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高学歴と疑似問題の捨象が繋がってない件についてに


政府や企業や個人の割り振り原理であれ、国際社会や自国社会で割り振り原理になってるものであれ、疑似化してるなら、
誰か(主体)が別の誰か(主体)に、負わせるに値しないものを押し付けてる形と思います。

この時、押し付ける側になるのを望むといった、割り振り原理の疑似化除去を望むのでない方向では、
負わされるに値しないものを誰も負わされない世界を、諦める程度(割り引く程度)が現状ではこれ以上無理とのラインから後退してしまう為、
その分、負わされるに値しないものを押し付け合う、この強弱から成る秩序の側面が、世界に関して強まってしまいます。


また、計算間違いに気づくノリで、割り振り原理の疑似化を見出す人が増える程、上のラインは押し込めるでしょうから、
有限の与件性(内外境界発生の不可避性)と有限性の代替不可能化(代替可能な要素の削ぎ落し)から成る引き受けざる得なさからの乖離に敏感な人を増やす必要があります。

内在の性質と外在の性質を、代替可能な要素を可能なだけ削ぎ落してから合わせた統合体
(これから乖離してる程、例えば、内在的問題解決スタイルである自我と、外在のそれである文化の統合形は引き受けざるを得なさを偽装してるので、自我や文化の相対化や上下論では搾取自体への対処に不十分)

の重層と言える、代替不可能な内外事情にしか応じない主体が、外在場の疑似化してない固有性に即してポジションなり具体的有り様なりを規定されてるケース、負わされるに値しないものを負わされてる現象は生じてない、との理解

(そのケースからの乖離程度の観点を、例えば、Aさんが教科書読んでる、つまり、BさんやCさんの齎した情報がAさんの認識場に置かれた事態に対する位置づけに、持ち込む必要あるとの理解込み)の前提化と、


同種の他との共通要素を捨象する能力の養成、これらを促す文系教育が、先の諦め程度を、理想現実関係の安易(低通用)な内容から排安易(高通用)な内容に、
つまり、理想が負わされるに値しないものを負わされる状態からされてない状態に持ってく上で必要と思われます。


(それは局面の疑似でない性質次第です、それは主体が抱えてる疑似でない事情次第です、判断選抜もフェアな方が結果を負うにも納得できます、
この種の指摘が取りこぼしなく持たれる方向に文系空間や文系教育を変える事で、
先の前提化と現実とのギャップを埋める事目指す文系改革党にご賛同いただけましたら、
そうした指摘を文系的言動に対し都度意識してくださる等、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。)



主観はじめ、同種の他との差異要素の捨象方向に確からしさを見る次元と共通要素の捨象方向に確からしさを見る次元とでは、
同種の個々それぞれが負う帰属関係は異なるわけで、

後者徹帰属関係をより確からしいものにするという話が文系にはあるだけなのに、
その話にだけ文系が帰属するのを阻害してる(より確からしいものが取って代わる運動性を阻害しない受け皿に、文系がなってない原因である)疑似問題を捨象すべく(文系を疑似化から解放すべく)

問題や概念に対し、同種の他との共通要素の捨象を用いた抽象化具体化の不足を抑える方向も、上で言う促しの射程に入れましょう。



手段の目的化をもって目的から解放されるとか、無意味の価値化をもって意味や価値から解放される的な解釈は、同種の他との共通要素の捨象が機能してない為に、場が価値を決めるとの理解を欠く結果の疑似問題な気がしますし、

自由意志がなければ責任もない的な発想は、帰属関係をより確からしいものにする場が中途半端化してるが故の疑似問題化でないかと疑います。

いずれにせよ、高学歴を得る事と疑似問題を捨象する事は繋がってなくて、過去存在した疑似問題に基本取り込まれるように見えるので、上の射程に入れる話は重要に思います。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
ご支援の程よろしくお願い致します。