惑星ループ(後)
俺はループ対して一つの仮説を持っていた。
「スズミが死ぬと、この世界はループするのではないか」
と。
その後3周目と4周目もループを繰り返した俺は、自身の仮説が限りなく正解に近いと確信する。また5周目で機体を修理して宇宙に出ることはこのループのタブーなのだということに気付いた。
さらにこの星の環境とスズミの容態に関連があることにも気付いた。つまり、この星が荒れ、砂嵐が吹くようになればスズミの容態は悪化し、この星の環境を維持できれば、スズミの容態は悪化はしない。
星の環境とスズミの容態の関連性に気付いた俺は、この星の環境を維持できる方法を模索し始めた。手始めに前回作った排泄物とゴミを調合した肥料を量産し、広範囲に撒いた。
また、地面を掘ると表面の砂の質とは異なった別の砂の層が見つかった。試しにその層の砂に肥料を撒いてジャガイモを育ててみると、絶品のジャガイモができた。そう分かると、宇宙船の一部を分解して改造し、強力な送風機を作り、表面の砂を取り除いていき、肥料と水を撒いた。するとあの乾いた地面は嘘だったかのように砂は水を吸うようになり、面白いくらいに美味しいジャガイモが量産できるようになった。そして予想通り、外の環境が整えられた結果、スズミの容態はかなり安定していた。
しかし6周目のループで約3週間が経った頃、やはりスズミは時折苦悶の表情を浮かべるようになった。
そして、それから2日後、小さな砂嵐が訪れることなく、唐突に例の大砂嵐が到来し、全てを薙ぎ払い、6周目のループも失敗に終わった。
「何がいけなかったんだろうか」
俺は再び送風機と肥料を携えて外の環境を整えながら考えた。しかし、あまりに環境作りに没頭していたせいで、彼らの存在を忘れていた。機体から少し離れていた俺は警報音にも気づかず、はっとして顔を上げた時には蠅と蚊たちに囲まれていた。
ぶうん、と目の前の蠅が羽をはためかせた。それだけで俺は死をも想起し、背筋に冷たい汗が伝ったが、その蠅の次の行動は全く予想外のことだった。
「お前は、誰だ」
蠅は、言葉を話した。
俺は何か言葉を返そうとするが、上手く言葉が出てこない。
「どこから来た?」
蠅の言葉には明らかに敵意があった。
「地球から」
俺は乾いた唇を動かしてなんとか言葉を発した。
「ちきゅう、、、」
蠅は地球を知らないようだった。
「何の目的で?」
「目的なんかない。見ろ、宇宙船が壊れて、この星に衝突しただけだ」
「嘘つけ」
羽音が一瞬したかと思うと、目の前の蠅は消えていて、自分の真横に不気味な気配があった。俺は顔を横に向けるどころか、指一本動かすことができなかった。
死んだと思ったが、蠅は俺を殺さなかった。しかし、蠅は俺の匂いを嗅ぐとニヤリと嗤った。
「この匂い、そういうことか」
「どういう…」
「説明しても分かるまい。自分の匂いは自分には分からないのだから」
蠅は依然として不気味な笑みを湛えている。
「ただ、そういうことならこの星の環境を適度に整えている限りは殺しはしない。せいぜい頑張りな」
そういうと蠅たちは一斉に羽をはためかせたので、俺は思わず静止した。
「待て」
俺の言葉に、蠅は一旦羽を止める。
「ここは一体どこなんだ。あの大嵐はなんだ。匂いってなんだ。そしてなぜループする?どうやったらスズミを救い、ループから抜けられる?お前たちはループの法則について知っているのか?」
「ループ?」
ぴくり、と蠅が反応した。
「それはどういうことだ?」
蠅が話に食いついてきたので、俺は大嵐のことやこの星の環境とスズミの関連性など衝突してから今までの経緯やループの条件などについて語った。
そう言うと蠅はまた口角を歪ませた。
「薄っぺらいねえ、実に哀れだ」
「何が……」
「思考も、何もかもが」
蠅は羽を震わせて笑った。
「お前たち2人が揃って生き延びられることはない、絶対にな」
