シェリー
その人をシェリーと呼ぼう。
敬称なしで。
シェリーは、今月半ばに亡くなった。
最後に会いに行った時、わたしは、カーネーションを持って行きたかった。
母というほどの年の差ではない。でも、職場の人をつつみこむような、みんなの仕事を助ける、ありがたい、甘えてしまう存在だった。
寄った店にカーネーションがなかったので、ほかの春の花を買って行った。
シェリーは、引っ越してこの町に来た時、知り合いがいないわたしが、いちばん最初にやさしくしてもらった人だ。新しい勤め先のほとんどの人らは、水がゆるむのに時間がかかった。寒い季節だったせいで、近所でも、人を外で見かけることがほとんどなく、心細い気持ちだった頃だ。
彼女のオフィスに顔をのぞけると、花が咲いたような笑顔になって、わたしを迎えてくれた。町に来てからも、来る前でも、聞いたことのないようなほめ言葉を、口にしてくれた。花の苗の交換会とか、町に住んでいる人誰でもが知っているわけじゃないことを、メールで知らせてくれた。
はげまし。エール。
お世辞でもあっただろう。でも、シェリーのものの言い方にも、書き方にも、そんなことは感じさせられなかった。わたしが実は、言葉にふさわしいほどのいい人、というのではない。彼女には、人を前向きにする明るさがあった。言葉にも、態度にも。
彼女が、わたしより年上なのは知っていた。だから、去年の暮れに、退職すると聞いても驚きはしなかった。そろそろなんだな、と思わされるような話も、耳にしていた。
だけど、退職して半年もたたない彼女が、入院したと聞いたときは、びっくりした。たしかに、やや肉付きがよく、歩くのに少し苦労していた。でも、これが、彼女に関して初めて聞く、入院だった。
病院ではなくホスピス。
終末期ケア。緩和ケア。
詳しい事情は知らない。倒れて、脳の働きも、体も、急に弱った、と。つじつまの合わないことを言ったり、記憶がうすれていたり。そして、食事がのどをとおらない。
そして、本人が、病院ではなく、ホスピスへの入院を望んだ、と。
そういう知らせを聞いて、わたしは、すぐ見舞いに行った。
カーネーションを持って行きたかった、と帰りに思った。
思ってしまった。
それが悔いになるんじゃないかと不安にもなった。
だから、もう一度会いに行こう、と思っていた。
思うとおりの花を買って。
まるで、病気見舞いのように帰ってしまったことも、よかったのかどうか、判断がつかなかった。また会いに行こう。きちんと、今生の別れと思ってあいさつしよう、と思っていた。
そして、その2日後に、彼女が亡くなった知らせを受けた。
人生80年、100年と言われ出して、その前提を本気で思うようにもなっていた。でも、全員が80歳まで生きるわけじゃない。その年齢に達しない人もいる。そこに達することを選ばない人もいる。
涙が出たし、天にも祈った。そして、彼女に学んだことを、強く思った。
わたしも、だれかのシェリーになりたい。
不安だったり縮こまっている人に、エールを送って。
わたしも、「シェリー」で逝きたい。
最期の見送りをする人に、パーティーだね、と言わせて。
残された人が、自分もそうでありたいと思うような。
持って行かなかったカーネーションは、やっぱり少し悔いになった。
持って行こう、と固く思う。
あげたい花を。
渡したいと思う人に。
間に合ううちに。