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PLAYERS’ INTERVIEW vol.7 横山大輔

ヤクルトレビンズ戸田の等身大を皆さまに知っていただく「選手が語る」コーナー。前回は”ガッツ“こと斉藤大智選手にインタビューをしました。今回は、高校時代にニュージーランドで3年間プレーしたのち、日本に戻って筑波大学に進学。その後NTTドコモレッドハリケーンズ(現レッドハリケーンズ大阪)に入り、リーグワンを経験。その後ヤクルトレビンズ戸田に入団いたしました。今シーズン、フォワードリーダーとしてリーダーシップを発揮してくれチームの中心人物として活躍をしています。海外生活のこと、クラブ選手としての思い、そして新たな気持ちでレビンズの仲間と臨むリーグワンに向けてインタビューいたしました。
(取材日:12月8日)

華麗なステップやキックに憧れた幼少時代


(写真:本人提供)

――ご出身はどこですか?

東京都港区です。

――ラグビーはいつから始めましたか?

小学5年生から始めました。私が通っていた小学校には珍しくラグビー部があり、周りの友達が“あまり“選びそうにもないスポーツだったし、やってみたかったので入部しました。

――ラグビー部に入部したきっかけなどありました?

⽗親が⾼校時代にラグビーをしていました。 私が幼い頃に⽗親が秩⽗宮ラグビー場に連れて⾏ってくれていました。けど、そんなに⾯⽩いって感じていなくて、 ゴール裏スタンドのコンクリート壁でよくボールをぶつけて遊んでいました(笑)。

――どの試合をよく観戦をしていましたか?

大学も社会人も観戦していました。当時、トップリーグが始まった頃だったかと思いますが、NEC(現グリーンロケッツ東葛)が強かった印象があります。

――その当時、横⼭選⼿の⽬に映ったラグビーは、かっこよかったですか?

その当時、スタンドオフ(以下 SO)のプレーが⼤好きでした。華麗なステップで相⼿を躱したり、鋭いパスでトライを演出する姿が⼤好きで憧れていました。

――実際にラグビーを始めて感じた印象を聞かせてください

芝生の上を走り回れて、ものすごく楽しかったことを覚えています。とにかく気持ちよかったです。

――横山選手が経験をしたポジションはどんなところがありますか?

小中学校ではSOとフルバック(FB)で高校時代にはセンターも経験しました。大学に入ってからはセンター(CTB)とウイング(WTB)を2年生まで行って、3年生になるタイミングでナンバーエイト(No.8)にコンバートしました。

――ラグビーの魅力にハマったそうですね

はい、私の性格は一つのことを探究する癖があり、ラグビーをするのもそうですが、同じくらいラグビーをたくさん観ていました。海外のラグビーを中心に時間があればよく観ていました。

――ラグビーを観ることの目的は何でしたか?

単純に面白いので観戦している感覚です。あとは、自分自身のプレーに活かせたらいいなと思っていました。

――海外ラグビーは当時の横山選手にとって魅力的だったのでは?

そうですね、幼い頃って体もスキルも備わっていないため華やかにプレーできるわけでもないので、テレビに映る選手のプレーに憧れを持っていました。そのプレーがあまりにもかっこよかったので、真似をしてみたりしたのですが、全然うまくプレーできませんでした(笑)。


ニュージーランド時代の横山選手。タックルをしているのは、現在東芝ブレイブルーパス東京で活躍しているリッチー・モウンガ選手(写真:本人提供)

苦手なタックルが強みに変わったニュージーランド生活


――⾼校進学はニュージーランドに留学されたのですね

はい、 ⺟親からの勧めもありましたし、 私⾃⾝、海外のラグビーを経験したい気持ちがありましたので決断しました。 ⽇本のラグビーよりもっと楽しい世界が待っているんだろうって期待を込めていました。ラグビーだけではなく、⾃分⾃⾝の環境に変化をつけたいなとも思っていました。

――ニュージーランドの生活はいかがでしたか?

南島にある共学の公立高校に進学をしたのですが、とにかく田舎でしたね(笑)。インターネットの普及も進んでいなかったですね。

――何でも揃っている東京とは真逆の環境ですね

東京で暮らしていた生活は何でも揃っている環境でした。インターネットも有線で繋がないといけなかったし、メールを送ることがやっとでした。

――戸惑いだらけのニュージーランドの生活ですね

最初の頃はカルチャーショックで快適には生活できていなかったです。でも、ラグビーがあったから友達もできましたし、考え込む暇もなかったので徐々に慣れていきました。

――言葉の壁を感じましたか?

