する応答:★★★★★(期待以上の出来)
・2nd評価 :15/15
◆1st評価 :17/20
◆総合評価 :32/35
深窓令嬢の真相 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
第一話は比較的スローなつくりでしたが、悪印象はありませんでした。むしろ探偵役のマリ、助手役兼視点人物のジャック、というバディ的なものとして物語を了解しており、本編を構成する事件へのきっかけもほのめかされていました。
しかし言ってしまえばこのふたりと、フィリグリー子爵令嬢、ベルナールだけがネームドキャラクターであり、主人公と事件をめぐる人物相関図が一切存在しないところが、ちょっと痛手かなと思います。
そのため、第二話ではきちんと事件の背景や関係者の人物相関図は少しずつ、場面を通じて展開していくようなものを期待します。
本文感想
おっと、ジャックは狂言回しだったようです。主要な登場人物、というかバディと呼んでいいのか定かではありませんが、大事な二人組はマリとベルナールでした。
とも思ったのですが、ジャックがワトソン役なのは変わりないようで、状況の進展とともにだいたい、マリが頭脳で、ベルナールがサブ頭脳兼実行役、ジャックはおまけという感じなのだろうと踏みました。
すでにどこかで触れたと思うので繰り返しませんが、ミステリの単行本を一冊120,000字で考えるとき、ほんらい長編の本筋をなす事件は30,000字くらいの先でないと発生しません。それまでは何をするかというと、事件が起こるまでの下準備で、特に事件の舞台となるであろう場所の紹介と、犯人を含んだ人物相関図、そして事件が発生するまでの時系列を、公平に描く段取りです。これは本格推理ものを構成するときの一種の競技上のルールみたいなものですが、本作もそのルールを軽く遵守しているものと考えてよいでしょう。ついでと言ってはなんですが、キャラクターが節目節目で見せる本音ダダ漏れのセリフが人間味とおかしみを感じます。
また、本作は上記「本格推理もの」がその構成上取らざるを得ない「本筋の事件が起こる=発覚するまでの段取りが長い」という欠点を、小さな謎をクリアして人物相関図を更新する、というクエスト形式にすることで順当に解決を試みています。脱出ゲームの小謎・中謎・大謎、みたいな感じですね。早い段階から端緒となる謎を提示し、それを解決すると新しい謎がパスされる仕掛けです。アドベンチャーゲーム間もあって、おしとやかにぶっちゃけながら進んでいくさまはリラックスしながら読める感じで好感が持てました。
あと、次の場面の開始一行を文末に置く、という仕方でヒキをつくるのも面白い工夫に思いました。強いて言えば、結局主人公サイドから事件の関係者に対する関係性の構築がないため、ただ事件を解決したというこざっぱりとした印象を受けてしまうことに難点があるでしょうか。そんな感じです。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★☆(ちょっとドラマが薄味だったけど、展開によって状況は進行している)
予想に対する応答:★★★★☆(まあまあ予想通りで、そんなに意外性はなかった)
期待に対する応答:★★★★☆(期待通りの謎解き。小道具やギミックも奥ゆかしい)
・2nd評価 :12/15
◆1st評価 :17/20
◆総合評価 :29/35
官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
本作はなかなか良い感じで始まりましたが、一方で衝撃的な場面は最初だけで、あとはほのぼのとした、健全な人間関係の構築に終始したところが書き出しコロシアム的にはちょっと弱みだったと思います。題材が過激なだけで内容はけっこう健全なところは、松井優征の『暗殺教室』的なものを感じますね。
一方で、青春小説における劇的な場面ってリアルなものを想定すればするほどこういうものだろうという気がして、さじ加減の難しさを感じます。あらすじを見る限り、卒業式とあるのでかれらは高校3年生なんでしょうか。蓼科さんが数Ⅲの教科書を開いているところから、ふたりは理系で、蓼科さんが受験組なのかとも思ったり。うーん。
