人は「やればできる」のか?
「やればできる」というのは、真理ではなく心理についての命題だと思っている。
つまり、客観的事実あるいは世界の理について言っているのではなく、「私は世界をどのように見ているのか」という世界観あるいは信念についての言明。信じるか信じないかなは、あなた次第です、というやつだ。
「やればできる」を遂行的に捉え直すと、仕事におけるハイ・スタンダードを維持する、ということになるのかもしれない。
そして、その遂行性を高めるのにいちばん大切なのことって実は、《私はこれを何度も体験しました》という部分ではないかと感じている。
つまり、方法論の問題ではなくて、他の誰でもない自分が《嬉しい裏切り》を目の当たりにすることで、「やればできる」に対する(信用ではなく)信頼が生まれる。
ちなみに、信用と信頼の違いはこちら。
冒頭の引用を、リーダーシップ開発や育成スキル向上の文脈で読むならば。今いる人に方法論を仕込むのではなく、その人がそういう場に居合わせる瞬間を増やす。卵と鶏なんだけど、そういう循環をつくっていくことが大切だと感じた。
これも、「そういう場に居合わせる瞬間を増やす」という意味では同じかも。《そこさえ伝われば、本人の意思で自分を向上させたい、と頑張るからです。》ってまさに性善説マネジメントになっている。