着手主義という仕事のOS
まったくまとまってない状態で書き出してみる。
僕の仕事のOSは、ずっと「GTD」「タスクシュート」「マニャーナの法則」だったし、いまもそう。最近そこに、「着手主義」というのが加わっている感覚。着手主義でググってみると、それなりに使われている言葉のよう。
着手主義を僕なりに定義してみると、「終わらせなくていいから、まず手を付けてみる。どれくらいの手の付け方かというと、『ファイルを開く』くらいでよい。やる前はいろんなことが頭をグルグルして腰が重くなるけど、いったんやり始めると、『なにがわからないか』がわかったり、そもそも『実はわからないことなんてなかった』ということがわかる。結果、気が楽になる」だろうか。
いったん着手主義というフックが生まれると、関連するものが次々と目に入ってくる。
着手主義というのは、「チャットやメールは即レスしましょう」というのとは別物だと思っている。
「チャットやメールは即レスしましょう」というのは、「そうしないと相手に失礼だから」「レスの早い人は相手から仕事のできる人と思ってもらえるから」といったように、相手ありきの考え方だと思っている。それが悪いというわけじゃなくて、想定している視点の問題として。
一方、僕が着手主義というときは、相手は関係ない。とにかく、自分の心の安寧のため。上記の引用でもすべて、自分の心の安寧に言及している。
自分の心の安寧が、アウトプットの質につながる。即レスという「態度」ではなく、相手に届ける「アウトプットの質」に目を向ける。質の高いアウトプットを相手に届けることが、結果的に相手のためになる。ほら、一周回って相手のためになってる。成果主義って、そういうことだよね。リモートワークに順応できるかどうかの分水嶺だとも思う。
着手主義をやれるかどうかは、ツールの問題も大きいと思う。そのツールの思想がそもそも着手主義になじまないと、そのツールを使ってる限りは着手主義にならない。無理やり着手主義にできるかもしれないけど、「無理やり」と言ってる時点で心の安寧に反する。
僕の場合はScrapboxとアウトライナーが、着手主義を実現するために必要なツールだ。もしかしたら逆かも。この2つに出会ったから、「あ、着手主義っていう仕事の進め方があるんだ」と気づいたのかも。
Scrapboxとアウトライナーの説明は別の機会に譲るけれども、少しだけ。
僕はScrapboxを会社関係以外の自分用公開メモとして使っている。これは、「思いついたことを思いついたときに、思いついただけのレベルで書きなぐっておいて、またあとからなにか思いついたら書き足しておけばいい。もちろん、『書き終わる』ということはない」場所だと思って使っている。さきほどの3つ目の引用でいうところの《落書きレベルでもいいからアウトプットしておく》にあたる。
なお、アウトライナーについては、プライベートではWorkFlowy、会社ではクラウドサービスが使えないのでOneNote。OneNoteは厳密に言うとアウトライナーとしては片手落ちなんだけど、ここも着手主義。まず使ってみてる。そしたら実用上なんとかなってる。一方、WorkFlowyは完璧。
OneNoteはいま、ToDoリストと議事メモと作業メモと成果物が渾然一体と存在する場になってる。これだけ聞くと渾然一体というかただのカオスじゃないかと思われるかもしれないが、僕の中ではカオスではなく、「シームレスにつながっている」という見え方になっている。アウトライナーは面白い。
《まったくまとまってない状態で書き出してみる》ということで、着手主義的に着手主義について書いてみた。読んでくれる人という相手がどう思うかは置いといて、ひとつ書き上げられたという充実感は、間違いなく僕の心の安寧につながっている。