舞台の田舎性と、都会的な恋愛への憧れから、この小説世界の舞台装置(『失翼の龍操士~』における希望・自己肯定・理想のベクトルが上、失意・自己否定・現実のベクトルが下、という配置のようなもの)が機能してくれればこの小説はもっと奥行きが増します。卑近の田舎、遠望の都会という舞台装置です。そうしたものはこれまでの記述からは正直期待できない気がするのですが、それでも卒業式のクライマックスに向けての布石をいくつか打つでしょう。そのなかには進路相談が入ってくるはずです。田舎の高校における進路相談は「東京に行くか否か」で人生キャリアまで変わる側面があり、ストーリー的にはインパクトのある要素ですね。
また、前回で構築された主人公:高木と蓼科の相関図に、現状は相互に「利用・協力」という矢印が引かれていますが、これが今後どう変遷するのか。あるいは外側から第三者(高木の友人や、蓼科の友人)などが介入し、三角関係か周辺の掘り下げが進むのかも期待ポイントです。
本文感想
思ったよりも淡々と進みましたね。ちょっと期待から逸れてしまった感じがします。
冒頭で前回のあらましをさらっと書くところは『一日勇者』とは異なるアプローチで同じ目論見を達成している点で、奥ゆかしいです。
官能小説家の家に上がって「お勉強会」という名義で会議や情報提供をするさま、ドキドキがちっともないところは、どちらというと青年向けのゆったりとした青春ちぐはぐスローライフ感もあって、それはひとつの味だと思います。もちろん状況の進行としては非常に正しいのですが、こちらも言ってしまえば『保護したおじさん~』と同種のミスがあります。時間と作業だけがひたすら蓄積して、主人公とヒロインの間で生まれた人物相関図に一切の更新が発生しないことがそれに当たります。
もしふたりだけの空間でストーリーを進行するなら、関係性の更新がないとドラマ的には平坦なまま、おまけにイベントも発生しないという二重の浪費になりかねません。リアルな青春なんてそんなもんだと言いたくなるかもしれませんが、12万字の大きな流れを前提に据えたとき、この遅さはちょっとばかり不利だろうという気がしてならないのです。
もちろんいきなり第二話で主人公とヒロインの間に特別な関係が更新されると、もう出オチになるので禁じ手です。申し訳ないが、その点『保護したおじさん~』と同じ過ちをおかしていないところまだ救いがあります。
ではどうしたらよかったかというと、まことに差し出がましい意見ですが、ここからは個人的な妄想を書き連ねます。
まずこのストーリーにおいて不自然な点があります。主人公:高木にも、ヒロイン:蓼科にも、クラス内の交友関係が存在しない点です。設定上はあるかもしれませんが、巧妙に透明化されていて、「周囲の目」というビッグブラザーさながらの監視社会を生き延びるふたりぼっちの様相を呈しているところに青春小説を描きとるための基礎の失敗を感じます。
本記事冒頭の東村アキコの『海月姫』の構造をもう一度振り返ってみてほしいのですが、まず東村アキコ作品においては、女性向け媒体の漫画であることやその作家性の都合から、独りよがりでこじらせた女性が、その内面的課題を克服して異性愛(≒傷つくこと)へと向かい合うという大きなテーマ性が軸になっていることがあります(と言っても筆者は『東京タラレバ娘』と上記しか読んでないので、他の作品は違うと思いますが)。そのテーマ性の軸が縦軸を構成しているため、『海月姫』においても主人公はいきなりヒーローポジションにあたる相手と特別な関係性・感情を抱くと言った、出オチを避ける必要があります。東村作品が取っている手段は、『海月姫』においては主人公を取り巻く日常世界を、その交友関係において表現することです。相手のいる世界ではない、ということがキーポイントです。ヒーローはつねに主人公が安住している日常世界(しかしそこは長居すると主人公の人生を台無しにする可能性を秘めている)をつねに脅かす存在として現れます。主人公はヒーローに対して、嫌悪の情、反発の気持ちを抱き、そこに作品が想定している読者の気持ちを乗せる仕掛けにもなっているわけです。
