見出し画像

経済や政治の根拠になってるのも含め、欧米産倫理への抵抗力を社会レベルで高めておくに越した事ないのではないか

2020-6-004
時事のデモ問題関連のスレへの投稿内容:


弱者ポジションだから、弱者が対峙してるポジションだから、
そうした表層形だけが根拠の反応でも、差別等と戦ってると主張する事をリベラルは許してきたわけです。
リベラルに限らず前提にしてる、フェア主体かアンフェア主体かを区別せず保障する近代権利観が、
事態を助長してるとは言え、内実(フェアアンフェア)を実質検討しない尊重形でもって、つまり、
他者の中身を見ない善や正義でもって、他者の表層形のみへの反応に対する断罪が内容の影響力行使を、
是としてきた事実と向き合う責任が、これからも善や正義を掲げたいなら、彼らにはあるはずです。

着目無視が、割り振られる損得や役回りが、その場その場の性質に即してるならフェアと認め、
かつ、場の性質把握の深度を論点とした上での、批判の内容や表出形態を、
フェアからの逸脱を認めないとの根拠が損なわれない(筋が通る)よう組み上げる配慮が、
善や正義を謳う際の要件となってる時代にすべく、経済や政治の根拠になってるのも含め、欧米産倫理を、
アンフェアが許される表層形の存在を排除できてない、穴空き理屈の地位に据えましょう。

また、反動形に解決見るセンスを欧米は自力で修正できないと覚悟し、その悪癖への抵抗力とすべく、
実質の有無を表層形に先立たせる傾向を次の理解の周知等で社会的に強めていきましょう。
理想が誤解や割り引き過不足(場との齟齬)を負うのを抑えるのに必要な、
抽象化と具体化条件の最大限追究欠いたまま、理想や現実を根拠として持ち出すのは有害。
教育で言うと、主体性や深い学びの強要における害、及び反動反発の低減には、
己含め対象の特化有り様は内在外在(資質環境)の代替不可能要素のみ引き受けた結果なら過不足なしとして肯定、
井の中の蛙状態で見出した根拠ほど、それによる言動は自他への不当扱いを意味すると認める、
その上での教育との付き合いの深浅操作が必要。

いいなと思ったら応援しよう!

欧米文系の権威からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
ご支援のほどよろしくお願いいたします。