日本で少しだけ準備をしていましたが、現地の英語はクセがありコミュニケーションが取れるまでは苦労しました。日本で学んだ英語って通用しないんだなって思いました。ただ、ラグビー仲間とは言葉の壁を感じさせないくらい溶け込むことができました。

――生活に慣れるまでどのくらいかかりましたか?

ニュージーランドに来て最初の1年は苦労しました。私の暮らしていた街にはアジア人もいましたけど、ラグビーをしているのは私一人。ラグビーを通じて私のことを一目置いて接してくれていました。

――⾼校⽣活は順調でしたか?

ニュージーランドってラグビー部の存在がスクールカーストでトップなんです。 活躍すればその学校の「顔」 になれるわけなので。ただ私の学校は厳格ではなく楽しく過ごせていましたので、ラグビーを続けられることができたのだと思います。

――自身のスキルが通用するものはありましたか?

中学校時代までは本当にタックルが嫌いだったのですが、大きな体の選手を相手にラグビーをしていましたので得意と言えるところまでスキルを磨くことができたと思います。

――タックルが苦手って、今の横山選手から想像がつかないですね

本当に苦手だったんです(笑)。中学校時代は試合中でもタックルをすることから逃げていたのでセットプレーのときはスクラムを組まされていました。バックスでしたが(笑)。


大学時代のバックスからフォワードにコンバートを転機に活躍し始める(写真:本人提供)


憧れの舞台で仲間とできた大学時代とハイレベルな戦いを求めたドコモ時代


――高校を卒業してもニュージーランドに残る選択をされていたのですか?

残る選択と日本に帰る考えもありました。当時オタゴ大学の進学が決まっていたのですが、日本の大学でラグビーを続けたい思いもあり相当悩みました。

――関東大学ラグビー対抗戦に所属している筑波大学に進学されましたね

はい、無事に合格することができました。

――大学進学をきっかけに日本に戻ってこられましたが、ニュージーランドの3年間は悔いなく過ごせましたか?

はい。とても充実した3年間を過ごすことができました。だから日本がより好きになりましたね。

――大学ラグビーは順調でしたか?

いえ、最初の2年間は試合に出場すらできていませんでした。3年生になりフォワードに転向して徐々に試合出場の機会が増えました。

――どこのポジションに転向したのですか?

ナンバーエイトです。

――最初に組んだスクラムの印象を教えてください

違和感がありました。今までは後ろから眺めていたスクラムだったのでちょっと小っ恥ずかしいというか、自分自身もふわふわしている感覚でしたね(笑)。

――社会人でもラグビーを継続させようと思えたきっかけなどありましたか?

大学3年のときに、大学選手権で準優勝して日本選手権に出場しました。対戦相手はトップリーグのサントリーサンゴリアス(現東京サントリーサンゴリアス)で、その試合が4年生と一緒にする最後のラグビーだったんです。大学生同士の試合とは違い、とてもハイレベルな試合でした。相手もベストメンバーで挑んできていましたし、この感覚を社会人になっても続けていきたいと思えた試合でした。

――進路はすぐ決まったのですか?

いえ、 1・2年生で試合に出場をしていなかったので、 チームから声をかけていただけることはなかったのですが、 トップリーグによる合同トライアウトに参加して NTT ドコモ(現レッドハリケーンズ⼤阪) さんの⽬に⽌まり、⼊らさせていただくことになりました。

――関⻄の⽣活はいかがでしたか?

⼊社して最初の3年は神⼾勤務でした。街並みや雰囲気は私好みでしたね。また、 社会⼈としての基礎を先輩から教わったこともあり思い出に残っている場所の⼀つです。

――入社したとき、チームは地域リーグに所属していましたね

はい、大学4年のとき入れ替え戦で敗れて地域リーグに降格となりました。1年でトップリーグに復帰しましたがまた降格。なかなか上位リーグに定着できていなかった時代でしたね。

――2022年、リーグワンが開幕しましたがコロナ禍でしたね

在籍6年目で新たなリーグが発足し順調にラグビーを続けていくんだと思っていました。しかし、新型コロナウイルスの猛威で3試合ほど中止となり、初年度はチームも私も難しいシーズンとなりました。