では、本作における主人公:高木の日常世界はどこでしょうか。コンビニ(自宅)と学校、このふたつになるはずです。
今回の話で現れた高木の日常世界、その人物相関図には漠然とした母親が出てくる以外は、なにもありません。これではいけない。せめてクラスメイトでよく喋る隣の席の同級生やそのクラスカーストのあたりまである程度視野に入れておかないといけません。少なくとも高木にとって蓼科は「ふだん絶対話さない存在」であることから、高木の周囲は「勉強ができなくて」「進路に対して意識が低く」「友達連中とある程度雑談することが授業よりも優先する」ような人間が多くひしめいていることが望ましい。作中本文では高木自身がそれほど周囲に人気のない「冴えない男子高校生」とあることから、それほど積極的に周囲に絡む必要はないですが、話し相手のひとりくらいはネームドキャラで出すべきでした。
中学や高校という世界は、徹底したうわさ社会です。SNSもその点では大して差はありませんし、むしろSNSを通じたいじめなどはより過酷なものになったと言っていいでしょう。筆者は暴力行為を伴ういじめと精神的ないじめを両方小学生時代に経験しましたが(それは余談として)、特に田舎の高校において、クリーンにしたとしても誰かが誰かのうわさをする、ゴシップやスキャンダルといったものでクラスの会話が盛り上がる普遍の事実を見逃してはいけません。本作も地の文でそのことを自覚しています。官能小説家の顔を持つキャラクターを設定した時点でその舞台装置を無視するわけにはいかないのです。であれば、蓼科というキャラクターの「高嶺の花」についても、地の文だけではなく、セリフでそうであると納得させる「クラスの代弁者」を、男女1名ずつ設けるのが妥当と言えるでしょう。
ところで、同級生キャラを設定するとどんなメリットがあるのでしょうか。それは簡単で、「主人公・ヒロインの行動の変化」を具現化しやすくなることが挙げられます。本作でも母親が「そういやあんた、最近よく本を読むようになったわよねえ」という場面がありますが、そもそも全く接点も価値観もカーストも異なる人間同士がコミュニケーションを取っていること自体、青春や恋愛を扱うストーリーにおいては、ミステリ小説の殺人事件なみの大事件なのです。ミステリでは警察がお決まりのパターンのように出動しますが、青春小説においてはクラスメイトが異変を察知してくれないと、お定まりの面白さに発展しません。母親がただ感心しているようでは、ぬるいのです。
これが同級生のレベルで、「おまえさいきん付き合い悪くなったよな」って言われると意味が違うことがおわかりでしょうか。高木の関与によって高木の行動習慣に変化が生まれます。そこに友達が気づき、怪しまれるという手続きを経れば、主人公と蓼科のあいだには共通の「蓼科の秘密を守る」というミッションが生まれます。そのために四苦八苦するさまが、状況を悪化させ、より面白い展開をつくるリソースになるわけです。プラス、このミッションをクリアすることでふたりの関係性のアップデートが可能です。ドラマチックに物語を進行するためにはつねに作中の時間の進行に対してイベントを発生させ、主人公たちに行動によって解決や解消を図る課題を設けるべきです。そしてその課題をクリアすることが、ほんらい目指している人物相関図(恋愛関係だったり、信頼関係だったり)を獲得するように設計してあげないと、字数を浪費するデメリットを被る羽目になります。
そもそも関係者が増えることでバレるリスクが上がっていくものです。それをなんの起伏もなく物語を進めてしまうのはよろしくない。ここにはストーリーのイベント数を減らして、読者が無意識に求める刺激の数を減らしてしまう問題と、もうひとつ、物語を生み出す座標軸が狭くなることが致命的です。エンターテインメント・ノベルをつくる上では、ストーリーをきちんと拡げて、深めていくために人物相関図を意図的に拡張しなければならない瞬間があります。それを読者にバレずに、うまく状況を転がしていくところに作者の手腕が問われるわけです。本作は雰囲気の維持にこだわりすぎて、状況を転がすことに失敗をしていると判断しました。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★☆☆(雰囲気はいいが上記の都合で物語が狭くなり手数の少なさを感じてしまう)
