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フェア尊重を持たせる機構(特にそういう教育)を組み込めてない社会では、市民の分捕り合戦プレイヤー化は必至、この理解を社会変革の方向性を定める際の前提としましょう
2019-7-006
人の悪意に対する社会の脆弱性に関するスレに投稿した内容
フェアアンフェアに扱いの差を付けない(付けなくて良いポジションがある)枠組みから脱せてない場合、
加害により損なわれたものを、不適正への適正な扱いという形で回復する試み(罰含む)も、
過不足を持ってしまうと思います。
社会なり自他なりが持つ加害性に対する折角の拒絶感も、
フェア尊重を前提に持たないなら、修正圧力の過不足必至なわけです。
強者弱者、加害被害、自他といったポジションによらず、
その場その場の本質に即した扱い(着目無視や損得の割り振り)を引き受けるべき、
この内容のフェア尊重を持たせる機構(特にそういう教育)を社会に組み込む事で、
人の持つ修正作用の不全化を防ぎ、
アンフェア除外を付帯させてない寛容で解決を試みる迷惑(アンフェアまで保障)善行を一掃し、
己以外敵的なスタンスであれ攻撃性をフェア枠内に収めてもらいましょう。
そのフェア尊重は、価値は場の性質が決めるもの、場を越境して価値を定めないとの態度も含みます。
そのフェア尊重と同様、場の代替不可能な固有性と着目無視の合致配慮(倫理の実質)を基盤とする、
(競争も協調も形式に過ぎないとしつつ)場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力は、
可能性の選抜や情報の整合、
つまり、対事実(例えば、自他の様々なできるできない)でのご都合主義や狭窄の低減も齎すはずです。
しかし、その合致配慮が現状育成されてない(上の能力は内面世界等の、場の管理者要件なのに)以上、
そもそも不当な扱いを受けてる受けてないの感覚や管理者ポジションへの評価(信用判定含む)に際し、
分捕り合戦のプレーヤーにならないで済む社会(中立な立場を採れる者を生む社会)などないと言えます。
対紛争(それを取り込んだ社会観、社会変革理解まで拡張するとして)でも、
正確な事実把握の要請やルール制定の民主的手続きだけでは不十分とし、
価値や事実への態度についての、
有限性が与件であれ、どういう原理の下で生じた損失や不利益、喪失や限界に引き受けを限るかについての、
先の合致配慮を基底とした合意を求めましょう。
(置かれてる場に己を通用させるという存在要件における、問われてる事を違えないという戦略が、
先の倫理の実質だとして、それと、
理解力の実質故に相補的な、抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究を合わせたものとしての、
場の本質にしか応じさせない処理を、上の合意の基底を拡張した、正義の基底と期待します。)
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