そう言い残すと、今度は俺の言葉に耳を貸すことなく、蠅たちは一斉に空に消えていった。
結局それ以降蠅たちとは会うことができず、ループ開始から21日目に例の大嵐がやってきて、7周目が終わりを告げた。
8周目のループであることに気付いた。ループ初日に外に出ると、1周目のように乾ききってひび割れた荒野が広がっているわけではなく、土はわずかに水分を含んでいて、すぐにでもジャガイモが育ちそうだった。
つまり、ループは完全に全てがリセットされるわけではなく、星の環境は前回の終了時点の環境が少なからず次のループに持ち越されているということだった。
俺は少しだけ希望を感じた。この仮説が事実なら、この星の環境を整えてスズミを回復に向かわせるのは想定よりも幾分容易そうだったからだ。
予想通り、土壌の改良はこれまでよりも一段と早く進み、スズミの体調も非常に安定していた。ただ、蠅に言われた言葉だけが気がかりだった。
『お前たち2人が揃って生き延びられることはない』
あの言葉はどういう意味だろうか。考えても当然答えは分からず、悲観的推測に頭を悩まされるばかりだった。悩むなら本人に訊くのが早いとまた蠅たちが姿を現した際に問いただしたが、蠅は俺の質問を軽くあしらった。
何もかもが上手くいっているはずだった。しかし、大嵐がやってきたのはこれまでで最短の18日目で、8周目はあっけなく終わった。
9周目。俺は少しずつ怖くなっていた。星の環境は確実に改善され、スズミの容態も安定している。にもかかわらず、大嵐のやってくる間隔は次第に短くなってきている。もしループを重ねる度に大嵐の間隔が短くなっているとしたら…最後はその間隔が0日になり、永遠に大嵐の中に閉じ込められてしまうのだろうか。そういった考えが頭をよぎる。
徐々にリミットが迫っている。そういう感覚があった。そしてその予感が的中しているといわんばかりに、9周目は13日目でスズミの容態が急変し、たったの15日で幕を閉じた。
10周目。これまで改善され続けてきたはずの土壌が、心なしか固くなっている気がした。
蠅たちにこの星の環境について詳しく聞くしかないと思ったが、それは叶わなかった。今回の蝿たちはいつもと明らかに様子が違った。蠅たちは殺意を持って、明らかに俺を攻撃しにやって来ていたので、俺は奴らを殺すほかなかった。
このまま今までの方法を続けていても先はないのは明白だった。かといって手がかりもなく、何もない外をひたすらに歩くほかない。
しかし、俺はこの日思わぬ収穫をすることになった。
3時間ほど歩いて何も見つからず来た道を帰ろうとした際、俺は足を「何か」にぶつけて転びそうになった。俺は慌て砂から少しだけ頭を出した「何か」を掘り出すと、それは生物の骨だった。
俺は持って帰ってサーディンに調べさせようとしたが、その骨は非常に脆く、触るたびに細かく砕け、土に還った。ただ、地面を注視して歩くと、同じように他のところにも骨が埋まっていた。
そして俺はとんでもないことに気付く。
ひょっとして、この星で俺が「砂」だと思っていたものは、全て風化した生物の「骨」だったのではないか、と。考えながら恐怖で体温が下がっていくのが分かったが、細かく砕けた骨は砂と同化しており、それが紛れもない真実だと告げていた。
俺は恐怖を感じながらも、この発見がループから抜け出す大きな手掛かりであると信じて疑わなかった。
しかし数時間後、サーディーンに持ち帰った骨を調査させた俺は、こんな発見しなければ良かったと己を呪うこととなった。
空になったカップ麺の容器に骨を入れて持ち帰った俺は、すぐさまサーディーンに骨の成分の解析を試みさせた。成分解析などサーディンにとっては朝飯前で10分と経たないうちに「結果が出ました」と声を掛けてきた。
「どうだった?」
俺が期待を込めて訊くと、サーディーンはいつもの心のない口調で端的に告げた。
