2441文字、帰属関係の修正が先立ってない理念を掲げる人達はどういう点で有害なのかについて
2024-9-003
敵の優勢分がそのまま味方の劣勢分となる類(ゼロサム的有限性)のスポーツでは、
敵の劣勢を緩和する振る舞い(チャンスを逸する、敵の悪手を咎めない等)は味方にいらぬ劣勢を負わせるので、
その種の振る舞いが見られるにもかかわらず味方同士で助け合ってるつもりであったなら、それ(和の感覚など)は形骸です
(攻撃的でないといった表層形をもって正当化し、内実を検討しない尊重パラダイムを拒絶しない限り、尊重は対象への不当な扱いであり続ける)。
優勢劣勢有り様を肥大化させる振る舞いを、代替不可能な内外事情にしか応じない実存
(存在するのと引き換えな要素しか存在に帰属させてないので、できないや失敗等の有限性に修正余地がなく、
この実存と整合してないできるや成功等をいらぬ特化として拒否する有り様であり、
仕方なくないものを仕方ないものとして扱って自身の責任部分を外界に擦り付けたり、
逆に外界から受けるそうした擦り付けの程度を、自身が存在するのと引き換えなものに抑える有り様でもある)を生きてる場合に生じた部分以外も込みで肯定する過剰肯定も同じ話です。
(それを生きてない人は感覚をはじめ、自己存在を根拠としてるもの全てが疑似でしかなく、確からしいものとして扱うに値しません。)
場の取り違え最小な個別性(同種の他との共通要素捨象に十分さらされた個別性)に即した秩序は帰属関係の修正を達成
(抽象化具体化の不十分さ解消の内、少なくとも具体化精度は上限化)してますから、そのような秩序としてある優勢劣勢有り様は肥大化してないと解せますし、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存への志向は、内在場と外在場におけるそのような秩序への志向と同じです。
つまり、有限性(内外境界発生)が与件である以上、そのような秩序への志向が先立ってない言動(先立ってない体系化処理である思考も)や、
それを修正対象として扱わない知性倫理美意識(例えば、実存の無条件肯定が内容の理念の採用)は、
自身の所属(種や地球の規模込み)にいらぬ劣勢を齎す(置かれてる場に通用させ続けるという存在課題を難化させる存在阻害に繋がる)有害な有り様である
(自己存在の阻害も含むので、自己正当化に付き合うのはその人の為にならないし、存在尊重でもない)として、
その影響力を削ぐ(例えば、帰属修正が先立ってない為に奪い合い世界の保障になってる理念、
公的空間で発信すると、戦争なり何なりによって何らかを奪われた人達に対し奪い合い世界は保障されるべきものであると伝えてるも同然なこれから、
帰属修正が先立ってる理念、言い換えると、帰属関係の修正余地なさのみを要求する受容条件、
したがって、表層形は影響しない為に、表層形のみが問われてる局面かどうかと関係なく表層形で断罪する差別的側面を持たない受容条件が含まれてる理念への上書きを図る)必要があるわけです。
例えば、非を認めない人による議論重視は、存在を尊重する限り受容に値する状態にまで持っていってない都合を押し付ける機会として、
議論を利用してるに過ぎず(提示される根拠も修正余地のある段階に留まってる)、
また、場の本質でなく表層に合わせる類の空気を読むを強いて、封殺的に既存秩序を押し通すのも、帰属修正が先立ってない点で同じです。
つまり、哲学と日常の対立関係であろうと、場を荒らす荒らさないの表層形二択になってる(帰属修正が論点になってない)時点で、
どちらに転んでも負わされるに値しないものを負わされる立場が発生してるわけなので、
帰属修正を先立たせてないものが理念の位置に置かれるのを認めた時点で、奪い合い世界に付き合わされてると捉えましょう。
代替不可能な内外事情にしか応じない実存とそうでない実存との差異(例えば、各々に固有の妥当感不当感における、
場の取り違え最小な個別性に即した割り振りへの支持の意味でのフェアを越えて自分を助けてない生と助けてる生の差異)、その実存の集積とそうでない主体集積との差異、
これらを掴まえられない知性倫理美意識は、理想を割り引く程度を最小にしつつ成り立ってる現実を紡いだ歴史
(具体化抽象化の交互反復による同一性変化性同時達成が、具体化や抽象化の不十分さ解消の下で展開された場合の変化不変化)と実際とのズレを掴めず、
そこのズレ込みで肯定する過剰肯定な対歴史か、そこのズレ以外も否定する過剰否定な対歴史しか持てません。
そして、人生の展開や社会の展開に対するこの問題は、文系事象に関する自他の思考への評価や、
文系事象に関する自身が参加してるケースしてないケース含めた議論への評価にも重なるものです。
なので、代替不可能な内外事情にしか応じない実存を生きてる結果(当然、明晰さと曖昧さの割合のような硬軟スペクトラム上の点選抜は、取り違えを最小化させた局面事情の反映になってる)や、
社会(役回り振り分けもある種の競争と言える)がその実存だけから成ってる場合の結果を、
見た目(場が荒れているいない等)に関係なく解決状態と位置づけ(どこまでも仮説でしかないものに対して、より確からしいものが取って代わる運動性の受容阻害最小化の下での関わり、
対象から原理を取り出すのに必要な通用を行き渡らせる処理を、全て無価値とする過剰否定と全て有価値とする過剰肯定の同時否定として展開したこれを解決としてる形)、
そうでないなら問題状態(それら結果でないものを解決状態として扱わせようとしてくる内外の働きかけ、
つまり、帰属修正を阻害し、奪い合い世界を保障する内容の圧力込み)と位置付ける問題解決観を踏まえる事で、思考や議論に対する過剰肯定や過剰否定を防ぎ、
思考や議論に対する評価が確からしくない段階の人に対しても思考や議論を促す過剰肯定な内容の理念にも、
評価問題と関係なく思考や議論を遠ざけ、思考や議論によって開かれる他可能性へのアクセスを遮断する過剰否定な内容の理念にも振り回されない状態を確保しましょう。