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[ショート•エッセイ] 思い出の、物悲しい、子どものための作品(2) 童謡「赤とんぼ」
童謡 「赤とんぼ」
よく知られている童謡は、音律も詩も歌いやすいのが特徴です。また、作られた時代を反映するので、後の時代で聞くと、どれも、いくばくかの物悲しさはぬぐえません。私には「赤とんぼ」が、その最たるものでした。歌いやすさも、物悲しさも。
夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
山の畑の桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか
びっくりするのは3番。
十五でねえやは嫁にゆき お里のたよりも 絶えはてた
で、最後は、また、
夕やけ小やけの赤とんぼ とまっているよ竿の先
と、俳句の余韻のような歌詞で終わります。私はいつも、この流れはすげえなあ、と思っていました。赤とんぼで、無理やりオシマイ、にする見事さも。嫁に行くのが15なのも。
3番の歌詞に、私には、十四で嫁いだという父方の祖母のことが浮かびました。その祖母が、若すぎて、なかなか子ができなんだ、と言っていたこと。自分の生家は裕福でなかったけど、そこまで貧乏ではなかったので、子守奉公には出されなかった、と自慢げに言っていたことも。
ねえや、というのは、最初は、この歌の視点の子供の姉かとも思いました。でも、使用人と呼ばれる立場の人だったのでしょう。
仕事の奉公あけに、実家に帰ってすぐ、または帰る間もなく、嫁いで行く。年若くして。元の奉公先はもとより、おそらく実家にも、帰ったり連絡したりということもなくなる。女性の悲哀。
その時代の慣習、と言えばそれまでですが、国が、地域が、自分の家が豊かでないとは、なんと厳しく悲しいことか。昔は皆がそうだった、と言うのは簡単ですが、それが自分の身にふりかかることだったらと思うと、、、。現代っ子で育った私には、とうてい受け入れない。大学を選ばせてくれないというレベルで親に腹を立てていた私を、すみませんでした、と思わせる。
もし私が「赤とんぼ」の頃の女の人だったら、こういう現実を受け入れて、嫁いで行き、お里のたよりも絶え果てていったのでしょう。それはそれで、しあわせだったのでしょうけど、私の祖母たちのように。でも、そう想像することは、もうそう若くはない私でも、息苦しさを感じました。
この歌は、歌詞が短く、メロディーが単調なので、私は子供を寝かしつけるのに好んで歌うものの一つでした。そのたび私は、祖母や母や叔母たちや親戚のおねえちゃんたちや、前の世代の女の人たちのことを、思っていました。