予想に対する応答:★★☆☆☆(淡々と時間だけが経った印象)
期待に対する応答:★★★☆☆(やや期待外れ)
・2nd評価 :8/15
◆1st評価 :16/20
◆総合評価 :24/35
幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
1stSetでは題材の良さを指摘しましたが、正直なところ厳しいかも知れない要素をいくつか感じてます。ひとつは地の文の微妙な可読性の低さ、これは主語が後ろ倒しになって主人公を抜きに状況が進行していく手付きが、果たしてどこまで物語の牽引力になるだろうか、という懸念。そしてもうひとつが、周辺のキャラクターの絶妙な「浅さ」です。
エンターテインメント・ノベルは文芸ではありません。そのため、「自分の生存のために祖国を裏切ったが、そのことを恥じていて、弁明する機会を持っているが、同時に祖国に殉じた同国人を蔑んでいる」みたいな複雑怪奇なリアルの人物を出すとかえって読者から「ご都合主義」「デウスエクスマキナ」というふうに言われます。しかもこうしたリアルなものを扱う純文学の世界においても、せいぜい主人公と対立軸をなすもうひとりの人物の2人までしかこのような造詣を設けることが紙幅上できないもので、たいていの場合、それぞれの立場や理念・行動を代表するキャラクターを分割して登壇させることを求められます。
イギリスの作家E.M.フォースターは『小説の諸相』という創作論で「ラウンドキャラクター(立体的人物)」と「フラットキャラクター(平面的人物)」の概念を提出しています。先述の複雑なキャラクターは、本音の層が幾重にも積み重なって立体的な人物をなしている典型ですが、フラットキャラクターというのは「守銭奴で、けちで、意地悪なあいつ」といった一定のパターンによってリアクションが設定化している人物を意味します。
小説は一定の文字・文章表現のもとに、おもに物語を扱うことで読者にテーマや表現を訴えかける芸術様式です。そして物語における強烈なドラマは、主要登場人物の内面の変遷によって強く印象付けられるものです。ということは、必然的にストーリーの奥深さや深浅をつくるのはキャラクターの人物造詣の深さと直結すると思っておいたほうがいいです。
もちろん、それは極度に複雑化した主人公から、本音と建前の2面性程度に抑えられたものまで、立体的人物の厚みには差があります。しかしこの厚みを一定のレベルで制御できないと、ただ作中のイベントに一定のパターンで反応するだけの群像劇を提供することになり、本作はそのリスクを多分にはらんでいることに注意してほしい。それは言ってしまえば、かつてテレビでやっていたバラエティ番組(『めちゃめちゃイケてる』や『はねるのトびら』)のようなものであり、現代のアニメでは『おそ松さん』や『ポプテピピック』のようなものになる可能性をも感じているわけです(漫画なら『こち亀』かな)。そっちにいくならそっちでもいいんですが、書き出しコロシアムでどこまで挑めるかが懸念ポイントですね。
本文感想
ある意味期待通りというか、予想通りという感じ。タイトルにもある通り、第一話でも書いた通りで、幻獣たちのケアを主軸に様々なゲストを迎えて昇華する──この第二話はその舞台のセットアップをしたかたちとなり、いよいよバラエティ番組的な座組が固まったと見ていいでしょう。そういう意味では非常に順当な物語の作り方に思えました。
ここでわたしが「バラエティ番組的な座組」と呼んでいるのは決して悪い意味ではなく、むしろ近年国内エンターテインメント(主にアニメ作品)においてひとつの方式を確立したものと見ています。その仕掛けは非常にかんたんなもので、レギュラーメンバーを設定し、ゲストメンバーを回を変えて招くことで、事件とドラマを回収していく舞台装置を意味します。
