臨床vs研究
近頃「エビデンス」
科学的根拠ってやつですね
それに振り回されている人が多い
研究は未来予知ではない
例えノーベル賞を取るような研究であっても
それがあなたに有効かはわからない
研究で結果が出ていると言えども
それがあなたの求める結果になるかはわからない
そして何より
良い研究を行うには膨大なお金がかかる
で、そのお金はどっから出てるのか
PCの発展と、AIの性能向上で今までできなかった研究ができるようになったとはいえ、複雑な分野では未だ十分検討できていない
人に行う研究は、様々な道徳的な問題があるから
ネズミの研究だけで、○○に効くみたいな事を言い始める始末である
と、エビデンスについて色々文句を言いたくなる一方
自分のちっぽけな臨床実績だけで語る臨床家もいる
1万人診ましたは、一見多いが
繰り返し見ている人
まだ未熟だった時の患者さん
そういったことを考えれば、まだまだ少ない
というより、個人のバイアスに、コントロール群やプラセボ群がない以上
一個人の臨床家の結果は研究の質としては不十分である
(もちろん、参考になる部分もあるし、正解の可能性はあるが、結局は可能性を論じるのにやや根拠があると言える程度でしかない)
ただ、現場の臨床家は世の中の変化に敏感だ
研究はどうしてもスピード感はない
研究者と臨床家は対立構造で語られる文脈が多いが
それは、あまりにも浅い議論であると私は思う
勉強しなくなった臨床家はただの独りよがりだし
現場を知らない研究者は頭でっかちだ
少なくとも鍼灸という現場に関して、私は思う
古臭い古典にも、価値はあると実感するし
臨床経験はなければ、深い理解はできない
研究論文は非常に参考になるし
老練な臨床鍼灸師には多くの学ぶところがある
少なくとも、目の前の患者さんを良くするのに
全く医学の知識がないのはナンセンスだし
研究が無いのでできませんは、臨床家として不勉強だ
研究は臨床の参考になるし
臨床の成果は検証する必要がある
(患者さんが効果あると言っていたとしても、である)
いや、ホントに愚痴りたくなるぐらい
技術を身に着けるのは難しいし
勉強することが多すぎる
という愚痴でした