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PLAYERS' INTERVIEW vol.6 斉藤大智

ヤクルトレビンズ戸田の等身大を皆さま知っていただく「選手が語る」コーナー。前回は昨年末に大怪我をしましたが復活を遂げている堀川太一選手をインタビューしました。今回は今週末に地元・岩手県で開催される「第59回IBC杯ラグビー招待試合」でメンバー入りをした斉藤大智選手です。常に謙虚であれと幼少時代からご両親の教育を受け、ラグビーだけではなく人として成長を現在進行形で体感をしています。学生時代に感じたこと、仲間や家族のこと、そしてリーグワンに向けて今の気持ちをインタビューしました。
(取材日:10月12日※10月17日追記)



悪ガキだった幼少時代に出会ったラグビー


(写真:本人提供)

――ご出身はどこですか?

岩手県紫波町です。

――ラグビーはいつから始めましたか?

小学校1年のときに、父の勧めでラグビーを始めました。

――どこのラグビースクールに通っていましたか?

河川敷で活動をしている紫波オックスラグビースクール(以下、スクール)に通いました

――初めてラグビーに触れたときの感想を聞かせてください

ハマりました(笑)。トライを取った瞬間の歓声が気持ちよかったです。普段の生活では褒め称えられることがないですから(笑)。

――最初にこなしたポジションはどこですか?

センターです。

――センター以外で経験をしたポジションはどこですか?

ウィングや、フルバック。あとは高校時代にはスタンドオフもこなしました。

――色々経験をしてきましたが、どこのポジションが一番合っていますか?

やっぱりウィングですね。ポジションのミッションの1つでもあるトライを取り切ること、僕にでも努力すればできるのかなと。

――小学生の斉藤選手はどんな子供だったのですか?

とにかく悪いことばかりしていました。いわゆる「悪ガキ」だったそうです(笑)。それを見兼ねた父親がスクールに入団させたと後で知りました(笑)。

――スクールではいつまで続けたのですか?

中学生までです。


(写真:本人提供)

おばあちゃんの勧めで始めた柔道で黒帯


――中学校ではどの部活に入っていたのですか?

柔道です。おばあちゃんの勧めで小学校3年生の頃から始めました。中学2年生のときに黒帯をつけるまで成長しました。

――黒帯は段持ちになりますよね。嬉しかったですか?

嬉しい気持ちが大きかったです。でも、亡くなった祖母に黒帯を見せることができなかったことが心残りです。

――中学校の思い出を教えてください

やっぱりラグビーですね。スクールで佐藤コーチの厳しい指導を受けてきました。とにかく親のように接してくれていて、佐藤コーチの指導のおかげで我慢強くなれたと思っています。

――その佐藤コーチの教えの中で特に思い出に残っている言葉などありますか?

そうですね、謙虚であれです。常に口酸っぱく言われ続けていました。どんな時も驕るなよって。

――スクールで一緒だった仲間は同じ中学校でしたか?

ほとんど一緒でしたが、離れた中学校に通っている仲間もいました。

――黒沢尻北高校に進学をした理由を聞かせてください

実は県内外問わず、ラグビー強豪校の進学を考えていました。しかし、両親に猛反対を受けてしまって。

――反対された理由を教えてください

その当時、将来のことまで深く考えていなくて、その瞬間瞬間の感情で選択をしてきました。でも、両親はしっかり将来のことを見据えての考えなのか?って。ラグビーも大切だけど、もっと大切なことがあるんじゃないかと。

――ギリギリまで悩んで結論を出されたんですね

はい、ギリギリまで悩んでいました。黒沢尻北高校は進学校で、勉強についていけるか不安だった面もありました。しかし、ラグビーと勉強の両立は大変かもしれないけど、憧れのトップリーグ(現リーグワン)でプレーしたい思いがあり、大学ラグビーも経験したかったことを考えたとき、しっかり勉強もできる学校が良いと判断をしました。また、小学校の佐藤先生も黒沢尻北高校出身でもあったので。

――高校時代の思い出を教えてください

とにかく勉強との両立が難しかったです。土日は午前中に勉強してから午後に練習というスケジュールでした。

――文武両道の中でもラグビーでは結果を残しましたか?

1 年⽣のときに花園に⾏きましたが。2年生以降は花園へ行くことが出来ませんでした。

――敗れた相手はどこの高校だったのですか?

2年連続、黒沢尻工業高校に負けました。私たちも勝てるだけの練習をしてきていましたが、シンプルに相手が上回っていました。真摯にラグビーと向き合っていて、理解しようと練習以外でもラグビーのことを考えていたと聞きました。感覚だけでは勝てないって今更ながら感じています。

――高校時代の心残りはありましたか?

