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今、大学生だったら、絶対「クソが」と言っていたであろう、恩師と呼ぶ気にならないセンセイたち トップ5  (5)

1 カナゼキ(たぶん)

私が大学で勉強したかった外国語ナンバーワンの言語の教授だった。

私は、授業を楽しみにした。

別にカナゼキが、大学院を終わらせたばかりの若い男性教員だったからではない。わりあい顔のいい、イケてる感じの教員だったからではない。

カナゼキの授業はつまらなかった。そもそも、おとなしいというか、覇気ややる気という印象をまったく受けなかった。

まあ、文学勉強して、大学教授になろうと思った人なのだから、内向きな感じなのも、さにあらん。授業を受ける学生の身としては、つまらないが、まあ大学のセンセイというのは、こういうもんか、と。

それに、週に1回しか会わない語学の授業で、できることは限られている。英語の教員らも、別に英語を使えるようにはしてくれなかったし、そうしようとも思ってなかったと思う。 



トップ3で挙げた名無しの教員などに代表されるように、大学の教員らから受けた印象は、勉学というものに秀でるのは、もともと成績がよいものだけ。付け加えるとしたら、自分たちが行ったような大学でだけ。語学なら、英語でも他の外国語でも、自分たちのようにできる上、現地に留学のできた者だけ。

自身が語学を教えるクラスでも、彼ら自身が、そんなものは教えられると思っていなかったのだと思う。

私たちの頃でもまだ、大学に行く人口は、今ほど多くはなかったが、名無しの時代には、ほんとうに一握りの、幸運な、裕福な家庭の子だけが行っていたのだろう。

そして、裕福であるがゆえに、自分が勉強ができ成績がいいのも、その環境あってこそ、ということに思いもよせない輩ばかりが、大学の教員職についていたのかとも思える。私が挙げた教員らをみていると。



カナゼキも、留学したと言っていた。うらやましいし、憧れた。カナゼキにでなく、留学に。私たちの頃は、留学するものもできるものも、まだ非常に少なかった。

カナゼキは、他の教員と同じように、教員への質問の時間があった。来ることを期待してはいない、というのは、うすうすわかってはいたが、思い知ることになった。

私は、この言語の別のクラスの、女性外国人講師のところと、年配の男性英語講師のところには、オフィスに質問に行ったことがあるが、ほかの教員には近寄らなかった。


でも、ある日、この教員と話してみたくなった。

その当時、ある、英語でないロックシンガーの曲が流行っていた。私が一番興味を持っていた言語で。女性ロッカーで。ノリのいい曲で。流行ると言っても、聞いている人は、私の周りにはいなかった。

ある日カナゼキが、その曲をクラスでかけた。カセットコーダーをわざわざ教室に持ってきて。カナゼキが、かっこよく思えた。

話してみたくなった。その歌い手のことを。第2外国語を勉強することを。留学のことを。どうすれば、カナゼキみたいに、英語でない言葉を身につけられるのか。

私は、意を決するというほどの大げさな気持ちでなく、でもちょっと緊張しながら、カナゼキのオフィスに出向いた。

書いてある、質問の時間。週に一回だけの。

閉まっているドアをノックする。カナゼキが、ゆっくりドアを開けた。

私を見るカナゼキの表情は、とても、いらっしゃい僕の学生、と思ってはいないことが一目瞭然だった。

普段からも笑いもせず、表情も乏しいカナゼキ。どちらかというと、まさか学生がきたことに、不意をつかれたように見えた。うっとおしく、やっかいに感じたのかも。

私はカナゼキに、この間授業でかけていたロッカーの音楽を、私も好きだと言った。表情を変えずに、カナゼキが、やや戸惑うように頷く。戸口に立っていて、中に入れとも言わない。思い切ってやってきた学生を、緊張させまいという心遣いも、みじんも感じない。

後から考えて、大学院を終わって初仕事でついた一年目の彼には、自分が教員であることも、教授職という立場であることも、自分とさほど年も違わない学生が、学生として、やってくること、全てが、新しかったのだろう。

何も、会話にならないまま、私は、自分はこの言語にとても興味があるので、もっと勉強したいと言った。ああ、そう、に匹敵するほどの応答がかえる。どう対処していいのかわかりかねているようだった。

