近代を真に終わらせるのに必要なのは、デカルトやホッブズによって明晰化された主体像が持つ内外分離性を、修正アップデートした主体像の標準化ではないか
2019-12-008
国連の不実に関するスレへの投稿内容
近代の基盤には欠陥があり、未だそれを塞げてない、この事実をまず認めましょう。
国連もその基盤上の構築物なので、
付け込まれる隙を元々持ってる(善や正義を志向してようとも構造的な限界を抱えてる)わけです。
中国は世界的に知られてる横暴を複数持ってるにもかかわらず、アメリカ香港並みの立場や規模でもないと、
それらをアンタッチャブルな方向に強いる力を今や有していて、その力は、
ルールや立場の恣意的依拠によるフリーライダー戦略を駆使し、近代の欠陥に遠慮なしに付け込む事で得た、
そう捉えるなら、国連のこの種の不実が事実であれ、
近代の欠陥由来の不健全さに対症療法的だった全ての人にも責任はあるわけです。
その欠陥とは、デカルトやホッブズによって明晰化された(その流れで内外分離に主眼置く)主体像と、
場の本質に即した帰結(損得や役回り)を齎したり、引き受ける像との非整合事態と思われる為、
主権人権の、フェアアンフェア(場の本質に即した扱いを支持してるしてない)を区分けせず保障する点、
そこの修正アップデートの根治療法版も、その像と整合的な主体像の標準化と推測します。
なので、同種の他との差異要素の捨象と共通要素の捨象に対し、
前者捨象に特化した産物は、場に合わせた的確使い分けの産物よりも中身がない、
そう評価する主体像の標準化を目指しましょう。
主観や局面に対する捨象の的確使い分けによる、
場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる作業や、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究の下で抽象と具体を行き来(仮説と実証のそれ等)させる作業の、
精度向上は、
管理主体(上の組み上げ能力が要件)と被管理主体(とはいえ誰もが内面世界の管理者)の関係や、
個々の主体の歴史性(一秒前の具体形と現在の具体形の関係等)から、
いらぬ飛躍を除いてくれます。
(資本主義も共産主義系も、経済におけるそれらの精度向上が論点でない、という意味での形骸物なので、
どちら発の害にせよ近代の欠陥由来と言えます。)