[ショート•エッセイ] 運のいい10月
人生の大きな節目になる出来事は、みな10月にあった。
一番新しいのは、親になったこと。
10月の末。
予定された帝王切開で、出産した。
妊娠できず大学病院にかかった。3回だけ試させてくれた、人工授精一歩前の比較的簡単なやり方で、幸運にも、みごもれた。その方法での成功例は15%。自然の妊娠率と同じだ。運に恵まれた。
その前にあったのは、結婚したこと。
10月の第2土曜日。
略式の、役場への届けだけを選んだ。もう一緒に住んでもいたし、結婚自体にこだわりもなく、双方の親も、式を特に望まなかった。それでも、米国では、結婚の儀の証人がいる。それで、婚姻を認める権限のある人のオフィスで、私たちは簡単な儀式をした。その人の言う誓いの言葉を繰り返し、指輪をはめるだけの。
初デートが、その数年前の、同じ月の第2土曜日だった。同い年で、2才違いの異性のきょうだいがいることを知って、親近感を持った。止まらないくらい毎日話した。結婚に憧れも幻想もなかった私が、いつしか、この人と家族を持ちたいと思っていた。
もうひとつは、交通事故に遭った日。
10月の初め。
就職し、自分の車を持って3ヶ月。乗っていた軽四で、トラックとぶつかった。結婚前に看護婦だった母は気丈にしていたが、父は2、3日、何も喉に通らなかったという。年頃の娘の、傷だらけになった顔や、骨の折れた腕や、肉がちぎれた足を見たからだ。それでも、2ヶ月半で退院した。若い肉体と、勝気な精神力のせいだと、みんなに言われた。
今でも傷跡はあるが、生活に支障をきたす障害は残らなかった。憎まれっ子世に憚るを、地で行くような、私の強運。
退院してから、車の事故のニュースが、よく目に入るようになった。たいてい即死だった。なんで私は、とすまないような気持ちになる癖は、それから長く続いた。母は、10月のその日を、私の2番目の誕生日と呼んだ。
過去の記憶が遠くなるのは、不幸なのか、幸福なことなのか。
今の連れ合いと添いとげていなければ、私は親をすることもなかった気がするし、事故でもっと不運な目にあっていたなら、その後の人生で経験したことは、ほとんど出来なかったろう。
10月の私は、強欲なほど運がいい。
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