スクールで仲の良かった仲間と一緒にラグビーができなかったことです。彼とは別々の高校に進学をしましたので。中学校の時に二人で花園に行こうなって夢を語っていました。

――花園出場も果たした高校時代でしたが不完全燃焼だったわけですね

はい、このままでは終われないと思い、迷わず大学進学を決意しました。


(写真:本人提供)

泥臭いプレーから生まれた「ガッツ」


――法政大学に進学した経緯を教えてください

高校3年生のときにセレクションが行われ、監督にこのセレクション参加を勧められました。

――セレクションでは何名が合格だったんですか?

1名です。とにかく泥臭くプレーをしました。私の目に映っていた法政大学のラグビーって、直向きにプレーする姿勢、泥臭くボールに絡んでくるところ、低くタックルをする印象だったんです。私自身の強みが泥臭いプレーだったので、無我夢中で走って、泥臭くタックルをして。後に聞いたのですが、その姿勢を評価してくださり入部が決まりました。

――ラグビー部に入って大変だったことはありましたか?

とにかく上下関係が厳しかったです。今まで経験したことがなかったので圧倒されました。しかし、今中国電力レッドレグリオンズに在籍している東川(寛文)さんがキャプテンになってから少しずつチームの雰囲気も変わっていきました。

――大学生活は快適でしたか?

いえ、なかなか生活に馴染めなかったです(笑)。ラグビー部寮が東京の八王子だったんですが、ずっと岩手の方が良いなって(笑)。あとはラグビー部の仲間とはすぐに仲良くなれたのですが、一般の学生とは卒業するまで友達ができませんでした。ずっとラグビー部の仲間といたら、周りは絶対に距離を置くだろうって私にもわかります(笑)。

――大学ラグビーに戸惑いを感じましたか?

とにかく高校時代とのフィジカルの違いに戸惑いました。でも大学1年生の頃から何試合かは試合に出場していました。なぜメンバーに入れたんだろうって常に考えていました(笑)。

――メンバーに選ばれたわけなので何らかしらの理由はあると思いませんか?

その当時のコーチに言われたことですが、ハードワークする姿勢とランプレーを評価してくれました。私がチームの中で存在感を出すためには、とにかく人一倍走るラグビーを観せることだったんです。セレクションのときも同じように表現していました。コーチは、その当時のチームにたらない「がむしゃらさ」を体現してくれって言っていましたし、その期待に応えるように練習でも試合でもがむしゃらでした。おかげで当時の遠藤バックスコーチからつけられたあだ名が「ガッツ」です(笑)。

――大学2年生以降は充実されていたんですね

はい、試合にも順調に選ばれていて、周りとのコミュニケーションもうまく行っていてすごく充実した毎日を過ごしていましたが、決して順風満帆な大学ラグビー生活ではなかったと思います。

――挫折などあったのですか?

2つあって、1つ目は大学2年生のリーグ戦、第2節の専修大学との一戦です。29年ぶりに専修大学に敗れたことと、この試合に勝利していれば大学選手権の出場が叶ったんです。その当時、すごく落ち込みました。

――もう一つを教えてください

大学4年生のリーグ戦の関東学院大学との一戦で、試合メンバーに入れなかったことです。その前の試合の中央大学戦で納得のいくパフォーマンスが発揮できなくメンバー外となりました。改めて思うとその当時は、自分自身の力を過信しすぎていたんだと思います。ただ、最終戦の専修大学戦に出場することができて2トライをあげました。ちょっとはチームに貢献できたのかと思っています。

――挫折を経験していますが、成功体験などはありましたか?

大学2年のリーグ戦最終節の流通経済大学(以下、流経)戦で勝利したことです。当時は常に上位の成績を収めていたチームでしたが、21対20の僅差で勝利することができました。1年生のときも流経戦に出場していて、最後のワンプレーで逆転負けしていましたので、このときの勝利は本当に嬉しかったです。

――大学ラグビーはどんな存在でしたか?

自分自身の人生を大きく変えてくれました。本当は高校でラグビーを終えて、地元で公務員となって働いている姿を描いていました。しかし、大学に進学して素晴らしい選手と一緒にラグビーをすることができて幸せを感じられました。


(写真:本人提供)

フルタイムで働いてラグビーをすることの難しさを痛感


――ヤクルトレビンズ戸田との接点はどんな経緯からですか?

当時の苑田監督から勧められ、練習参加ではなくプレー動画を送りました。そこで高安(勇太朗、GM兼監督)さんから評価をいただき、入社試験を受けることにしました。

――他のチームからの誘いもありましたか?

