その歴史から悲観されがちな人類の対紛争について、代替可能であり変革可能である余地は十分有ると思います
2019-9-005
歴史を学ぶ事の価値に関するスレへの投稿内容
正確な全体像(功罪の帰属含む)把握への志向(全体についての理解からいらぬ飛躍を除く働き)の欠如は、
根拠無く対象を扱うという不当性の低減努力の欠如でもある為、
歴史の軽視には非倫理的印象を受けますが、
特定分野での過去の事例や事情はもちろん、
種や文化に関する代替可能要素不可能要素分別、現在が持つ固有性の割出しに資する世界史自国史の情報は、
引き受けずに済むものを引き受けない(内在や外在の本質的でないものに振り回されない)、
一面をもって全体が語られる事(決めつけ)による可能性縮減を和らげる、
そうした自由獲得に繋がる為、
立脚するに足るだけの整合性(通用領域)を備えた歴史情報を求める事には、積極的価値もあると思います。
(獲得能力の選定や程度は、資質と環境の代替不可能な性質を根拠にすべきで、歴史把握の精粗も同様です。
全体像の正確把握という理想も、それが根拠となって割り引かれてるのならば、
チキンレースからの早期離脱には当たらないと見なすべきでしょう。)
また、真っ当なルールや事実よりも都合を優先する者(全体の秩序や趨勢を軽視する者)が、
当事者等の紛争関係者である場合、その存在が、
紛争解決での泣き寝入り強要(平和希求も権利系理念も現状この要素を持つ)の側面を強めてしまうので、
場の本質(問われるべき事)を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力をもって、
ルール(慣習含む)への評価や情報の整合を、歴史と付き合いつつ行える人が多いに越した事ありません。
(今も昔もそういう人が多くない、ここに人類の対紛争が代替可能、変革可能である余地を見ましょう。)
なので、人類の歴史をより良く(他者の努力を正当に評価しつつ)活かすべく、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究(あるべき歴史性はこの巨視化としての、抽象と具体の行き来)、
その場その場の代替不可能な固有性と着目無視との合致配慮(整合性を恣意的に用いてしまうのを防ぐ要)、
これら、場の本質にしか応じさせない処理が機能するように管理をしましょう。