これは、例えば『ウルトラマン』シリーズにおける怪獣退治部隊のキャラクターや、刑事ドラマにおける警察署・警視庁内、『古畑任三郎』シリーズにおける古畑任三郎などの、受け身型の舞台構造をイメージしてもらえるとより明快になるかと思います。とくに昭和の初代ウルトラマンは、ウルトラマンであることそのものにドラマがあるわけではなく、ドラマの主軸はゲスト=怪獣の側に存在します。『古畑任三郎』において、古畑任三郎は主役ですが、どちらかというと感情の揺れ動きや人生の局面を表現するのはゲストたる犯人役のほうであることを考えてみましょう。古畑は原則、犯人と駆け引きをする舞台装置と一体化します。古畑は犯人が引き起こした事件とドラマを落着させシナリオ上の仕掛けなのです。
では、本作はどうなのか。『めちゃイケ』や『はねトび』におけるスタジオが本作では幻獣牧場で、そこには主人公エルンストと、エルンストが好きな元フェニックスの少女フィーネ、そしてケットシーが付かず離れずの妙な座組で構えている。そこに、いろんな都合で幻獣とゲストキャラが登場し、かれらの悩みやドラマを昇華することでドラマは一話完結型のカタルシスを生み出します。この仕組みがわかれば、第一話で感じたリスクはきちんと問題なく処理できたといえます。
ただし次の注意が必要です。この手の受け身型のストーリーは、世界観の広がりとキャラクターのアイデアが尽きない限り、延々と物語を展開することができる強みがありますが、同時に飽きられるのも早いです。
『はねトび』の総合演出の近藤真広氏があとから語ったところに拠ると、「バラエティ番組のつくり」について、興味深いことを語っています。
いちおう、個人的にはなんですけど、
テレビは感情を共有するハコなんだなって思ってる。
(中略)
よくほら、「テレビって情報が必要なんだ」っていうじゃない。
だけど、うちの局でいうと『トリビアの泉』って大ヒットしたじゃない。
みんな「へ~~~~」ってやってました。
だけど、みてた記憶はあるけれど、「へ~~~~」って言った記憶はあるけれど、トリビアの中で出てきたネタを覚えている人はほとんどいない。
それはなにかっていうと、情報が知りたかったんじゃなくて、「へ~~~~」って言いたかったんだけだ。テレビってそんなもんでしかない。
上記の動画は好きなときに見てください。
この動画のなかでのコメントを意訳・超訳しながら先に進めると、要するにバラエティ番組は出役の「リアルな感情」を吐き出させ、面白みを演出していく構造です。そこで一番重要なのは「出役の感情(喜怒哀楽)」というリソースにあたります。
お笑い番組、というフォーマットを徐々に本作の舞台装置の内容にスライドさせながら話をすると、まずこの手の「感情の昇華」を目論むエンターテインメントをつくるにあたって、キャラクターがだれなのかを早々に読者に提示しないといけません。どこのだれともわからない人間の喜怒哀楽に、ぼくらは興味がないからです。したがって第一話はその人物相関図を作成することに重きを置いたかたちになります。これが組み上がって、幻獣牧場というバラエティ番組の舞台装置が完成すれば、あとは登場人物の喜怒哀楽を適切に引き出す事件や新キャラを招き入れればストーリーが機能します。
先人の教えは重要です。「どんな番組だってだいたい10年くらいやってりゃ出役の喜怒哀楽ってだいたい使い果たしていく」という動画中の指摘は傾聴に値します。つまり、この舞台装置の弱点は「完結を見込んだストーリーを組めない」ということです。主人公を含んだメインキャラは立体的であってはいけない。主人公がなにかの事件を解決し、「幻獣牧場は世のためにならないとわかった。いまから社会運動をしてくる」みたいになったら一座は解散です。そうならないギリギリのラインを維持しながら、でもちゃんと出役の感情を、喜怒哀楽をうまく引き出してく、という事件の配置が今後重要になるでしょう。
少なくとも第三話では、今回やってきたゲストの事件の解決と、主人公の決意表明みたいなものを期待しますが、これは長く続けられる逸材です。長期連載を意識する場合は上記の動画で語られていたことを思い出してください。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(この路線で攻めるなら、第三話は期待していいですか?)