はい、数チームから声をかけていただきました。しかし、今まで何事にも両立することの大切さを教わってきましたので、レビンズに入ることを優先しました。声をかけてくださったチームは本当にラグビーが強く魅力的ではありましたが、自分自身が通用するわけないとも思えましたし、なによりもラグビー中心の生活が目に見えていました。その反面、レビンズは仕事とラグビーの両立を求められますし、その環境こそが自分自身を成長させられるんだろうって思っていました。

――仕事とラグビーの両立を体感して最初の印象を教えてください

ついていけなかったです。仕事もそうですし、そもそもフルタイムで仕事をして夜ラグビーをする生活が本当にきつかったです。ラグビーに対しても納得のいく練習ができていなかったと思います。

――今は慣れましたか?

はい、生活は慣れましたが、相変わらず体がきついです(笑)。

――通勤はなれましたか?

いえ、この部分はいつまで経っても慣れないですね。だから毎朝早く出勤しています(笑)。

――生活で気をつけていることはなんですか?

とにかく早く寝ることです。絶対寝る前はスマホを見ないことです。入社したての頃は寝る前に必ずスマホをいじっていて睡眠不足になっていました。だから調子も良くなかったんだと思います。やっぱり睡眠は大切です(笑)。

――何かに迷ったとき、相談する相手は誰ですか?

やっぱり家族ですね。昨年、体調不良でラグビーができなかったときも、家族は心配してくれていましたし、常に相談をしていました。また姉や弟は自分のことのように心配をしてくれていて。何か迷った時には必ず電話しています。家族の存在には本当に感謝しています。

――19日の試合が楽しみですね

はい、岩手での試合は高校時代以来なので約8年ぶりです。IBC招待ラグビーは高校3年間出場していた大会なので、誰よりも思い入れのある試合になると思います。

――ご両親も応援に駆けつけてくれますね

はい、観にきてくれると思います。あと、高校時代の仲間も応援してくれるって聞いていますので、活躍したいですね。

――インタビューから伝わってきますが、家族や仲間が大好きなんですね

もちろんです。今の私を形成してくれた家族ですし、仲間がいてくれたから今でもラグビーを続けているわけなので。



(写真:土居政則)

夢半ばで諦めた仲間の思いを背負って


――リーグワンが12月に開幕をします。今の気持ちを聞かせてください

まずこのチームの一員でいられることに感謝しています。もちろん試合に出場したい気持ちはありますが、このチームの勝利のために何ができるかを必死に考え、開幕戦までしっかり準備していきたいと思います。また、昨シーズンで引退した同期の分も背負ってプレーしたいと思います。

――リーグワンに所属している各チームには体の大きい外国人選手もいますね

正直怖さもあります。大きい選手に向かってアタックしたり、ディフェンスの場面では、1対1のシチュエーションも数多くあると思います。私自身、そんなに強いメンタルを持っているわけではありませんが、ラグビーをしているときだけ強気な自分になれるんです。体を張るって本当に重要なんです。チームのために勇気を振り絞って迷わずタックルしにいきます。

――対戦してみたい相手はいますか?

やっぱり大学時代の同期の根塚洸雅(現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)ですね。彼が私のマインドを変えてくれました。あとは静岡ブルーレヴズに所属している山下憲太です。この間、静岡に遊びに行った際、色々話をしてきました。お互いのラグビー観の擦り合わせみたいなことをしてきました(笑)。というより色々話を聞いてもらいました。この2人はディビジョンが違うので、今すぐ実現できるわけではないのですが戦ってみたいですね。

――リーグワン開幕に向けてメッセージをお願いします

これまで支えてくださった家族や仲間、職場の方々に感謝の気持ちを込めて、勇気を与えられるように頑張ります。特に職場の方々にはご理解をいただき、リーグワンという大舞台でプレーできることに感謝しています。また、ファンの皆さんにとっても今シーズンは特別なシーズンになると思います。皆さんの応援が私たちの力となり原動力になります。皆さんの期待に応えられるよう、全力でプレーしますので、引き続き応援をよろしくお願いします。

――最後に斉藤選手にとってラグビーとはなんですか?

自分自身に勇気を与えてくれる存在です。何よりラグビーを通じて人として成長させてくれていると感じています。

――ありがとうございました


2024シーズン、チーム最初のトライを奪う斉藤選手(写真:土居政則)

取材後記

常に謙虚で優しい心を持ち合わせている斉藤選手。小学校時代の悪ガキっぷりを感じさせないくらい物腰が柔らかい選手です。家族思いで仲間思い。自分自身のことよりまずは相手を重んじる姿勢ですが、グラウンドに立つと誰よりも声を出している姿にギャップを感じます。最近のマイブームを聞くとサウナに行くこと。レビンズに入ってから仲間に誘われて通い出してからハマりまくっているそうで、週1から2回は通っている常連さん。最近は、太田景親選手と一緒に通っているらしく「体をいつも整えてから試合に挑む」ことがルーティンだそうです。

取材・編集:広報担当
写真:土居政則、ヤクルトレビンズ戸田、本人提供

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