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「事実は小説より奇なり」は実はすぐ隣にある。vol.1 ~Fesでの出会い編~

映画みたいな展開や、小説みたいな人生に、出会うことはそうそうない。皆ちっぽけで平穏な毎日を紡いでいる。・・・日々を淡々と過ごしていると、つい自分の隣の人もそうであると思いがちだ。

「家ついて行っていいですか?」というテレビ番組がある。私は番組の熱心なファンというわけではないけれど、何度か見ている中で、そこに出てきた人々の人生に度肝を抜かれたことがある。

駅ですれ違っただけの人、新幹線でたまたま隣に座った人、どこにでも居そうな平凡に見える人が、意外にも思いもよらない人生を歩んでいるということを、あの番組は教えてくれる。

私にとっての「家ついて行っていいですか?」的な体験談は、国内外でのドミトリーや、海外で同じツアーに乗った人たちによってもたらされることが多い。彼らの人生は波乱に富んでいて、日本に住んでいては想像もつかない状況や運命に翻弄されていたりする。

今日はモロッコの中世都市フェズにある、ドミトリーで出会った彼について話してみたい。

彼との出会いは、実はそんなに印象の良いものではなかった。

その日、長い長い移動の末にやっと(お値段的にも清潔さでも)納得の行くドミトリーを見つけて疲れ果てていた私は、少し早めにベッドに入っていた。

そこに戻って来た同室に泊まるらしき彼が、ホテルの人を呼んで何やらもめているような声で目が覚めた。何故彼女がここに寝ているのか、僕が先に居た部屋なのに、、、というようなことを話しているらしかった。けれど、ここはドミトリー。誰が後から入ってきたところで文句を言われる筋合いはない。

疲れ果てていたのもあって、そのまま狸寝入りを決め込むことにはしたが、耳はダンボ状態にしていたので、そのうち何故彼がホテルの人を責めているのか、なんとなく認識した。

どうやら彼は敬虔なイスラム教徒で、女性と同部屋であることが非常に困ることになるらしかった。

自身の名誉のために言っておくが、私が男女混合ドミトリーに泊ったのは後にも先にもこのフェズの宿のみである。通常は必ず女性専用ドミトリーを選ぶ私だが、ここの雰囲気とお値段にほれ込んで、ここなら混合でもやむなし!と決めてしまったのだった。

しばしホテルの人と口論を繰り広げた彼は、一度は毛布をもってベランダに出ていたが(多分外で寝ようとまで試みたのだと思う)私の寝ているベッドの対極、最も遠いベッドで休むことに決めたようだった。私は少し申し訳ない気持ちもあったし、怒りに任せて嫌がらせとかされちゃうのかな?などと今思えば失礼な想像をしつつも、そのまま朝まで眠りこけてしまった。

私は数日後に友人とカサブランカで落ち合う予定をしていて、その日までまだ5日ほどあった。彼も、10日間の休みをすべてこの宿で過ごす予定でやってきていて、つまり、私たちは数日を同部屋で過ごすことになった。

翌日以降、少しずつ言葉を交わし、まもなく打ち解けた私たちは、お金の節約や興味の方向が似ていたこともあって、一緒に観光に出かけることも多かった。その道中にどうしてもお互いのことを話すことになる。彼の人生は、意外性の連続だった。

最初の方に聞いた「どこから来たの?」の問いにロンドンと答えた彼だったが、敬虔過ぎるほど敬虔なイスラム教徒だし、英語は明らかに後天的に身に着けたことがわかるイントネーションだったし、アラブ語が母国語の移民であることは明らかだった。

何日か行動を共にした後に、思い切って聞いてみた。

「生まれた国は?なぜ今ロンドンに住んでいるの?」

彼は好きな食べ物は何?と聞かれた時と同じテンションで答えた。

生まれた国は〇〇、僕はそこのサッカーの代表だった。

え!?国の代表?と聞くとそうだと答える。その頃めちゃめちゃサッカーに傾倒していた私は、モロッコに来る前にメッシとイニエスタの出るバルサの試合を見に、スペインのバルセロナに立ち寄ったばかりだった。

凄い凄い!と興奮する私に、彼は同じテンションで言った。「国の代表になれたのはラッキーなことだった。僕の国は内戦をしていたからね。」

「ある時、イギリスと友好試合が組まれたんだ。僕はそこで戦うためにほとんど初めて国を出た。そして試合の前日、大使館に駆け込んだんだ」

彼は、国代表という立場を利用して国外に出て、そのまま亡命したのだった。

わたしはほとんど瞬きも忘れて聞いた。「あなたの家族は?」

「その当時は、もう二度と会えないと諦めていた。この計画は誰にも告げずに、たった一人で決行した。ママにも、尊敬していた兄にも、誰にも言わなかった。」

「イギリス大使館は僕を保護してくれた。感謝してもしきれない。今やっている警備の仕事はそんなに好きな仕事じゃないけど、移民で学もない僕がやれる仕事だし、こうやってバケーションも取れる。気に入っているよ」

「それに数年前に内戦も終わって、数年振りにママにも会えた。お金がもったいないからそんなに頻繁に行き来は出来ないけど、僕もまた母国に戻ることは出来るようになった」

前日、「凪、今日は夕陽が奇麗だよ、屋上に出て見てきたら?」と教えてくれたのと同じテンションで彼は言う。

彼にとって、国代表でプレーしたことも、亡命したことも人生の1ページであり、大事なのは今と、これからなんだと。

それ以外にも、ここで書くには彼の身が心配になるような事件のオンパレードだった。その彼と、私は同じように世界遺産のフェズの街並みに感動し、毎朝晩のアザーンに祈り、私は彼のラマダンに付き合い日中は絶食をして、数日を一緒に過ごした。

本当に普通の、真面目過ぎるくらい真面目な経験なイスラム教徒であり、20代半ばの青年だった。傍目から、彼がそんな過酷な運命を泳ぎ切ったとは思えないほどに。

事実は小説より奇なり。私が知るそのエピソードのいくつかを、少しずつここで話してみようかと思っている。

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