離婚後の共同親権を考える
現時点では日本の場合、離婚後は父母どちらかの単独親権だが、今後は日本も世界のスタンダードに合わせて共同親権になる。子の福祉のためには、離婚後も父親であり母親であり、両方とも親であることに変わりはないので単独親権自体が、子の福祉に反するので共同親権になることが決定した。ちなみに世界では約35年前の1990年に国連の子どもの権利条約が発効され、各国で離婚後の共同親権の導入が始まっている。
日本では導入決定までの賛否両論は山ほどあったが、共同親権が決まったら決まったで、更なる賛否両論が出ている。その内容は、学校の教員は父母両方の意見を聴かなければならなくなり大変、病院の医師も手術などの時は父母両方の意見を聴かなければならなくなり大変・・・等だ。
また、受験や転校、パスポート取得、居住地の変更なども子どもに関する事柄になるので共同で決めて行くことになる。そもそも共同親権か単独親権かは離婚時の選択制だが、話がまとまらない場合は裁判所が共同か単独かを決める内容になっているものの、裁判所にそんなキャパは無いので現実的に裁判所で決めるのは無理があるだろう。
DVがあれば単独親権もありえるとのことだが、そもそも夫婦間にDVがあるかどうかなど客観的に見て分からない。暴力で体中に暴行傷でもあれば分かり易いが、そもそもDVは凶暴性のある人が行う行為ではなく、あくまでも配偶者に対する支配欲であり、かつ共依存も関係していて、パッと見にはDVかDVで無いかなど分からない方が普通である。
また、DVは男から女へという構図も現在では崩れ去っており、女性から男性へのDV、特に精神的なDVは多くあるのが現実なので、その意味で「令和の時代は男女同権の社会」になっている。そして、男であれ女であれ、DVは配偶者に対してだけで、子供に対しては一切DVは無いことも非常に多い。理由は先に書いたDVは凶暴性ではなく配偶者に対する支配欲、そして共依存に関係しているからである。
よって仮にDVがあるからといって、子供に対するDVは一切なく、かつ夫婦が他人になっても親子関係は終わることが無いのだから、やはり親子関係の健全性と子の福祉を考えれば、「デフォルトが共同親権」にしないと何も世の中は変わらないことになる。
ところで欧米で共同親権が問題なく機能しているのには理由がある。聞いた話ではあるが、欧米は「契約社会」であるので、全ては契約事項と考えることが自然にできてしまう国民性を持っている。つまりは、欧米人にとって共同親権は契約の一つに過ぎず、そこに変な感情なのか情念なのかは分からないが、ノイズを持ち込むことなく受け入れることが出来ると言うのだ。
日本も色々なことやサービスが契約社会に移行している。よって契約社会の何たるかのマインドと、モラルを持つことが必要だろう。それがあれば今後の契約社会を生きていくことができるし、無いと契約社会で失敗をしたり、過ちを犯したりするかもしれない。
そもそも結婚自体が法的な契約である。そして離婚は契約解除である。契約解除時に夫婦に子どもがいた場合は、新たに共同親権という名の期限付き(成人になるまで)契約を交わすということになる。あるいは、結婚という契約の中に付帯事項として、契約解除時点で嫡出子がある場合は共同親権となる、といった形で付帯契約と考えれば自然かもしれない。
いずれにせよ、離婚しても責任ある親子関係を継続する努力をし続けることは、親としては必要なことだろう。
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【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))