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2174文字、文系が理系に400年分水を開けられてるのに、この状況とその弊害発生に加担してる人達の自己正当化に惑わされない為に

2024-10-001

市場を根拠にする事は、経済的な需給事情の実態を根拠にしてるというだけなので、
優勢劣勢有り様が肥大化してる(いらぬ劣勢を負わされてる者がいる)類の実態を根拠にしてるケースもあるわけです。

秩序が場の取り違え最小な個別性に即してる時、優勢劣勢有り様は肥大化してないと解せば、
内在場についても外在場についても優勢劣勢有り様の肥大化を拒否してる代替不可能な内外事情にしか応じない実存だけから、市場を構成してる個々事情が成ってる場合、搾取は生じていません。

つまり、その場合と実際との間にずれがあるにもかかわらず市場の根拠化を肯定してる過剰肯定の方向性(資本主義込み)も、
その場合含めて市場の根拠化を否定してる過剰否定(実態無視)の方向性(共産主義込みであり、

その実存における事情はこれ以上修正余地のない有限性の現れなので、その種の事情の集積に対する根拠化の否定は、有限の与件性を無限者でもないのに否定可能なもの扱いしてる形である為、
疑問を持たない言動は、疑似問題を疑似問題として位置付けられず振り回されるという意味で、疑似問題に対し低通用な知性倫理美意識の証拠となってしまう方向性)も、

限定を受ける前状態の準備、その状態が受けざるを得ない限定条件の割り出し、
これらの不全を問題状態(帰属関係に修正余地がある段階)として扱ってる者にとっては、

符号が逆なだけでいらぬ劣勢を負わされる何かという事態の発生に相当する歪みを持つ選択肢
(内実が確からしくない選択肢)な点ではどちらも同じである為、選ぶに値しないはずです。



ところで、既存の文系空間は、抽象化具体化の精度最大化(の下での交互反復)をもって解決状態とする内容
(理系ではガリレオ時点でこれへの移行は果たされていて、文理の違いは、個別性が根拠になる局面では同種の他との共通要素捨象が、ならない局面では同種の他との差異要素捨象が、
場と秩序の整合における必要条件であるという話の反映でしかない内容)をしていませんから、

例えば、資本主義に対して否定的な生き方をしながら、既存の文系空間に対して肯定的な生き方
(既存の文系教育なり、欧米文系の産物なりに対して、もっと言うと、上の二つの捨象を対等な個々具体とする抽象次元に、
局面と着目無視の合致を据えてる抽象具体関係構造を持たない知性倫理美意識、

合致させながらの対他者なり、合致による解放を維持する対自己なりとは異なる振る舞いや、
異なってるのに平等なり自由なりと言い張る類を含め、そのような振る舞いの根拠になってる理論を正当化してる時点で、

あるいは、異なってる部分のみをその修正点とはしてない時点で言えてしまうこれらの産物から理系向けを除いたものに対して、妄信的な態度)をしてる場合、
根っこをそのまま残してる草刈り的な問題解決(問題状態の着せ替えが関の山)で満足する知性倫理美意識の持ち主であるとの評価は避けられないわけです。



例えば、ヘーゲル(具体化精度無視な抽象重視は、精度の低い検証結果のフィードバックによる仮説改悪の展開、
少なくとも、修正作用が上限化されてない展開を許す為、見た目が修正行為なだけで満足して、修正機会を生かし切れないでいる人と整合的である有害な枠組み)後の3つの主流哲学は、
具体重視(実存、実態、物質、実践、事実等の重視)へと反転する内容、つまり、精度着目の解決観とバッティングする抽象具体上下論の外に出てない内容なので、

それら哲学の系譜(例えば、明晰と曖昧を両極とするスペクトラム上の点選抜を局面次第としてない時点で具体化精度無視が言える)を含む、具体化精度無視な具体重視の産物に対し、
第一歩目から誤ってる代物との評価以上の価値付けを与えてる人を目にしても、


理系に400年置いてかれてる文系の状況、および、その弊害として生じてる諸々
(この一部を否定していたところで他の一部への置き換えが関の山)を保障してる

(400年も精度着目を横目で見ながら、弊害のおびただしい上下論に固執してる構図)というその有害性をもって、
その人達の自己正当化(理想を割り引く程度を最小にしながら成り立たせた現実、

これを点として集めてできあがってる直線かどうかで歴史を評価する能力は精度着目の方と整合的である為、
歴史を評価しても理想か現実が過剰に割り引かれてる事態、ひいては、安易な有限性有り様を十分には咎める事ができず、

課されてる条件が異なる各対象に条件上の最善を求める事によって可能になる類の修正へと繋がらない以上 、
個人規模でも社会規模でも生じる支える側支えられる側関係における助けな過ぎや助けられ過ぎに相当するものをそのまま保存してしまうのに、為されてるこれ)を退けましょう。



注1

抽象化具体化の精度着目な解決観は、無限性と有限性の関係において、無限性をより確からしいもの(通用領域の広いもの)が取って代わる運動性(常に通用領域の広さが上限である性質)と解する事によって、
無限性の受容阻害が最小である有限性(具体化精度が最大化されてる状態、例えば、人を具体化条件とした時の代替不可能な内外事情にしか応じない実存)の産物のみがフィードバックに値する
(仮説改悪のパターンで通用領域を狭める類のフィードバックは無限性の性質を損なう)という結論を導くと考えます。

ご支援の程よろしくお願い致します。