「尼シンのDNAが検出されました」
俺は自分の耳を疑った。
「今、なんて……」
「尼シンが持ち帰った骨からは尼シン自身のDNAが検出されました。一致率は100%で疑いの余地はありません」
「ふざけるな!」
サーディーンが冗談なんて言わないと分かっていながらも、そう叫ぶしかなかった。
状況が一切呑み込めない。この星の砂は全て生物の骨からできていて、その骨からは俺のDNAが検出された。つまり……
つまり、の先は見えるはずもない。サーディーンが突き付けた事実は理解の範疇をあまりにも超えていた。
「この星は一体……」
その時、機体が大きく傾いた。大嵐だった。
またか、としか思わなかったは俺がもうループに慣れきってしまったからではない。きっと、この受け止めきれない現実から目を背けたかったからだ――
次のループでは俺は何もできないでいた。
この星の砂から自分のDNAが検出された。
その事実があまりにも重くのしかかり、俺は何をどうすればいいのか分からなくなっていた。もうどうにでもなればいい。初めてそう思った。
そして何もしないまま時間だけが過ぎ、11周目のループは17日目で終了し、12周目のループも何もできないまま終了した。
しかし、また謎が1つ増えていた。この2周、何もしていないにも関わらず、ループまでの日数が長くなった。12周目のループは11周目よりもさらに長い20日でようやくループした。
ループする度にループ間隔が短くなっていくという予想は、いい意味で外れた。だがその代わり、どういう条件の際にループ期間が長くなり、どういう条件の際にループ期間が短くなるのか、そもそもループを脱するにあたって、期間がどれぐらい重要な意味を持つのか、といった複数の謎が浮上した。
俺はふと蠅たちの言葉を思い出した。
「星の環境を適度に整えているうちは殺しはしない」という言葉を。
土壌を整えればスズミの容態も安定した。それゆえ、土壌は改良すればするほど良いと思い込んでいた。しかし、ひょっとするとそれは『適度』ではなかったのではないかと。現に、土壌改良を続けた10周目には土は固くなった。
そう分かると、俺はこの星の『適度』を見極めるために、あらゆる条件を試した。表面の土を払って土壌を改良する条件、表面の土は払わずに土壌を改良する条件、蠅たちを殺す条件、蠅と蚊の中で一方だけを生かす条件、いずれも生かす条件など徹底的に分析を行った。
その結果、ループ期間を延ばすことに成功し、また、ループ期間が28日前後の時が最もスズミの容態が最も安定するということも分かった。
しかし、スズミが目を覚ますことは一度たりともなく、ループから脱するという根本的な問題は解決できていなかった。
25周目。俺は医務室のベッドの横で座り込んでいた。
手詰まりだった。
もう試せる方法は全て試した。それでもループから抜けられそうな予感はなかった。
最後に試せることは一つ。今までの情報をサーディーンに伝え、サーディーンから解決法を提示してもらうことだ。サーディーンのデータベースにはこの世の書籍全てを集約したものと同等の知識が蓄えられている。サーディーンが分からないことは、この世の誰にも分からない。
「サーディーン」
「はい、お呼びでしょうか?」
「この世界はループする。ループ周期は一定じゃない。28日前後で最もスズミの容態が安定する。ループは完全に何もかもがリセットされるわけではなく、星の環境は前回のものが引き継がれる。星の地面は複数の層に分かれていて、最も表面の層を取り払ってしまうとループ期間は短くなる。ループ期間が短くなりすぎると、スズミの容態は悪化する。ただ、何も手入れしない状態だとループ期間は伸びるものの、土は干からびたかのようにひび割れて厚くなり、同じく容態は酷く悪化する。また蠅や蚊などの生物がいるが、なるべく殺さない方がいい……」
俺は必要な情報を伝えた上で尋ねた。