予想に対する応答:★★★★★(当初の読みとは異なるチェンジアップだがむしろ良い感じです)
期待に対する応答:★★★★☆(期待に対してはフラット。次回の期待は高まる)
・2nd評価 :14/15
◆1st評価 :17/20
◆総合評価 :31/35
転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
本作は初期段階で読んだのと、文章と世界観が独特だったので面白く読んでいたものの、あとから思うとほかの作品の個性の強さに少し埋もれてしまった可能性がありますね。やはりキャラクターの動機づけや共感可能な周辺の描写、特に喜怒哀楽を理解する前のプロフィールの理解がいささか説明的だったのが痛いです。
もちろんその紹介の手続を簡略化するために異世界転生という仕方を選択したとは思うのですが、『無職転生』のような「生前の強い後悔」といった共感可能なものを提示できなかった弱みはあると思いました。
本作の今後については、正直皆目見当がつかないです。だから出たものをとりあえず受け止めていくかたちで考えたいと思います。
本文感想
主人公が何者なのかの共感可能なプロフィールがちょっと浅いまま、堕天使オリビエルの人称に切り替わりました。ある意味意外なスイッチですが、『うらみあい』における人物相関図のリセットではなく、一定のほのめかしも含んで、状況の背景掘り下げも進む辺りは興味深いです。しょうじき主人公ズ(といっていいのか)のふたりの背景を理解するのだけでけっこうページ数を使いそうな気がするので、彼らが置かれている状況のちぐはぐしたものをコメディとして楽しむにはもう少し段取りが必要な気がします。
このあたり、ゲームという原作ありの世界観、という制約が裏目に出ている気がしますね。作中の筋立てに対する一定の予想は提示できていても、そのなかで起こる「想定外のドッタンバッタン大騒ぎ」という状況に対する読者がどう受け止めていいかのつくりが若干弱いです。『幻獣牧場~』の章で紹介した『はねるのトびら』総合演出の言葉を一回通しで視聴してみてほしい。本作はその舞台設定や登場人物がなにかを演じているところからして、比較的お笑い番組のコント的なところがあります。舞台や演劇的な世界の創造には成功しているのに、キャラクターがきちんと立っていないまま、深みに入ろうとしているところが技術点的には惜しいと言わざるを得ません。
しかしこの話はほんとうに先が見えません。そもそもあらすじ的に与えられたお姫様になりたいvsパンクファッションの対立軸がいまいちピンと来ないままなので、サスペンス的なものを期待できそうにないのも難点です。別にホーム・アローンとかをする必要はないんですが、お互いがこだわりあってて、くだらないけどおかしみを覚えるという状況設定がこの作品の面白がりポイントだと思うのですが、それがうまく機能してないのががっかりポイントだったりします。理由はキャラクターが共感可能なものを提示しきれていない気がしていて、「なんか必死な事情でこだわりの強い男女がいがみあってる」っていう印象が残ってます。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★☆☆(対立軸の見通しがよくなった)
予想に対する応答:★★★☆☆(ストーリーは進行してるけど、何を予想すればいいのかしら)
期待に対する応答:★★★☆☆(同上 期待値のセッティングがあいまい)
・2nd評価 :9/15
◆1st評価 :16/20
◆総合評価 :25/35
死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい 2話
前段の予想と期待(印象値の整理)
この作品は、しょうじき書き出しコロシアム上では不利だと思ってます。理由は端的に、文章の課題です。しかし逆にいえば、文章をエンターテインメント・ノベルの方式に実装できれば、内容面はそんなに悪くない気がしました。場面の進行は文章面でのもたつきが先行した印象を残しますが、きちんと文末にヒキを意識しているところから、作者がきちんと企画を念頭に置いてストーリーを考案したのは間違いないと思います。
文章のどこが、という話はここではなく総評的なもので別途言及してみようかと思うのですが、今回は場面の移り変わりというプロット・シナリオレベルの抽象化した内容にのみ触れてみようと思います。主人公とヒロイン、そしてヒロインが思いを寄せていると思しき「先輩」の存在ですね。このドラマ的な人物相関図がどう推移していくのかを見ます。
