サッカーに詳しくない私が、サッカー観戦に行く理由【松本山雅】
お久しぶりです!てらしなのです!!
今回は登山ではなく、サッカーについて書きます。
サッカーと言っても戦術の話とかは一切出てこないので悪しからず…。あくまで個人的な話です。
私は近年、長野県のプロサッカーチーム 松本山雅(まつもとやまが)FCの試合観戦をしています。
元々のサッカーへの興味は、オシム〜ザックJAPANくらいの日本代表戦をたまにテレビで観ていたくらい。あと、小野伸二の本を小学生の頃に買って、何回も読み返したりはしていました。
だから、サッカーは全く興味がないわけでは無いけど、深くハマるほどでもないという感じ。
私は長野県が地元で、松本山雅というチームがあることはずっと知っていました。
一度高校生の頃に、スタジアムでボランティアや試合観戦をしたこともあります。
無事その日は勝利。
アルプス一万尺という応援歌が始まり、訳も分からないまま見知らぬサポーターの方と肩を組んで勝利を祝っていた…ということがありました。
ただ、当時の自分はメンタルがデッドオアアライブな日々を送っており、毎日がエネルギー切れ寸前。ひきこもり街道を邁進していたため、出かけるということへのハードルも高く、スタジアムに通うようになる…ということはありませんでした。
そんな私が再び山雅と出会ったのは、ずっと山雅サポーターをしていた友人のおかげです。
最後に試合を観てから何年も経ち、社会人になった頃、その友人のSNSや会話の中で山雅に関する出来事が登場することが多くなりました。
正直サッカーのことはよく分からなかったけれど、気になったのは友人とサポーター仲間とのつながり。
ホームのスタジアムで、あるいは長野県から遠く離れた遠征の地で、楽しそうに集合写真を撮ったり、美味しいご当地グルメを食べたり、ビールを飲んだりしている人たち。年齢もバラバラ。
それが私にとっては結構衝撃的な光景でした。
なぜなら、学校を卒業してしまえば、一緒に何かを楽しんだり食べたり飲んだり…そういうつながりを職場以外で見つけるのはかなり難しいことだと思い込んでいたからです。
そう思い込んでいたからこそ、それが実現している場所への興味がとても強くなりました。
2021年11月28日。
J2 SC相模原vs松本山雅FC
この試合での引き分けをもって、当時J2リーグにいた松本山雅が、更に下部のリーグであるJ3へと降格することがかなり濃厚に。
失意のサポーターも多かったこの試合。
私は友人からの誘いに乗り、9年ぶりに松本山雅のゴール裏に足を運んだ。
ゴール裏とは、文字通りゴールの真後ろのエリアのことで、跳ねたり手拍子をしたりしながら応援歌を歌う人が多く集うエリアのこと。
スタジアムのあらゆる座席の中で、最もアグレッシブな印象をもたれることが多い。
コロナ禍だったため、試合中でも声は出せず手拍子の応援。見よう見まねで私も手拍子。勝てなかったし、降格濃厚だし、声も出せなかったのに。
「また来たいな」と思った。
それは、やはり山雅サポーターの方たちとの触れ合いに何かを感じたからだと思う。
私はこの日、サポーターの方から山雅のユニフォームと応援用のマフラータオルを借り、キーホルダーとウレタンマスクをもらい、挙句の果てに「ぴえんぴえん侍」と命名され、刀をもらった。
友人から次々と知り合いのサポーターを紹介してもらい、挨拶や言葉を交わした。
普段、私はあまり人と私的な関わりをもつことが少なく、仕事以外での人との交流は数名の友達のみ(いずれもとても大事な人だが)。
そんな私にいきなり滝のように浴びせられた初対面の人の優しさ、笑い声。
そして、勝利を目指す一体感。
どれも私の日常にはなかったもの。だからこそ正直戸惑うこともあったけれど、「この中にいたい」「ここに関わっていたい」という思いは試合が終わった後もずっと残っていた。
その後、冬の間は試合が無いシーズンオフに入る。
