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PLAYERS’ INTERVIEW vol.8 二浦瑞樹
ヤクルトレビンズ戸田の等身大を皆さまに知っていただく「選手が語る」コーナー。前回はフォワードリーダーの横山大輔選手にインタビューをしました。今回は、大きな怪我を何度も繰り返しながら試合に出場するため努力をかさねている二浦選手です。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっていた2020年4月に入社をし、リアルで会うことを制限されていたからこそ、周りの仲間や職場の同僚との絆を深めてきたそうです。ラグビーをはじめたときのこと、大きな怪我をしたときのことなどをインタビューしました。
(取材日:1月18日)
サッカー少年からの転身
――ご出身はどこですか?
東京都府中市です。ラグビーの街ですね。
――ということは最初に触れたスポーツもラグビーだったんですか?
いえ、保育園のときからサッカーをしていました。今シーズン、ホストゲームとして試合を予定しているAGFフィールドやアミノバイタルフィールドで練習していました。
――家が近かったんですね
自転車で通っていました。
――サッカーはいつまで続けていたのですか?
小学校6年生までです。
――ラグビーはいつから始めたのですか?
中学校に入学したときからです。
――選んだ理由を教えてください
実は、当時ちょっとだけ太っていました笑。この体があれば通用するのかなって単純に思っていたのと、サッカー部入部希望者がめちゃくちゃ多くてレギュラーを取る自信がなかったことも要因の一つです笑。
――サッカー少年がラグビーを始めることをご両親に相談はされたのですか?
いえ、自分自身で決めましたし、決めたことに対して何も言わず応援をしてくれました。
――ラグビーの面白さを感じた場面ってどんなところですか?
ラグビーっていろんな角度から面白さってわかるスポーツだと思うんです。あとはその当時、明治大学で監督をされていた吉田義人さんが、仲間のために体を張るってテレビで話していて。面白さを感じる前に、その言葉がすごく印象的でした。
――ラグビーを続けている中でどのポジションを経験しましたか?
中学1年の時がスクラムハーフ、中2がフルバックで、そして中学3年からはずっとスタンドオフです。
――複数のポジションを経験してきましたが、スタンドオフはどんなポジションですか?
色々なスキルが求められるポジションです。状況判断も早くなければなりませんし、パスやキック、ラン、タックルの精度も求められますし、大変ですがそこが面白いんです。
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――明治大学の附属中学に進学をしましたが、明治大学でラグビーをしたい思いはあったのですか?
いえ、今となってはよかったと思いますが、その当時、大学進学のことまで考えられていなかったです。中学生で大学を見据えて受験していないと思います笑。ラグビーを続けて面白さが増していったから大学でも続けようと思いました。
――高校進学をしてからもラグビーを続けるつもりだったんですか?
はい、もちろんです。ラグビーを続ける一択しかなかったです。
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夢の花園出場をかけた試合は雨の中で絶たれた
――高校ラグビーの思い出を教えてください
やっぱり高校3年生の花園予選決勝ですね。その当時、私たちの学年はラグビー推薦で入部した選手が多くて、花園出場も狙える戦力でした。しかし力及ばず敗戦しましたが良き思い出ですね。(明大中野高10-29東京朝鮮高)
――悔しかったですね
当日大雨の中で試合が行われました。私は開始早々に脳震盪で倒れてしまったんです。最後まで試合には出続けましたが、負けたことがショックだったのと、脳震盪も重なって記憶が曖昧でした。会場の秩父宮ラグビー場から救急車で病院に運ばれました。
――悔しい思いもあったので当然大学でも続ける意思はあったのですか?
実はちょっと迷ったんです。高校3年生の夏頃、監督と進路の話をする機会があって、当然進学しても続けるんだろ?って言われました。その場では続ける意思を伝えましたが、ラグビーを終えて他のスポーツでもやろうかなって思ってもいました。
――しかし明治大学に進学をしてもラグビーを続けようと思ったのはなぜだったんですか?
ラグビーが大好きだったからです。選手として通用するかどうかとは考えず、純粋に続けたかった思いが強かったんだと思います。
――実際に入部してみてどうでしたか?
ありきたりですが、こんなすごいところに飛び込んでしまったなって感じました笑。周りのみんな、ものすごくラグビーがうまくて。
――二浦選手の同期は何人いたのですか?
