今、大学生だったら、絶対「クソが」と言っていたであろう、恩師と呼ぶ気にならないセンセイたち トップ5 (4)
2 フナクラ
かかわりは一年だけ。新入生の時。自分の専攻にも関係ない、教養課程の、必修の英語のクラス。週に1度しかない授業。だから、語学が好きだった私も、たいした期待もしていなかった。
でも、こいつのは、ひどい。前の名無しのセンセイよりひどかった。
私たちは、共通一次試験がはじまって間もない頃に大学受験した世代だ。そんな受験方法で大学に行ったのは、私たちのせいではない。私たちは、ある意味では、被害をこうむった方だと思う。
受験英語は試験のしかたが変わろうが変わるまいが、今でも、英語が使えるようにはしてくれないということはよく知られている。
でも、大学受験の方式が変わってまだ何年もたっていなくて、受験に備える手助けをする高校の教員も戸惑っていたし、英語を教える教員も別に、だからと言って、さらに英語力を落とすようには教えていなかったと思う。
私は、高校の英語の授業を特に楽しんだわけでも、英語の先生たちにそう恩恵を受けたわけでもない。でも、こいつよりは、みなマシだった。
フナクラは、1日目の授業で、私たちを、鼻で笑うような態度で話し続けた。
どれだけ、私たちが、英語を知らないか。英語のみならず、勉学というものをしてこなかったか。どれだけダメか。
そして、その元凶として彼がごちるのは、共通一次試験の存在。
マークシートで、いくつかの答えから、正しいものを選ぶ。そんなことしかしてきていない。考えていない。自分で考えようともしない。学問をするという基礎も何もない。あるのは、そんなつまらない試験で点をとり、この大学に入れたというだけ。
ちょっと待て、と今も思う。その時も思った。私だけでないのは、いっしょにすわっている、まわりの学生からも感じた。
試験がマークシート方式になったのは、私たちのせいではない。私たちも、そんな試験のされ方をいいと思っていたわけではない。
だいたい、そんな試験を受け入れたのは、大学教員ではないか。そんなら、共通一次は受け入れないと言って、違うやり方で試験をしてくれればよかった。
同じ職場の同僚の了承が得られず、やむおえず、自分がそれほど忌み嫌うやり方の入学試験になったのなら、文句を言う先は、学生にではなく、その同僚たちなり、こんなことを思いついた、広い意味でのあんたの仕事仲間である、大学関係者、高等教育機関のおとなたちではないか。
それも、私たちは、自分たちも傷つけられた、バカな、新しいやり方の入学試験を、まがりなりにも乗り越え、入れるだけの点数を出して入ってきた、新入生だ。若干18、9の。それらに向かって、よくもまあ。それも、初日の授業で。
言え、それを。教授会で。自分の大学の運営陣に。文部省に掛け合え。そこまで腹に据えかねるものがあるなら。弱いものにだけぶつけるな。おとなが、情けない。
まあ、これも、オクノにしろ、名無しにしろ、似たようなものではあった。
それでも、フナクラを、なぜトップ2にしたのかは、その発言の後の行動にある。
ひとしきり、私たちをバカにし、私たちを相手に、向く鉾先の違う文句を垂れたあと、フナクラは、教科書として、自分が選び、私たちが買ってきている本を開かせた。
一面に並ぶ、4つか5つで塊を作る英単語。クイズのようになっている。どの単語が、一つだけ、意味が違うか。選んで、印をつけていく。一ページいっぱいにあるので、20くらいの、単語グループがあったと思う。
フナクラは、ストップウオッチを片手に言った。最初のページをする。時間は5分。よーい、始め。
ここまで、言動の一致しないことを目の当たりにしたのは、初めてだった。
方向がおかしくても彼なりに熱のあるスピーチだった。でも、やってることが、全くそのまま自分の批判していること、、、。後にも先にも、これほど全く、というのはなかった。また、言動一致していないことになるまでに、かかる時間の短さも。
フナクラの名前を覚えているのが残念だ。忘れたいヤツ。許せるとも許せないとも思わない。ハナクソみたいな教員だった。