はい、(マシュマロ主が)事実陳列罪↓
「いくら医療従事者の悪いところを晒しあげて正しさにのぼせあがってるとか言っても、今先生が同様に例の言動でのぼせ上がってると見做されてる」
というのは白饅頭氏の芸風なので、そこは割り引くとして。
以降のやり取りについて丹羽薫ちゃん氏のコラムが流れてきたのだが、これも違和感を感じずにはいられなかった。
必要なのは反省ではない、応答である
このコロナ禍中の医者の発言や態度に関して、自分が大学生のころから購読している「科学・政策と社会ニュースクリップ」というblogの最近の記事で、全く同じ指摘があった。
おおよそ白饅頭氏が2020年の春から指摘してきた通りのことなので、このこと自体はコメントは不要だろう。
実は当該ブログのブログ主の本業は病理医。
そう医療業界の片隅に身を置く人間なのだ。
2022年に入ってから、これまでの在り方等々に疑問を持ち始めた人々が増えてきたのは、ある意味正しい。
こういう人たちに共通するのは、理系の素養があること。
データや事実をベースに物事を語る、世間的には"不愉快"な物言いをする傾向のある人種である。
この2年で、色々な事実が分かってきたし、統計データの母数が大きくなってきたから、それなりの精度で客観的にモノが言えるまでには、材料が揃ってきた。
だからこそ「主張が変わった」ように見えるのである。
データや事実をベースに物事を語れない人は、そのような物言いを"事実陳列罪"と呼ぶわけだが。
合理主義的に考えれば、2年前の春のやり方を続ける理由が無いからこそ「変える」動機がある。
「変える理由」の説明が無いから、あれこれ煩いのが湧いて出てくる。
確かに、この2年間の新型コロナウイルスによるパンデミックでは、死人は大量に出ているし、ロックダウン政策による経済的困窮者はそれ以上に出ている。
今から思えば、日本政府の政策ミスは大小問わず色々あるだろう。
そんな中、大した問題が起きていないように見えてしまうのは、日本国民の「ボトムアップの努力」のハイパフォーマンスが意図せずして、政府の「政治的無策の責任」の発生を毎度毎度うまく回避させてきてしまったからである、と白饅頭氏は指摘する。
いわば、国民のファインプレーが政治を助けてしまっている、という指摘だ。
これは、謝罪によって物事が済むという幼稚な考え方の裏返しであり、その背後には有限責任と無限責任の区別がない上に、責任と言えば無限責任、という日本人の境界意識がある。
永久に責任を取り続けることによる信頼の醸成、という考え方は日本人にはなじみがない。
これは第二次世界大戦後のドイツが、戦後処理や外交にあたって使用している戦略である。
このコール&レスポンスの不在という図式は、元首相狙撃事件の容疑者の動機にも見え隠れするのだが、それはまた後日。
白饅頭氏は反現状という意味で陰キャである
以前にこういう図式を提示したことがある。
陽キャ ⇔ 陰キャ
勝ち組 ⇔ 負け組
強者 ⇔ 弱者
多数派 ⇔ 少数派
支配者 ⇔ 被支配者
加害者 ⇔ 被害者
他人を見る時に上のような二分法で"値踏み"していないだろうか。
さて、件の白饅頭氏は、過去に以下の記事でこう指摘している。
そして2017年の都議選で、応援演説に入った国会議員が「『批判なき選挙、批判なき政治』を目指して、子どもたちに堂々と胸を張って見せられるような選挙応援をします」とツイートしたことを引用して、こうも指摘する。
本文中の見出しには「社会の風紀委員」への反感という表現もある。
ここまで長々と引用してきて言いたかったのは、白饅頭氏は"世の中"の"主流派"とは異なる見方を提示するという意味で、現状に批判的なスタンスであり、上掲記事の基準で言えば"陰キャ"だろう。
しかしながら、そんな"陰キャ"な白饅頭氏とて"陰キャ"の相手はしたくない、というのが冒頭のマシュマロから伺える。
これを強者しぐさと言わずして何と言おう(笑)
良い具合に立場が割れてきているように思えるし、そこに一貫性を求めるのも酷なので、私の疑問というコールにレスポンスしていただきましょうかね、とも思うわけである。