本文感想
文章のもたつきがなければ、というのはつくづく思います。今回新たに名前が明らかになった「おばあ様:笠原古都音」のビジュと含蓄に富んだセリフは、主人公とヒロインのすれ違いのドラマに深みを与えてくれる良い配剤でした。恋愛のドラマはこうしたすれ違いの苦しみをちゃんと描こうとするとネガティブなものになりがちです。主人公やヒロインの苦境に対して、良いアドバイスや良い相談役になれる人物相関図の配置は、この手のドラマには必須の事項なのです。
それでも収まらない主人公の気持ちの懊悩や回想の刷り込みは、ていねいに読める余裕さえあれば適切な描写の連続です。「ぬるま湯のプールに浸かったような」という比喩は、実に的確で奥行きも感じます。文芸由来の文章の厚みも感じますが、これこそがWeb小説と相性が悪いのだというところがもったいなさも覚えます。
文章そのものについてはなるべく言及しないといいつつも、思った事があるので合わせて併記すると、Web小説における読者は、語弊のある言い方をすると「文章を読まない」と思ったほうがいいと思います。ではなにやってんだっていうと、「文章を〝見ている〟」のです。つまり、どこまでいってもブラウジングしているわけです。だから漢字の多いもの、難読語の多いもの、馴染のない用語が羅列するテキストを、直感的に弾くことになる。主述関係が複雑な構文も、無意識に弾かれるか、読んだとしても非常に表面的にしか読んでもらえません。
「読む」=読解するという行為には、その言葉の簡単さに対して、複数の意識的な作業を必要とします。まず媒体を操作し、コンテンツを表示すること。それに対して目を走らせ、視認すること。たいていの読者はこの「視認」の作業を「読む」と言っています。視認の上、文章から受け取ったイメージを脳内で展開する作業と、文章そのものの意味内容を解釈する作業が同時に走り、ある種の読者は前者に偏って〝誤読〟を起こします。とくにいまかいているような、改行の少ない段落構成だと、読者は自らの意識がどの段落のどの行に位置するかの場所感覚を見失いがちですから、より一層作者の予定していない誤読は発生しかねません。
この誤読を極力減らし、正しく、端的に読者にイメージをしてもらうためにWeb小説では改行と短文(単文)を極めて重要視します。
しかし、小説というものは一文一文が意味した内容を、次のテキストに引き継がせ、小さな意味内容の積み重なりがやがて大きな出来事や思想の伝達になっていくことにその面白みがあるわけです。このあたりの葛藤で苦しむ作者をわたしは何人も見てきました。ほんらい読解という行為は、こうしたテキスト上で表現されたことと、読者のうちで発生したイメージのあいだをどうつないでいくかという、さらに深い想像力による作業のことを指すのですが、そのことに到達できないまま、どうやって〝正しく〟伝えるかというところに終始しているのが昨今の文章作法・創作論です。
はっきり言いますがわたしはそういうのが苦手です。可能なら、もう少し読解の多重性というものを持っていないとそれは物語とは言いにくい。もし作者が思った通りにテキストを操り、読者の喜怒哀楽を意図した通りに導くことが〝正しい〟創作論だと言うならば、それは芸術ではなく政治です。陰謀論者が心理操作(サイオプ)と呼び、かつて洗脳と呼ばれた行為とそれは表裏一体のものでしかない。しかし創作行為とはそんなに簡単な、単純化されたものではありません。
本作の、登場人物の内面で発生する「理屈でわかっていてもどうにもならないもの」を直接扱おうとする挑戦には敬意を評したい。
いっぽうで、それはもっと巧妙な可読性の戦略とセットで表現しなければ、そもそも手にとって読んでもらえないという残酷な現実もあわせて指摘しなければなりません。わたしが前回記事から今回の記事でも口酸っぱく言っている〝可読性〟というのは、このWebブラウジングという媒体上の制約をどう受け止めるかという話です。書くべき内容をただ書くのではなく、読者の意識・関心のテーブルにどうやって乗っけていくべきか──このことを考えるためにも、この企画やこの記事が役に立ってくれればさいわいです。
▼評価
新キャラ・新展開:★★★★★(おばあ様がステキ)
予想に対する応答:★★★★☆(第三話どうなっちゃうの?!)