推薦で入部した19人と附属で入った6人合わせて25人でした。その当時、附属高校出身者はラグビーを続けたい意思があれば入部できました。今はセレクションを行い、選ばれた人材のみが入部できる狭き門になったらしいです。
――その当時の練習などにはついていけましたか?
なんとかついてはいけていましたが、ただ練習をこなしているだけだったなと思っています。でも、辛くて辞めたいと思ったことはなかったですね。
――辛くても続けようと思った根源はなんですか?
仲間の存在です。周りの仲間に恵まれていたので、ラグビーの練習は厳しかったですが大学ラグビーは本当に楽しかったです。
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――紫紺ジャージーに最初に袖を通した時期はいつですか?
大学2年の春季大会です。でも、試合には出場できなくて笑。ただ3年生になったら認めてもらって、試合に出場できるようになりました。
――大学の後半は充実されていたそうですね
はい、3年次は夏合宿ごろまでは調子が良くてスタメンの10番を背負っていました。しかし、4年次は怪我もあり、秋のシーズンの出場は1回のみでした。
――大学3年のときに全国優勝を果たし、最終学年は決勝まで進みましたね
はい、4年のときは決勝戦で早稲田大学に敗れました。私はスタンドで観戦をしていましたが、膝をガチガチに固めていました。
大きな怪我を繰り返してラグビーがより好きになれた
――何かあったのですか?
4年次の11月に前十字靭帯を切ってしまい、12月に手術をしました。年越しは病院で過ごしました。同じ病棟の方と一緒に初日の出を見ていましたね笑。
――卒業前に大きな怪我をしてラグビーを続けることを諦めようと思いましたか?
いえ、思わなかったですね。
――ヤクルトレビンズに入ったきっかけを教えてください
実はヤクルト含めて3チームほど自分自身の中で検討をしていました。ヤクルトは多田(潤平)さんに連絡をしてきっかけを作っていただきました。私が大学のときのコーチに多田さんの先輩がいらっしゃって、そのコーチから多田さんに連絡をさせていただきました。
――ヤクルトに入社した頃の話を聞かせてください
最初の1年は新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっている最初の頃で、会社もそうですがラグビーにも想像以上に関わりを持てなかった時期でした。新入社員研修もいつもより短くなりましたが、その分同期との絆が深まりました。
――ラグビー部の寮も感染対策から分散して生活したそうですね
はい、2〜3人に分かれて暮らしました。私は牧野(真也)さんと一緒の家になりました。牧野さん、めちゃくちゃ料理をされるんです。ミートソースやおつまみなど私にも料理を振る舞ってくれました。大勢で暮らす寮生活とは違った楽しさがありましたね。
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――現在入社何年目ですか?
今5年目です。
――両立すること慣れてきましたか?
最近ようやく慣れてきたと感じています。でも時々大変だなと感じることもあります。
――社会人と大学の練習で差など感じていますか?
やっぱり大学時代は、プロって感じるくらいラグビーに費やす時間が多かったです。その反面、社会人ではフルタイムで仕事をこなしてからの練習になるので、時間がないって感じることもあります。
――やっぱり時間は限られているのですね
そうですね、入社した頃って、単純に時間がないとか、環境が厳しいとか外に矢印が向いていたと思い返しています。ただ、そう思っているのってよくないと思うので少しずつではありますが、自分自身を変えようとマインドセットを意識しました。
――どんな取り組みをしていますか?
今の自分に新しいものを上乗せしていく練習方法や時間の使い方を考えるようになりました。
――何か変化などありましたか?
ラグビースキルはまだまだ成長させなければならないのですが、取り組む姿勢やラグビー感が変わってきたように感じています。
――大きな怪我をしていますが心折れることはなかったのですか?
そのときはかなりへこみますが、まずは怪我を治すことに集中することだけを考えていました。先ほども話しましたが、大学4年のときに前十字靭帯を切ってしまい、手術をどこでするか大学のチームドクターに相談をしたんです。どうせレビンズでラグビーを続けるのなら、そのチームのドクターに見てもらうことが得策だと言われ、日山先生(チームドクター)に見てもらいました。
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――逆の膝の前十字靭帯も切ってしまったんですよね?
