藪の中
ぐるんぐるんとまわる洗濯機を見ていて、ふと思い出した光景がある。
まだ小娘だった頃、こうやって早春の肌寒い中、蹲って聞いた話だ。あのときも頬にフリースの襟が当たっていた。
なお、これは大昔に勤めていた職場が入っていたビルの、非常階段が階ごとに喫煙所になってて、タバコは吸わない私が、よくそこから富士山を眺めていたときに聞こえていた、上階の会社の話をもとに脚色してます。
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ある日、何かのはずみ、たとえば取引先、たとえば社員やバイト、たとえばいちファンとして「彼女」Bさんが現れる。
「彼女」は巧妙に彼に近寄る。
まわりの女性はたんに「仕事の相手」として彼(経営者だったりクリエイターだったり、仮に『彼』もしくはAさんとする)に接して普通に「仕事」している。
だがBさんは仕事をたねに、あだ名で呼び合う程度に親密な(ほぼ、だいたい、付き合う。まれにものすごい愛妻家ですべての女性に対しジェントルだったり、男女問わず困っている人は必ず気にかけるような優しい人のケースもある)距離で「彼」と近い距離まで詰める。
そのあと、ほぼほぼ100%、彼女の不満(仕事や環境や扱いについて)に対する改善、己の承認欲求を満たすための、何某かのアクションが「彼」を通じて周囲に求められる。
ここは「仕事場」である。
しかし、「彼」なしではまわらない仕事場だ。
ゆえに、「彼」に付随する「彼女」の存在はだんだんと不協和音をまねく。
調整しようのないものを調整する必要が生じる。
ゆがみは拡大する。人間関係がぎすぎすしだす。みんなはAさんが大好き。尊敬している。その仕事を見て学びたい。けれどだんだん、その場に嫌気がさしてくる。
たとえば、人格者で知られた男性Aさんがメインスタッフとして参加し、制作した作品とか商品の、発表会とか、打ち上げがあるとしましょう。
その作品や商品は、大勢のスタッフによって作られるものだ。
だから芸能人などを招いて行われる華々しいイベントは、下っ端のスタッフはまず入れない。
広報担当者は、「社外や社内やチームのだれが出席するか」をものすごく神経を使って調整する。
入れない、席がない、ということを「仕事が評価されなかった」と思われては次の仕事も頼めなくなるのだ。
だから、社内で「あの人なら会場の関係者席に座るのも当然だよね」という人を厳選する。
逆に言えば、選を誤ればその後、担当者は社内で総スカンをくらうのだ。
担当者は現場の制作関係者と調整に調整を重ね、Aさんを含む数名を厳選して送り込む手はずをととのえる。
そして前日、担当者に電話がかかってくる。
「Bちゃん、今回すごくがんばったのに、楽しみにしていた制作発表会に入れなくて困ってるらしい。どうにか調整できないの。それが君の仕事でしょ」
いやいやいやいや。
最近現場をうろちょろしだした末端スタッフをなんで関係者席に座らせなあかんのや。おい。待てや。
Aさんは純粋に正義感で言っている。
広報担当者は会場の席の数を握っている、例えば配給元と調整するのが仕事でもあるだろう。俺はしっかり自分の仕事をしたんだから、お前も担当者として、その仕事をやれや。という意味もある。
担当者は忙しいAさんを広報用の取材などで連れ出したりして、社内で恨まれているふしもあり、孤立無援ぎみでもある。
いっぽうBちゃんは、社内でうとまれているのを肌で感じている。
また、Aさんの庇護を得ることで自分の思うがままになる快感も感じている。
で、ちょっとうさをはらしたくもある。
だから、けっこうな嘘をついて、いじめられている自分を演出したりもしている。
Aさんは才能はあるが人を疑うことを知らないので、それをすっかり信じている。
担当者がその後どうするかーーAさんの顔を立てて席を調達してやるのか、丁重にお断りするかはケースバイケース。
Bちゃんがその後Aさんと付き合うか、付き合わないかもケースバイケース。
Bちゃんと付き合ううちに、Aさんの才能がそのまま枯れてしまうケースや、付き合いに難が出て、業界で「あの人は今」になってしまうケースもあるようだ。
ココロの闇に引きずり込まれて二人でメンヘラってしまうケースなどもある。
私が思うに、業界問わず、そういうことってけっこうなあるあるだ。
Aさんが既婚者で、その奥さんが怖いめの人だとあんまりない。
また、男女が逆のケースはあまり聞いたことがない。
ただ若い女性に才能があった場合、ちょっと年上の男性が庇護者づらして取り入って、結局だめにしてしまうのは結構ある。
役者のAB蔵さんの奥さんの、アナウンサーの妹さんなどこのケースかもしれない。
学生で、プロから数多の仕事の誘いがかかっていた女の子が、学校で講師として技術指導に来ていた本業ではぱっとしない男性と学生結婚、たてつづけに妊娠して、業界人としては消息がわからなくなる話も聞いたことがある。
才能って難しい、ただ純粋にものをつくったり仕事をしたりするだけにほとばしればいいのに、そんなことを思ったこともあったなあ。
でもいったい真実ってなんなんでしょうね、Aさんが認知したことは彼にとって真実だし、Bちゃんが「いじめられていた」と感じるならそれはいじめなのだろう。
その人が実際見て、感じたことを、正しく認知して言語化してるか、そもそも「正しく」の基準ってなんなんだろう。
その後あの会社が、Aさんが、Bさんが、どうなったかは分かりませんが、その筋の人なら知っている程度の有名人だったAさんの仕事の履歴は当時の翌年あたりでググっても出てこなくなりますた。お元気なのかしら、顔も見たことないけど。非常階段でたむろってタバコを吸いながら、抑えた声でひそひそ話していた若い女の子たちは今頃どうしているのでしょうか。
そんなことを思ったりしている間に洗濯が終わりました。