期待に対する応答:★★★★☆(文章レイアウトを無視すれば、いいものを書いていると思う)
・2nd評価 :13/15
◆1st評価 :13/20
◆総合評価 :26/35
採点結果
2ndのみ
15点グループ
・『Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営』
・『贋作公主は真龍を描く』
・『「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~』
・『かがやき損ねた者たちへ』
・『失翼の龍操士と霹靂』
14点グループ
・『奥村さん家のガーディアン』(※註:SF加点あり)
・『幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜』
13点グループ
・『うらみあい』
・『Flight to Chaos』
・『死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい』
12点
・『深窓令嬢の真相』
11点以下
・『奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜』 11点
・『転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー』9点
・『官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である』8点
・『魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~』7点
・『保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた』5点
総合評価(2nd終了時点の主観)
同率1位
『Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営』
◆総合評価 :34/35
『贋作公主は真龍を描く』
◆総合評価 :34/35
3位
『「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~』
◆総合評価 :33/35
同率4位
『奥村さん家のガーディアン』
◆総合評価 :32/35
『かがやき損ねた星たちへ』
◆総合評価 :32/35
『失翼の龍操士と霹靂』
◆総合評価 :32/35
同率7位
『うらみあい』
◆総合評価 :31/35
『幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜』
◆総合評価 :31/35
9位
『Flight to Chaos』
◆総合評価 :30/35
10位
『深窓令嬢の真相』
◆総合評価 :29/35
11位
『奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜』
◆総合評価 :28/35
12位
『死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい』
◆総合評価 :26/35
同率13位
『魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~』
◆総合評価 :25/35
『転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー』
◆総合評価 :25/35
15位
『官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である』
◆総合評価 :24/35
16位
『保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた』
◆総合評価 :23/35
投票先
上記の採点結果から、2ndSet得点が満点だったものに極振りしました。
の、はずですが、よく見ると奇遇仙女に間違って投票してしまったみたいです。『HUNTER×HUNTER』みたいな内容だったからつい入れちゃった☆
気になる作品、面白いと思った作品へは1票以上入っているので結果よしとします。なんだか申し訳なさはあるけど。



投票結果(12/2追記)
#書き出しコロシアム
— 書き出しコロシアム 運営アカウント (@Genbu_KIKAKU) November 30, 2024
それでは2nd Setの結果を発表いたします!準決勝・敗者復活戦の結果はそれぞれこちらになります!
準決勝の下位2作品と、敗者復活戦の上位2作品が入れ替わり、決勝へと進みます!
惜しくも決勝に進めなかった作品も、下剋上マッチでの大逆転を狙って頑張ってください! pic.twitter.com/9DAUeFBqQT
面白い大番狂わせになりましたね。
奇遇仙女、けっこうこの記事では厳し目のことを言っていますが、個人的には脳内審査員が半々で賛否両論という感じです。
FinalSetがたのしみですねえ。
2nd総括(12/2追記)
投票結果的には上位層はあんまり予想外はなく、「一日勇者」と「贋作公主」が技術的にも内容的にもバランスがツートップで、「奇遇仙女」が大番狂わせの攻撃力特化ってイメージを持ってます。
「保護したおじさん~」と「奥村さん家のガーディアン」がシンプルに予想外でしたが、そういうこともあるかなあって感じです。
次回記事はFinalSetの話そのものに対しての感想を描きますが、1stSetからの通しで読んでの所感を書く総評記事も別途書く予定。しんじゃう。
ということで、頑張りまーす。自作も頑張る!