それをチャンスと思い、私は松本山雅のチャント(応援歌)を動画サイトで聴きまくった。
今は手拍子の応援だが、いつ声を出しての応援が解禁されるか分からない。なるべく他のサポーターの人たちと一緒に同じ空気感をつくれるよう、シーズンオフのうちに覚えておきたいと思ったのだ。
それに、動画の中でサポーターたちがつくっている迫力が本当に格好良かった。歌を覚えたいとかを抜きにしても、ずっと観ていたいと思うほど。
また、私はこの動画を観て初めて、チャントの中に県歌”信濃の国”があることを知った。1~6番まである長野県歌で、小学校などで教わる機会があり、少なくとも「1番だけは歌える」「歌詞見れば歌える」という県民は多い。
私ももちろん歌自体は知っていたが、まさかスタジアムでまで歌っているとは知らなかった。そして、屋外でこんなに大勢で信濃の国を歌える環境があることに驚いた。
昔の私は、全く地元に対して愛着がなかった。
都会や海のある地域が羨ましかった。
県外に就職した時、「てらしなのさんには分からなそうですけどね、長野県って本当に良いところですよ!」等と全く長野県にゆかりのない先輩から力説されるほどに、地元の良さがピンとこないでいた。
しかし、趣味として登山をするようになったのをきっかけに、長野県の山々や空気の綺麗さに気づくようになった。
関東に住んでいる私は、徐々に地元への愛を持て余すようになってきていた。
だから、そんな私にとって松本山雅のゴール裏は「合法的に信州への愛を叫べる場所では??????」という解釈に至ってしまった。
やがて、スタジアムで喜んで信濃の国を歌うようになっていた。
シーズンオフが終わり、私は少しずつ山雅の試合に参戦するようになった。
スタジアムグルメ、
略してスタグルを食べて回ったり…
各地に遠征に行くようになったり…
長野県内のチームが激突する信州ダービーの熱い雰囲気に圧倒されたり…
山雅の思い出が増えていった。
また、松本山雅のホームスタジアム アルウィンから見える北アルプスはとても美しい。
山好きの私にとって、本当に魅力的な立地。試合中にしんどい時は、北アルプスを見て力をもらっていた。
やがて声出し応援も解禁された。格好良いと思っていたゴール裏の中に自分も入れていること、それがなんとも感慨深かった。
そして、参戦する回数を重ねるごとに、他のサポーターの方たちとのつながりも徐々に増えていった。勇気を出して飲み会に行ってみたりもした。
当方コミュ障かつサッカーも山雅も詳しくないのでいきなり仲良しだらけというわけにはいかないが、それでも少しずつ着実に、安心して話せる人が増えていった。
それがとても嬉しかった。
もちろん、サポーター同士のつながりは、私の周りだけではなくアルウィンのそこかしこにある。小さな子どもからお年寄りまで、様々な人たちが週末にアルウィンに集う。
私は現在福祉の仕事をしているが、福祉の世界においては、少子高齢化、生活スタイルの個別化、生活課題の複雑化などが進む中で、「孤立」をいかに防ぐかということが重要なテーマの一つとなっている。
そのため、子育て中の人が集うサロンを開催したり、地域住民同士で見守り合う体制をつくったり、子どもとお年寄りのような様々な世代が交流できる催しを行ったり、様々に試行錯誤されている。
(「余計なお世話だ」という声もあるだろう)
自分が働く業界でそんな話を見聞きしていたからこそ、アルウィンでの様々な世代や性別、境遇の人たちが自然に声を掛け合い、知り合い、仲良くなっている様子は、あまりにも眩しかった。
地域福祉では意図的に仕掛けてもなかなか生まれないような温かいつながりが、もうこの時のアルウィンでは、孤立を防ぐなどという大義もなくごく自然に繰り広げられていた。
松本山雅ではそこに更に、子どもの遊び場づくりや、子育て中の方のサッカー観戦をサポートする取り組みづくり等も熱心に行われている。選手や自治体、企業や医療機関なども関わっている。