はい、入社4年目の4月です。
――2度も大きな怪我をしてしまい、ラグビーを辞めてしまう考えにならなかったのですか?
まったくそういう考えにはならなかったです。実は1回目の手術をしてしっかりリハビリもできて、治りが順調だったんです。周りが言うには回復が早く、テーピングをしなければならない時期でも外して走ったりできましたので、2回目に切った際は不安よりも日山先生に委ねていれば安心だって思っていました。とにかく早く怪我を治して復帰することだけを考えていました。
――強い心を持っていますね
いえ、ラグビーが大好きだからだと思います。でもうまくいかないことももちろんありましたよ。ラグビーをしている時間から離れましたので、うまくいかないことだらけのときもありました。
――やっぱり怪我の影響を感じずにはいられませんでしたか?
まったくないです。しっかり治してくださいましたし、ラグビーがうまくいかないのを怪我の理由にしたくはなかったです。そこに逃げたくなる気持ちも分かりますが、うまくいかないのは決して怪我のことではなく自分自身の気持ちに原因があると考えています。
――二浦選手のラグビーを終えるタイミングって考えたことはありますか?
面白くなくなったときかなと思います。ただ、自分の頭の中で考えていることが体で表現できなくなったときに思うかもしれません。だから多田(潤平)さんは本当にすげーって思います。私の7年上の先輩ですが7年後に多田さんと同じような動きができるかって言われると自信がないです笑。西條(正隆)さんもすごいと思います。常にどこかしら痛いはずだし、その中でも頑張り続けているって、ラグビーが大好きじゃなければできないと思います。
チームのため、仲間のため、そして自分のためラグビーを追求し続ける
――リーグワンが開幕をしています。感情が高ぶっていますか?
はい、日に日にこのチームで試合に出たい気持ちが膨れ上がっています。
――このシーズン、自身で何か目標を立てていたりしているのですか?
私はそう言った目標を立てたりすることしないんです笑。ただ、現在、ウエイトルームに掲げているチームフラッグに、「ラグビー追求」と書きました。もちろんラグビーを上手くなりたいこともそうですし、ラグビーというスポーツをもっと理解したいと最近思っています。
――試合に出場したらどんな選手と戦ってみたいですか?
狭山セコムラガッツの忽那鐘太選手です。大学の1つ上の先輩です。あとはルリーロ福岡に所属している松尾将太郎選手です。二人とも同じディビジョン3なので、ワクワクしています。あとは大学同期の洋介(石井、現クリタウォーターガッシュ昭島)ですね。洋介の場合は戦いたいというより一緒のフィールドに立っていたいですね。
――会社の同僚に向けてメッセージをお願いします
本当にありがたい存在です。今チームで作っているうちわに私の顔写真を貼って応援してくれているんです笑。出場できていない中でも応援してくれていて、早く出場してみんなに喜んでもらいたいです。多分、会場にきてくれると思います。もちろん試合に出場するのは自分自身のためでもあると思いますが、チームの勝利のために私が必要だと思ってくれ、仲間が喜んでくれるのであれば本当にラグビーをやっていてよかったと感じられると思っています。
――ファンに向けてメッセージをお願いします
まだまだ無名な二浦ですが、自分の力を発揮してしっかりチームに貢献できる選手であるところをみてほしいです。レビンズのファンになってくれる人が増えれば私たちのチームの価値が高まっていくと思っています。
――二浦選手にとってラグビーとはなんですか?
かけがえのないものですかね。
――ありがとうございました
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取材後記
普通のサッカー少年がラグビーの世界に飛び込んできた、それが二浦選手。ラグビーが好きになり、魅力を感じ現在もラグビーを追求し続けています。こんなにも大きな怪我を連続して経験をしているにも関わらず真摯に向き合っている姿がとても印象的でした。会話の節々で仲間に愛されている選手なんだと感じずにはいられませんでした。二浦選手のリラックス方法を伺うと「家をきれいに保つこと」。芯の強さが見えた二浦選手ですが、職場の部署異動のために開かれた送別会で感極まって号泣をしたそうです。人の痛みもわかり人のやさしさもわかる心優しい二浦選手に期待したいです。
取材・編集:広報担当
写真:土居政則、ヤクルトレビンズ戸田、本人提供