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袴田事件再審無罪判決に対する検事総長談話に透けて見える「劣化」

検事総長談話が波紋を広げている。

検察組織も官僚組織の一つだし、無謬主義だの前例踏襲だの、そして組織防衛だの色々思うところはあるわけだが。

衝撃の核心

これは2020年春にあった検事総長定年延長騒動依頼の、検察の炎上案件だとは思うのだが、いくらなんでも「本来は有罪になるべき人間を裁判所が無罪にしやがった」的ニュアンスをストレートに出すのは、不用意というかお粗末という印象を受けてしまった。

こういう言葉であるとか表現というものに一般人より敏感な人種とされている人物がやってしまった…!

それが一番の衝撃である。

これは検察組織の断末魔なのか?

司法試験合格者の進路は3つあって、検察官、裁判官、弁護士の3つだ、と教科書にはあるわけだが、その中で検察官はエリート意識が強い、みたいな話がかつて言われていた。

実際のところ稼げるのは弁護士だという話もありつつも、対抗意識というか緊張感のある中で仕事や日常を過ごしている人々である、と理解していたのだが。

やっぱり検察の裁判所への目線がどうしようもないのか、と感じてしまった検事総長談話。

そしてもう一つ思ったのが、この談話の畝本検事総長の今後だ。

辞任もしくは更迭になるかもしれないが、これも検察内部で仕込んでいたという可能性も十分考えられる。

検事総長談話も検察内部のアンチ畝本が仕掛けたことで、これで畝本氏を追い出せるという、よくある構図になる。

もし、実際にそうなったときに畝本氏はどこへ行くのか…?

ここからは独り言

先日の電動キックボード企業を巡る話に透けて見える警察のヤバい状況と日本社会の逆戻り感の記事を書いた後に、この検事総長談話も地続きだろうと思ったのだが。

既に「社会への基本的信頼が喪失」されている状況であり、法や秩序やモラルやルールを突き破って「自力救済」に奔るしかない、という状況を生んでいる原因の一つが検察や警察の現状だろう。

「正攻法で生きているだけで損をする」という感覚が常識となったのは今に始まったことではないが、システムをハックして例えば金を集めるという方向に奔るという傾向が露骨だ。

これが社会を支えるより、たかってぶら下がって汁を吸う方がコスパもタイパもいい、という話になる。

個人レベルはそれでもいいが、そのように行動する人間が増えていくことで、己が依拠するシステムが倒れる。

日本がだめになったら海外へ、という焼畑農法的発想も同根である。

そんな焼畑は永遠には続かないのだが、果たせるかな意外と短いスパンで破綻するような気がしてならない。

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