もともと人々がつながり合う土壌が出来ているところへ、更により様々な人が来やすい仕組みをつくっていけば、このスタジアムはどうなるか。
地域にどのような影響を与えるか。
地域福祉に関心のある人は、一度はアルウィンへ来るべきではないか。
思わずそんなことを休日でも考えてしまうほど、アルウィンで繰り広げられている人々の交流の姿は眩しかった。
そして、サポーター同士がつながり、共に喜怒哀楽を分かち合う光景が日本各地、いや、世界各地のスタジアムに存在するということ。
それに思いを馳せると、自分の見知らぬ地域にも興味がわく。つながりを感じる。
地域のエネルギーを集める磁力のような性質を各地のスタジアムがもっているということ、それを松本山雅は教えてくれた。
…話がやや壮大になったので軌道修正。
個人的な話に戻ると、私自身にとって、特に今シーズンは、山雅とのつながりが更に濃くなったように思う。
今年初めてゲーフラという応援グッズをつくってみた。
”ツヨクナル”というのは今年の松本山雅のスローガン。
近年のスローガンは”原点回起””積小為大”など漢字が続いてきたこともあり、急にカタカナになって戸惑ったサポーターも多かったように思う。
発表直後からネタにされたりもしていた(すいません私もネタにした)。
そんな雰囲気を見ているうちに、私の中の超勝手な使命感で「せっかく昇格が懸かったシーズンに掲げられたスローガンなんだから、このスローガンを愛せるような物って作れないかな」という気持ちが沸々とわいていた。
そして、私の周りにはゲーフラを作り、掲げている人が多いので、いつかはゲーフラを作ってみたいとも思っていた。
これらの野望が上手いこと合致したのがこのゲーフラ。
自己満足に自己満足を重ねたものなので、たまに「可愛いね〜」とか言ってもらえれば良いかな程度で考えていたが、SNSや対面で案外多くの方からご支持をいただいてとても恐縮した。
サポーター仲間の方がくれた「このゴール裏の中で一番良いゲーフラだと思う」という言葉が、すごく嬉しかった。
また、このゲーフラは5枚1組のため、必然的に他の方を巻き込まないと成立しない。今まで自分から声を掛けたことのない方とも会話が生まれた。
更にもう一つ、今度こそ自分の趣味に特化した、超絶自己満足ゲーフラを作ってみた。
すると、SNSでは更に多くの反応をもらった。高速道路の看板、みんな好きなのね。自己満だと思っていたのに………もう何が支持されるのかよく分からない。
私は普段絵を描かないし創作意欲も全然わかないが、なぜかゲーフラになると話が別。
たくさんゲーフラがあっても管理しきれないし、作るとなったら睡眠時間と休日を削って作らなければならないから作ってないだけで、アイデアはいくらでもわいてくる。
自分の意外な一面を通して、これまでとはまた違った人とのつながりが出来たのだった。
また、今年は初めて泊まりがけでの遠征に行った。
まず最初は、
2024年4月6日 ツエーゲン金沢vs松本山雅FC
1-6とフルボッコされたこの試合。
やりたいようにやられ、あまりにも点を取られすぎて7点取られたかと勘違いしていたこの試合。
しかし、私にとっては大切な思い出だ。
サポーター仲間の家に前泊させてもらい、レンタカーで仲間たちと喋りながら金沢へ向かう。
現地で美味しいものを食べ、観光地を回り、試合ではいくらフルボッコされても前向きな言葉を皆で上げ続けた。
この日初めて会った人と喋ったり、夕食を一緒に食べたり、詳しい方に金沢を案内してもらったり。またしても新しいつながりができた。
もちろん楽しかったけれど、楽しかったという言葉で済ませたくないほど、もっと深いところで心が震えていた。
上手く言えないけど、人生ってもっと楽しくして良いんだなって気づかされた。
皆で信州に帰った後、私はそこから更に関東へ戻らなければならなかったが、それがすごくすごく嫌だった。大好きな地元に、皆がいる信州にいたいと思った。「帰る」という言葉は、関東ではなく信州に使いたいと思った。