――シーズン初年度が終わり、所属していたチームが大きく変わりましたね

はい、NTTグループの再編で私たちのチームはディビジョン3からの再出発となりました。大好きなチームでしたので、残ることも考えたのですが、東京に戻りたい気持ちが強くなりタイミング的に移籍を考えました。

――NTT ドコモ時代の思い出を教えてください

⾼いレベルでラグビーができたこと、 今シーズンからブラックラムズ東京に⼊団をした TJ・ペレナラとトップリーグ最後の1年間、 ⼀緒にプレーできたことです。 ⾮常に素晴らしい選⼿で、 ラグビーに取り組む姿勢は⾒習うべきことが多く、 退団した後でも彼が残してくれた良さをチームが継承し続けられたことですね。


(写真:本人提供)


(写真:本人提供)

戸田の仲間とリーグワンの舞台でラグビーを楽しみたい


――ヤクルトレビンズ⼾⽥に⼊ったきっかけを教えてください

東京に戻る意思を固め、移籍先を探していたときに当時レビンズで FW コーチをしていたチャンさん(張泰堉)から声をかけてくださいました。チャンさんはドコモ時代の先輩です。また⼤学の後輩の占部(航典) がキヤノンを退団し、 移籍先を探していると連絡をくれ、その考えの中にレビンズがあることを伝えられ⾊々考えた結果お世話になることを決断しました。

――レビンズのラグビーをしてみて感じたことはありますか?

私以上に難しい環境の中でラグビーをしているんだなって思いました。でも戸田の仲間はラグビーが大好きなんだって一緒にいてすぐわかりました。

――昔の感覚を思い出したのではないですか?

そうですね、純粋にラグビーを楽しんでいた頃を思い出しました。

――横山選手は現在クラブ選手として活動していますが大変なところはありますか?

ほとんどの選手がヤクルトグループで働いています。私はラグビー部から離れましたが働いている会社はNTTドコモです。ヤクルトグループで働いている仲間と違った仕事の忙しさがあるので、練習に参加するために時間を調整することが大変ですね。

――レビンズは今シーズンからリーグワンに参入しました

私もこのチームに加入をしたときからリーグワンで戦いたいと思い続けていましたのですごく嬉しいことです。

――今、戦ってみたいチームや選手はいますか?

そうですね、同期だったさっしー(指田宗孝)と戦ってみたいですね。今はディビジョンが違うので今シーズンは無理だと思いますが、可能性があるわけなので楽しみにしたいです。

――12月から始まるリーグワンに向けて意気込みを聞かせてください

シーズン開幕から2戦続けてビジターゲームが続きます。このリーグワンに所属しているチームと対等に戦えるまで仕上げてくれましたので結果を残せるよう、個人的にも頑張りたいと思います。

――応援してくださるファンの皆様にメッセージをお願いします

本当にファンの皆様の声援って⼒になるんです。 ⼩さい頃からラグビーを続けてきていますが、どの世代になっても声援を送ってくださる方には感謝しています。「やっぱり横⼭って良い選⼿だな」って思ってもらえるように、良い意味で皆様の期待を裏切らないラグビーをしていきたいと思います。

――最後に横山選手にとってラグビーとはどんな存在ですか?

ラグビーですか。一言で言い表すのって本当に難しいですね。今までの私の人生を振り返ると人生の「軸」になっている気がしています。ニュージーランドへの留学を決意したことだったり、筑波大学進学を選んだこと、社会人の今を形成しているもの、すべてラグビーが軸にあるんですよね。

――ありがとうございました


(写真:土居政則)
(写真:土居政則)

取材後記

とにかくこだわりの強い横山選手。自身で言うように一つのことを探究する姿勢はラグビーにも通じていると感じました。また英語が堪能であることから、外国人選手との橋渡し役を担ってくれています。また、ラグビーオタクと自分で言うようにラグビーIQが高い選手であります。FWリーダーとしてチームを引っ張り続ける姿勢に心打たれる人も多いと感じました。最近のマイブームは日本茶を淹れることだそうです。繊細さとダイナミックさを持ち合わせている横山選手のこれからに期待したいですね。

取材・編集:広報担当
写真:土居政則、ヤクルトレビンズ戸田、本人提供

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