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思春期の決断〜他人と違うことを受け入れられなかった中学生の私へ〜

これは私が中学生だった時の出来事です。

夏休みが終わり、二学期が始まると、体育祭練習、長距離の授業、音楽祭に向けた合唱練習が始まります。
生徒たちにとって、楽しいようでキツい試練をいくつも乗り越え、クラスの仲を深めていく時期…。

学校行事に全力で参加するタイプだった私は、ある日の体育の長距離授業で倒れてしまいました。
病院に運ばれ、貧血が発覚。その後の検査から、難病だという診断もつきました。
そこからは、1ヶ月の治療入院。
しかし、完治することはなく、体育祭、合唱祭当日も参加することができないまま、2学期を終えました。

その後、体調は安定しませんでしたが、中学3年生になりました。
私のクラスは、とても厳しいことで有名な先生が担任となりました。

「頑張っているかどうかは、誰からみても頑張っていると思われるかどうか」
「”頑張っているつもり”は、限界を自分で決めている」

そういった考えをお持ちの方だったので、私はその言葉を真に受け止め、”誰からみても頑張っている、誰がみても一生懸命に思うように”と、学校行事に精一杯取り組んでいました。

秋になり、体育祭練習が始まりました。
クラスの仲間が一致団結して優勝を目指し、特に私のクラスは応援合戦に力を入れていました。
応援合戦は、炎天下の中グラウンドでの練習です。
ただ私は、持病で日に当たると皮膚が火傷のようになってしまうため、帽子をかぶって日焼け対策万全の状態で参加しなければなりませんでした。

当時、思春期真っ盛りの私は、"みんなと同じがいい”という考えが強く、友達と持ち物を揃えて、一人だけ違うということを極度に嫌がりました。
学校の先生たちが口をそろえて、「集団の和を乱すな」「自分勝手な行動をしない」「まわりを見て動け」と指導していたので、私はできるだけ周りと同じ行動をするようにしていたからです。

今思えば、部活動や学校生活で協調性を身につけるために、そのような指導をしていたと思うのですが、当時の私は、これに随分苦しめられました。

ただでさえ、応援合戦において綺麗さが求められるのに、一人だけ帽子をかぶったり、アームカバーをしたり、そもそも応援練習に参加できなかったりするなんて、恥ずかしすぎてできませんでした。
それをするくらいなら、もう学校に行かないとまで思っていました。

こんな私の自分勝手な考えが、厳しい担任の先生の耳に入ったら、なんと言われるのだろうか、とビクビクしながら学校生活を送っていたある日、ついに先生に呼び出されました。

先生:「最近体調どうや?体育祭は参加できそうか?」
私:「はい…そこそこですね…。体育祭の参加は、できれば辞退したいです。」
先生:「どうしてや?」
私:「私が種目に参加するのは、体調の面から厳しいかなって思っていて。
応援合戦は、みんながあんなに一生懸命練習して頑張っているのを見ていると、
応援練習に都合のいい時だけ参加して、帽子やアームカバーなど一人だけ違う装備でやるは、申し訳ないし迷惑だと思うから…。
私のせいで、”一糸乱れぬ演技” の評価点が下がってしまったら、合わせる顔がないです…。体育祭は諦めます。」

ここまで正直に自分の気持ちを先生に話したのは初めてだったので、もう何を言われても仕方ないと思いながらも、全てを言いました。

しかし先生は、

「お前の”みんなと同じがいい気持ち”も、”迷惑をかけたくない気持ち”もよくわかる。ただ、この体育祭に、本当にお前は参加したくなかったのか?
中学校最後の体育祭だぞ?
クラスのみんなが、どんな気持ちでこの体育祭に臨んでいるかわかるか?
自分の気持ちを、病気なんかを理由に押し殺さなくていい。

お前の帽子やアームカバーなんて、誰も気にしてない。

それよりも、一緒に参加できないことの方が、クラスのみんなは何倍も悔しいはずだ。
練習に参加できないことだって、理解してくれているやつの方が多い。

お前がこれから考えなければいけないことは、みんなと違う中で、その自分とどう向き合って生きていくかだ。
お前にとって今一番大事なのは、合わせることよりも、その自分の体を守ることだ。」

私がこの言葉を理解して行動に移せるようになるまで、随分時間がかかりました。

しかし、この言葉をかけられて、直感的に「応援合戦に出る!」と決めたからには、周りの友達は昼休みに一緒に練習をしてくれたり、体育館練習の際には「一緒に行こう」と声をかけてくれました。

周りと違うことを卑屈に思わず、可能な範囲で、みんなと同じことをする。

中学校という集団生活の中で、一人だけ違うことを自覚し、周りからの視線を気にせずに、”自分は自分”と割り切って生きられるようになったのは、この体育祭の応援合戦がきっかけです。
そして、私のクラスが応援賞をとり、思わず涙がこぼれたのも、一生の思い出です。

あの時、自分の殻を破る決断をしたからこそ、みんなと違う自分を受け入れて生きていけるのだと心から思います。

今の私は、あの時よりも、明るく楽しく生きていますよ。


#あの選択をしたから


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