「サポーター仲間と色々な所へ行きたいし、もっと話してみたいし、この金沢遠征のように、初めて会った人ともつながってみたい。そして、その拠点は信州が良い。信州へ帰りたい。」という気持ちが明確に宿った。
山好きだし山雅も観るようになったしで元々信州に帰りたいなぁとは思っていたが、より切迫性をもって具体的に考え始めた転機はこの金沢遠征の時だった。
そして、サポーター仲間に誘われ、翌週もまさかの宿泊遠征に参加。
2024年4月13日 奈良クラブvs松本山雅FC
この遠征で一番大きかったのは、私が山雅にハマるきっかけとなった友人が不在だったこと。
実はこの時が初めてだった。
その友人が不在だったのに試合や遠征を楽しめている自分がいること、友人を介さなくても私と過ごしてくれる人がいること、一緒にいたいと思う人が山雅にできたこと、友人がいなくても私は自分の意思でゴール裏に自分の居場所をつくっているということ、それらを実感する遠征だった。
それがすごくすごく嬉しかった。
私はもう自分で山雅に根差していた。
奈良からの帰り道。高速道路を走る車中で、金沢と奈良の2週分の思い出を振り返り、「これが私の幸せだ…」としみじみとしていた。
これが幸せじゃないなら
何が幸せか分からないほど。
他にも思い出を挙げたらキリがない。
この記事を主に書いているのも北九州遠征からの帰り道。
2024年7月20日 ギラヴァンツ北九州vs松本山雅FC
試合をするにはあまりにも蒸し暑かったこの日。
客席から観ていた私ですら、大雨に打たれたような量の汗をかいていた。
気づいたら、ひたすら「頑張れ」と叫んでいた。
泣きそうになっていた。
サポーター仲間とのつながりだけでなく、「頑張りが報われてほしい」と選手への気持ちも強くなったと実感する試合だった。
(推し選手のnoteに、気持ち悪くならない程度のメッセージを送ったのは内緒)
この試合では、私を山雅に惹き込んだ友人も奈良に誘ってくれた人もいなかった。誰かと待ち合わせをしていたわけでもない。
しかし、「侍さん来たんだね!!」と知り合いの人たちが迎えてくれた。後から来た人たちのことを、私も迎えていた。誰かを介してしか話したことのなかった人とも話していた。
私は、"石橋を叩いて渡る"どころか、石橋をいつまでも叩いていて渡ろうとしないほど慎重なところがある。特に人との関わりにおいては。
でも、この山雅での環境を通して、「そろそろ叩くのをやめて渡ってみよう」と思った。
徐々に徐々に、関わりを広げていった。
北九州での試合後は信じられないくらい美味しい海鮮を食べ、山雅サポでもなんでもない現地の方何人かと、お酒を飲みながらカウンターで喋っていた。
誰かといるのが苦手で、人との交流を避けていたかつての私には考えられないことだ。
やはり私は「幸せだ」と思いながら帰路についた。
松本山雅との出会いが私にもたらしてくれたもの。
それは、人とつながり、愛する地元とつながり、様々な地域とつながること。
私が「山雅の応援にいってきます」と言うと、周りからは「サッカーが好きなんだね」とよく言われる。
サッカーそのものの面白さもわかるようになってきたけれど、
私にとって、核はそこじゃない。
様々な意味での、”つながりの実感“。
私にとっての松本山雅はそれだ。
これからも私は山雅と関わっていくし、人生何があるか分からないけれど、山雅を通して色んな人やものとつながった経験は、きっと山雅に関係のない場面でも糧となる。
山雅を通して感じた幸せは
更なる幸せを呼ぶと思うから、
私の人生が山雅に出会える人生で良かったと思うのだ。
つながってくれたあなたに、松本山雅に、
ありがとう。
これからもよろしく!!!!!!
この縁が続きますように。
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