「これに類似した現象がこの世に存在するか?」
サーディーンの回答はあまりにもあっさりしていた。
「存在します」
正直全く期待していなかっただけに、危うく「そうか、やっぱり存在しないか」と言いそうになった口が開いたまま止まる。
「……存在するのか?」
「はい」
次にサーディーンが放った言葉を、俺は理解ができなかった。
「人間の肌のターンオーバーという現象に酷似しています」
「ターン、オーバー……?」
「はい、ターンオーバーです」
そう言って、サーディーンはターンオーバーについて詳細に説明した。俺は肌のことなんか何も知らなかったが、確かにサーディーンが話すターンオーバーや肌の構造は、まさに俺がこの星で体験してきたことと酷似していた。
そして、サーディーンの説明を聞いた俺は、蠅の言っていた『お前たち2人が揃って生き延びられることはない』という言葉の意味も分かり始めていた。
しかし、一方でまだその事実を受け入れられず、自分の目で確かめるべくスコップ取り出して宇宙船を飛び出した。
俺はスコップでひたすらに穴を掘った。表面の砂を取り払い、2層目の砂もひたすらに掘った。しばらくすると骨が出てきた。俺の骨だ。サーディーンの話が本当なら、それ以外のものも出てくるはずだった。
さらに掘り進めると、骨でもない「何か」にぶつかった。俺はスコップを置いて、手で「何か」の周りの砂を掻き分けた。すると、やはり予想通りのものが砂の中から姿を現した。
砂の中から出てきたのは、冷たく動かなくなった俺だった。
俺は砂まみれの俺の手を払って、その手を握った。目の前で死んでいる俺を見て、ようやくサーディーンの言葉も蠅の言葉も全てを理解し、受け止めた。
この惑星はスズミの身体で、俺はその中の角化細胞だった。
宇宙船に戻ると、俺は小型拳銃を手に取った。
俺はこの10数周であらゆる条件を試してきた。
――たった1つ、俺が死ぬという条件だけを除いて。
何も死ぬのが怖かったわけじゃない。ただ、その条件が不正解で俺だけが死に、この世界にスズミだけが取り残される状況になったらと考えると、絶対的な確信を得られるまでは実行できないでいた。
だが、今なら絶対的な確信がある。
俺は角化細胞だ。本来なら死んで角層にならなければならない。角層にならなければ、俺はスズミを守れない。俺が死ぬことでスズミの容態は初めて完全に正常になる。このループを抜け出す唯一の方法は、俺が死ぬことに他ならない。
俺は拳銃を自分のこめかみに突きつけた。全てを理解した今、恐怖はなくなっていた。
俺はゆっくりと引き金を引いた。直後、軽い音がして視界が歪み、そこから先のことは覚えていない。
「エンジン回転数低下。推力維持不可。エンジンオーバーヒート。コントロールロスト」
「ダメ!……落ちる!」
私はそこではっとして目を覚ました。
「夢か……」
身体を起こして視線をキョロキョロさせたが、いつもと何も変わらない自分の部屋の、自分のベッドの上で安堵する。
――不思議な夢だった。
よっぽど肌に悩んでいたのだろうか。私は一度大きく伸びをして、ベッドから降りる。
「あ」
洗面台に向かいながら私はとてもくだらないことに気付いた。
「回転数とオーバーヒートって、そういうことか。安直なヒントだなぁ…」
思わずくすりと笑ってしまう。
それから洗面台に向き合った私は、口を開けて固まった。
私は鏡を眺めたままゆっくりと腕を上げ、中指と人差し指の腹で優しく肌を撫でた。
今までに感じたことのない滑らかさが指先から伝わってきた。
鏡に映る私の肌は、まるで自分のものではないかのように綺麗になっていた。
私はまたくすりと笑った。
「守ってくれてありがとう、尼シン」
そう言って、洗面台の端に置いていたピーリング化粧品をゴミ箱に投げた。
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