自分のダメな部分を受け止めると気が楽になった話
こんにちは、やくみです。
はろこみで手帳を買ったのに、全然手がつけられてなかった。ついに、手帳がかけました。そこで、自分軸手帳部で一年の振り返りをしたので、noteがかけました。嬉しい!!独りだとぜっっっtたいできていないけど、みんなで取り組んだから振り返ることができました。いい年末!感謝!!
今日は2020年振り返り、内省編
自分の弱みに目を向けて、開示できた
去年の12月の私。
収集癖があるので、情報や新たな知識はどんどん集めたい。いろんなことを見聞するが、情報が集まるわりに、アウトプットが全くできず。インとアウトがアンバランスで思考は常にグルグルモヤモヤ。
じゃぁ、アウトプットすればいいじゃんって思うでしょ。でも見栄が邪魔して、こんなことを言ったらバカにされる、とかめっちゃ少ないフォロワーが減る、とか思ったりして。アウトプットするにも、他人の視線ばかりが気になっていました。
他人視線で言えば、夫婦関係でも同じことが起きていました。いつもいい妻に思われたいから、言いたいことがあっても、飲み込んで飲み込んで爆発。こんなサイクルを続けてしまった時期がありました。さいあく。まーこれには、私の承認欲求を夫だけに向けてたっていう、別の問題もあるけど。当然夫からしたら、そんな妻重くてしんどいし、私もこんな自分嫌だ、って思っていました。
このままだと自分が苦しい、変わりたいと思って、7月からスタンドエフエムを始めました。9月にはnoteで思っていること、考えていることをアウトプットし始めた。(個人的には視覚優位だから?、noteの方が音声配信より気持ちや考えの整理には効く)
noteでは、見栄を張って人に言いたくないこと…育った環境で寂しさを感じていたこと、夫とうまくいってなかったこと、仕事に自信がないこと、など弱みを開示し始めた。誰かにいいね、されたら、こんなダメな自分もありじゃん、って思えてきた。弱みを受け入れたら、好転してきました。自己受容ですな。自己開示し始めたら、自己受容ができるようになりました。これはマジでいつも読んでくださる皆様のおかげです。感謝!
こんな(←ついつい卑下するクセやめたい)私のアウトプットも誰かが読んでいいね、してくれることが嬉しかった( ; ; )ホントに。私は、ネガティブな自分ー ダサくてダメな自分のイチブーを認められない頑固な性格だったんだとようやく気がつきました。これは、他人に対してもその刃を向け、ダサくて、ダメなところがあると、そこだけで人を評価するところもあり(元カレたち兄よ…)私の”正義感”を振りかざし、周りの人を苦しめていたかもしれない、と今は思えます。成長したね、私ヨシヨシ。
ダメな自分を責めない、ダメな部分もあっていい
対人関係だけじゃなく、自分自身が生きやすくなったのは、ダメな自分でもいいって、思えたから。私のバカバカってやらないようになってから、生きやすい気がしています。ある人に「肩肘張らない態度がいいと思うよ」、とおっしゃっていただけ、自分はイキっていたんだな、と気がついた。きっと周りから見たらできてないんだけど、そんな自分が自分で認められず、いつもデキる自分でいたかった。汚点のない自分じゃなきゃダメって、自分を縛っていくことをやめ始めることができました。これのおかげで今、2020年の年末は心が軽いです。
夫との関係性もよくなった
夫との話し合いもあり、自己受容でき始め、友達もきっと、読者の方と一緒で、本当に仲良い友達ならネガティヴな私も受け入れてくれる物だと、他人を少し信頼できるようになりました。上手くいってないことも、上手くいってない、と言えるようになり、”悩みの小出し”もできるようになりました。別に人間不信ってわけじゃないけど、イマイチ他人の心を信頼して飛び込むことが苦手で、家族であっても少し距離のある人間関係をしてきたし、それが心地よい自分もいます。
2020年は仕事と夫に目が向いていたなー。コロナで友人に会えなかったしね。
自己承認欲求の塊になっていたけど、夫が夫婦の時間を前よりもとってくれるようになり、夫婦貯金(お金じゃないよ、夫婦で過ごした時間と絆)が少しづつ貯まって、夫へ子どもをギフトしたいとも思えた。自分の土台が満たされると、他者へのギブをしたくなるんですね。(すごい幸せそうやん自分w)[ギブ]も自分の幸せだ、と気がつけたのもでかい。もともと妹だから、与えられる喜びが圧倒的にすきだった。
でも、誰かに喜んでもらえるなら、[ギブしたい]という気持ちがめきめきと成長して、2021年はギブを通した自分の幸せを考えたい。
いつかは子どもを
って、思えた歳だった。子ども?んー大変そうだからいーや、って思っていたし、今でも来年は妊活始めなきゃな←、ってくらいにしか思えてないけど。いつかは産みたい、かも。自己開示→自己受容したら、気持ちの向きが変わってきました。
また、友人が「たとえ離婚しても私が死んでも、私はこの子を産んだんだってことは消えない」、と言っていて、ごもっとも!と思ったから。生きる意味は仕事や趣味、家族・夫・友人 ー大人だけの完成された世界ー だけじゃないのかもって少し足を踏み入れた感覚。大人だって完成されてないけど、子どもに学んだり、子どもに与える愛や、子どもから受ける愛とかがあるんだと垣間見れた。それははろこみの、今日のクスッとほっこりから。子育ての大変そうな世界はツイッタでよく見えるけど、私の知らないポジティブな世界は、それはそれは広がってそうなことに気が付いた。いつかはそちらへ足を踏み入れたい。
今日はここまで。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
書くことで頭が整理されるし、自分は結構幸せかもって思える。悩んでいるそこのあなた、note書いてみるといいかもです。誰かに応援してもらえるし、内省もはかどります。