なんでそんなこと言うの トップ5 自分の交通事故編
私は若い頃、交通事故に遭いました。迷惑も心配もかけ、死んでていてもおかしくない事故でした。冗談になどしてはならないことです。それでも、私は、今の自分から見ても眉をひそめるような発言をしたことがあります。また、なんでそんな事言うの、と信じられないような気になった発言をされたこともあります。その5つです。どの発言も、母以外の家族のものです。
5 事故がなかったら、もっときれいだったんです。
私の発言。事故のあとで知り合いになった人に。冗談が言えるくらいの関係だけです、もちろん。
4 お前は、シブコブがあるけえ。
事故で、顔に傷が残りました。右目の下。片方の眉毛を分断する線。額がコブ状で、少しでこぼこ。ほとんど気にしていませんし、これらのせいで美貌が損なわれたとも特に思っていません。上の言葉は、父のものです。事故から数年後に、髪を後ろでひっつめている私の顔を見て、髪はあげんほうがよかろうが、と言ったあとに、つけたした理由です。私は、ちょっとムッとしたくらいでしたが、聞いた兄が、その無神経さに腹を立てていました。
3 ついでに目も二重にしてもらやあええのに。
これも父です。目の下の、やや目立つ傷3、4センチくらいに、ほんとに何かで切られたことがはっきりわかる刀傷でした。若い女ということもあって、医者に、小さくする手術をするよう熱心に勧められ、そう気にしていなかった私も、手術に同意しました。それを聞いた父が母に言った言葉です。私は奥二重で、父には、その部分の私は美しく見えていなかったようです。(家族はみな二重です。)これは、何年もたって、私が若い女でなくなった頃に、母から聞きました。聞いた時は笑いましたが、その時聞いていたら、父を憎んでいたかもしれません。
2 あんな車乗りたくなかったから、ぶっつぶしといたった。
これは、自分の発言で、今は反省しています。でも、ブラックジョークとして、仲のいい友達に、一回とはなく言いました。とんでもないですね、わたし。こんなだから、事故にも遭うのだと思います。
1 ムチャクチャでございまするがな。
兄の発言。エンタツアチャコという、父母かもっと上の世代の漫才師の、有名なセリフだったそうです。
私が事故に遭った日、実は、父方の叔父も交通事故に遭いました。両親の家に、関西に住む叔父も含め、みんながかけつけました。私の兄は、一番遠くに住んでいたので、戻ってきたときは夜遅くでした。私と叔父のどちらも集中治療室にいるという状況で、重苦しい雰囲気だったそうです。
兄は、その場に入った時、父や叔父らの目が、ほっとしたように、自分に注がれるのを感じて、なにか言わなくては、と思ったそうです。そして、兄の判断は、みんなの緊張が溶けるような何かを、と。このまま、わーっと負の気持ちが続かないことで。で、この年齢の人口にそうもの。それが、上の発言になったそうです。
私自身は、ずいぶんたってから、この話を聞きました。兄は、叔父らに、口では、おめえはアホウか、と言われたそうですが、誰にも本気では怒られたりしなかったそうです。パッとこんなことを言ってしまった兄に、感心したいような気も、あんた何考えとん、と言いたい気もします。
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