今の私は、カナゼキが、当時成人だとしても、たかが30前後だろうし、その若さと経験のなさで、ほかの年配教員よりは、許してやる気になる。

でも、遠い昔を、距離を持って見ても、そんな教員を、自分が一番興味のある科目に持ってしまった、大学1年生の自分が気の毒だ。

私は、歓迎されていないことはわかった。5分も会話は続かず、私は去った。すぐに思ったのは、カナゼキの怪訝そうな顔。

顔のいい教員だった。少女マンガチックな、長めの髪。都会的なメガネ。あの若い教員は、女子学生が俺に気があって来たのか、くらいに思って迷惑に思ったのかも、とその頃思った。

でも、今の私は、たとえそうでも、きちんと高等教育での、教える部分のあんたの仕事をまっとうせえや、と言いたくなる。

給料もらってるんだから。

もっと言うと、私の親の払う授業料が、あんたの給料の一部をまかなっているんだから。


若さゆえ、同情心もなきにしはあらずの相手だが、私のリストではトップに来るのには、理由がある。

私は去年、偶然、カナゼキをテレビで見かけた。あるテレビ番組に、有識者として出ていた。文学のセンセイなのになぜ、と思う、ヨーロッパでの心理学についてのことだった。

それで、カナゼキが、大学院出たてで着任した職場に今もいることを知った。老けてはいたが、太りもやせも禿げてもいず、ちょっと見た目のいいオヤジだった。

でも、話し方が、当時を思わせるようなもので、年をかさねた今でも、学生のめんどうをよろこんで見ると言う感じには思えなかった。あのまま、年をとったのだろうと思える風情だった。

見なかったら、カナゼキのことは、忘れていたのに。でも、思い出したら、一番腹立たしく思う。

私は、大学のうちに、第2外国語は身につけられなかった。2年目のその言語のクラスはとらなかった。あんなに勉強したかった外国語なのに。カナゼキだけのせいではあるまいが。

でも、カナゼキがもうちょっとしっかり学生を見れるやつだったら。私の大学生活も、もっと早くに立て直せていたかも。その言語にかかわる仕事をしていたのかも。

カナゼキも、京大かどこかの出身だった気がする。結局、その当時私が感じていたことが、今も私の感想だ。

オクノのように、その、ランクの高い大学やら大学院出身のセンセイらは、教員の名ばかりで、自分が教えている、自分のようなできる人らが行く大学ではないところに来るような学生が、自分のようになるとは、全く、期待していなかったのだ。まったく、伸ばそうと言う気持ちはなかったのだ。


カナゼキに、私はきっと、知らず知らずに期待していたのだと思う。

ほかの、エリートの塊みたいな旧世代の教員には、あきらめていることを。この人は、と。自分とそう世代が違わない教員なら、と。ロックを聞き、教室に持ち込むような人なら、と。

愛は憎しみに、じゃないけど、期待を裏切られたことは、裏返しの、強い恨みになる。

わかってる、カナゼキのせいではないことは。期待したのは私の勝手なんだから。

でも、大学に入って、知らないことを知ることや、もっと知りたいことを見つけることを、大学の中にいるオトナに、手助けしてもらえないなんて、なんなんだろうと思ってしまう。

何しに大学に行けと?

何しに来いと?

私の中では、当事者意識のない大学教員らの代表選手に、カナゼキがなった。

ある意味、すまん、カナゼキセンセイ。でも、あんた、今までずっと、大学教授の身分やら特典を楽しんできたんだから、いいよな、それくらい。



ぐるぐる回って、記した五人のセンセイみんなに感じたこと。

あんたらの幸運は、たまたま、ラッキーな時に、ラッキーなところにいたというだけ。それに気づきもせず、勘違いしたあんたら。

もう18でも19でもない私は、どなったり、「クソが」と、つぶやいたりはしない。

ただ笑ってやりたい。自分ももう大人の社会人として、戒めにしたい。

それだけが、自身もクソだった私が、彼らから学んだことかもしれない。


(実は、カナゼキかカナセキかどちらかわからない。どうでもいいので、そのままにしておきました。)


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