青春ラジメニアの話
昔、おたくはラジオを聞く生き物であった。
アニメのおたくも、アイドルのおたくも、テレビや雑誌の隙間をラジオで埋めていた。
活字や、大掛かりな映像よりも制約が少なく、出演者もちょっと肩の力が抜けて、作り込んだキャラクターで売っている人も人間味のある話をしたりする。
ハガキ職人にとっては、ハガキが読まれると、一瞬の双方向コミュニケーションが叶う。
ネットよりもハードルは高いけれど、コミュニケーションとしてはネットに似たものがあった気がする。
三十年以上前、地方在住の中学生だった私が愛聴していたのが神戸から発信される青春ラジメニアであった。
同じ地区在住でも、日高のり子派の友人は電波の弱いKBS京都を意地で受信していたが、私の居住地に対し、山を越えないので電波が届きやすい神戸発のこの番組は、比較的いろんな声優さんが生で出演するコーナーがあったり、曲のセレクトがいわゆるオープニング、エンディングだけでなく、アニメ好きが好んで好きそうな(なので結果的に何らかのアニメにクレジットされてたり、逆に元々の音楽活動にプラスしてアニメの仕事もされている)アーティストの曲を紹介してくれるところが良かった。
音楽の話をしたら長くなったので、エントリとしては短いけれど別のnoteに分けました。
→ラジオから流れる音楽
青春ラジメニアは、まだ宮崎勤事件が記憶に新しく、学校近くの本屋でアニメ雑誌を買うのはけっこうスリリングだったくらい、まだ虐げられた趣味だったアニメのファンをけしてばかにせず、自虐しすぎることもなく、ただ淡々と一つの趣味として扱ってくれた番組だった。
また、本編以外は雑誌くらいしか情報源のなかった地方在住の我々に貴重な声優さんの肉声を届けてくれる貴重な番組のひとつでもあった。
余談だが、これは時代と、地方だったせいもあるだろうけれど、いまほど頻繁に行われることもないイベントはほぼ東京で、たまに販促イベントが関西に来ようものなら往復はがきを束で買って応募する程度に生の情報に飢えていた。
ゆえに、特に知らない作品に出ている声優さんでも、なんらか推しの手がかりなどないかと、ラジオのゲストに出ておられるとつい聞いてしまい、大人になってから「(ある程度ベテランになった声優さんの名前)ってさー」などという話題になったとき、「あー、なんか☓☓県出身で趣味は落語っていう。〇〇さんと同期でデビュー作が△△なんですよね」「ファンなの?」「いや別に」みたいなことが何度かあった。まあそれはどうでもいい。
なんせ長尺の番組だから、気負わずやっている体で締めるところは締めるベテランアナウンサーの岩崎さんの進行なしでは成立し得ない。
今調べたらまだパーソナリティを続けておられるそうだ。すごい、お幾つだろう?正義感の強い、やさしいお父さんみたいな存在感が懐かしい。
相方の南かおりさんもまだ続投中。これもすごい。代替わりのあたりから聞き始めたので、南さんは初々しいイメージだったけれどもう三十年も経つんですね。
当時、それこそ阪神淡路大震災もあり、余震も多く緊迫した中で放送された回もあったと記憶している。リスナーをはげます意味でも、平常運転をやらねばならない、という神戸のラジオ局としての矜持を感じたのを覚えている。
それで、なんで今更、故郷を離れて、車にも乗らなくなって、聞かなくなったラジオの話を急にしだしたかというと、ツイッターのTLで声優の佐々木望さんが東京大学法学部を卒業されていたことを知ったからであった。
深く記憶を探るとコールタール状の黒歴史が精神を蝕むのであんまり細かくは書かないけれど、中学時代、アイドル的人気を誇っていた佐々木望さんに一度だけイベントで握手してもらったこととか、そのときにめちゃくちゃ色が白くてびびったこととか、ライブチケットがとれたのにモンゴルツアーと重なって泣く泣く隣のクラスの美少女クリタさんに買い取ってもらったことなど、走馬燈のように思いだしたからである。
佐々木望さんが何度かゲストで出られた「青春ラジメニア」は、予告で出演情報をキャッチするやいなや、万が一のトラブルに備え、電波が入る範囲のおたく友達に頼んで録音してもらったりして、一番音質のいいカセットテープのツメを折って保管していたものだ。
その後、お仕事を続けておられるのは知っていたが、第一線で活躍されながらも最難関大学を受験して合格したり英検などの錚々たる資格を取っておられたとは……若いころのやんちゃボーイ(確か二十歳そこそこでデビューされたのだ)イメージのままだったけれど、尊敬する思いで記事を読んだとき、記憶に蘇ったのが青春ラジメニアなのだった。
いまは帰省することなど到底かなわない状況だけれども、また関西に行けるようになったら、(さすがに深夜0時開始の生放送ではなくなったようだけれど、)またオンエアを聞いてみたい。