無題0

管理と自由がトレードオフになってる時代、愛と憎しみをトレードオフとする主張がまかり通る時代を終わらせましょう

2019-8-005

管理と自由がトレードオフになってる時代、
愛と憎しみをトレードオフとする主張がまかり通る時代を終わらせる事は全然可能と思います。

前者は管理や自由への誤解が原因と思われるので、
以下の理解を、例えば、大会運営と選手の健全な関係を敷衍させたものとして周知させましょう。
場の代替不可能な固有性と着目無視との合致配慮(問われてる事を違えない存在戦略)を基盤とした、
場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力を、管理者の要件と見なし、
(理科の実験等、小学生でも、問われてる差異が取り出されるように着目無視を設定する事は可能です)
資質と環境のような内在の性質と外在の性質について、代替不可能化したもののみ引き受ける有り様を、
有限性(内外境界)を避けられない類のものと認めた上での通用領域最大化としての自由と見なせば、
また、
管理者要件を満たすよう働きかける権利を、管理者として認める条件とし、
性質への代替不可能化を伴わない、有限性を遠ざけるだけの自由を形骸扱い(量追求のみ扱い)すれば、
管理と自由のトレードオフ構造は、
内面世界に置かれたものを好き勝手に管理しながら家庭や自国社会や国際社会等での管理を嫌う不整合含め、
廃棄可能なはずです。

寛容の類の主張が有害なのは、
引き受けるべき損失や掛けて良い迷惑と、そうでないものを分ける(通用領域の広い)原理を、
示したり付随させる事をしないせいで、引き受けるべきものを他に押し付けるケースを齎すからです。
先の合致配慮こそが、競争時であれ協調時であれ、自他への不当な扱いが生じるのを防ぐ上に、
先の管理者要件に当たる能力が機能する事によって競争と協調、どちらの形式を採用するかも決まるのに、
戦争と平和のような、競争と協調の対立構図を持ち出す(局面と無関係に一方を選ぶセンスの)せいで、
引き受けるべきものを引き受けているいないとは無関係に(つまり、事態が表層的に)解釈され、
内実が正当でも否定される、内実が不当でも肯定される、といった状況を導くわけです。

なので、例えば、戦争による分捕りを非難しながら、
弱者ポジションからの主張が分捕り性(根拠や整合性への安易さ)を持っていても許容する、
つまり、分捕りの撲滅でなく、着せ替えでしかない働きかけをもって解決行動とする有害存在に、
先の合致配慮の帰結である損得のみが引き受けられてる秩序、分捕り全般認めない秩序への貢献へと、
働きかけの中身を替える事で無害存在化してもらいましょう。
憎しみを愛に転換する、といった有害ロジックも、
場の本質にしか応じさせない処理(先の合致配慮の拡張)を、
置かれてる状態(感情の対象)の反映(状態を受けてのリアクション)に優先する事で、
反応の過不足を抑える、というロジックで上書きしましょう。

既存平等観の欠陥から目を背け、平等の名の下にアンフェアまで保存、保障するセンス(欧米起源)を、
前提にしてるなら、寛容の類(参加権の付与含む)に限らず、
右翼的主張も左翼的主張も、
場の本質に即した扱い(着目無視や損得の割り振り)を支持してる(フェア)とは言えませんが、
政治や経済、社会に関する主張は最早、そのセンスの賜物である近代以来の権利と絡まずにはいられません。
先の合致配慮を倫理(対紛争含む)の実質として押さえない限り、
平等(中立含む)や存在(生)は形骸化してる、
この理解をもって、権利と権利下のアンフェア許容とがセットになってる(不当な扱いへの対策が中途半端な)現世界を再構築しましょう。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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