【実録!俺の独立・副業-2】アフィリエイトに人生を賭けた結果、月100万円売り上げ、会社にし9年続けた後、解散させるに至った顛末を17年後に振り返ってみた。
20年前に脱サラした俺は、アルバイトをしながら、整体学校に通った。それから2年後、雇われ整体師となった。整体師での独立開業のデメリットを目の当たりにし、整体に全力で正面から向き合うことが出来ない日々を送る中、俺は、アフィリエイトというものに出会った。
※本記事では引用させていただきました上記のアフィリエイトに関する定義・解説以上に、アフィリエイトそのものの社会的意義・価値等には言及いたしません。予めご承知おきください。
アフィリエイトに出会って数日後、俺は、雇われ整体師を辞め、自ら整体院を独立・開業し、整体院で生計を立てつつ、それ以外の時間と精神とお金の全てをアフィリエイトに注ぐと決意した。2007年だったと記憶している。
以下は、私が、アフィリエイトに出会い、そして、アフィリエイトに一区切りをつけるまでの記録である。この間には、色々な局面がありました。
全然芽が出ず、もがき苦しんだ時期
藁にもすがる思いで最善を尽くしていた時期(塾参加、金欠なのにセミナー参加等)
上向いていた時期
絶好調だった時期
手を変え品を変え、必死に耐えていた時期
いよいよ厳しくなってきた時期
一区切りしようと考えた時期
今振り返って何がいけなかったのか?
などを振り返ることで自分自身、なぜうまくいったのか?なぜダメだったのか?を自らがおさらいすると共に、ある凡人・愚か者が身の程をわきまえず、後先考えず、耳触りの良い話に乗っかり、実際に飛んでみた末にたどり着いた悲劇的状況を綴ったノンフィクションの読み物としました。
楽しんで下さったら幸いです。
全然芽が出ず、もがき苦しんだ時期
アフィリエイトに出会い、「これに人生を賭ける!」と決め、取り組み時間を最大限確保するために、雇われ整体師を辞め、開業して、空いた時間にひたすらアフィリエイトに取り組む…今振り返ると恐ろしいが、だからこそ、結果的に、風穴を開けることが出来たのだとも思える。
まずは、私が出会い、アフィリエイトに人生をかけると決意するきっかけとなった書籍を傍らに、一人パソコンに向かい作業をするところからアフィリエイトへの取り組みはスタートした。
今は、ウェブサイトを作りたいなら、ネットで調べれば、レンタルサーバーに行き着き、Wordpressの自動インストールに行き着き、無料で素敵なテンプレートに行き着き…となるが、当時、ウェブサイトの知識ゼロの人間には、Wordpressを使ってウェブサイト運営をするスタートラインに立つこと自体が難しい時代だった。
無料ブログで、アフィリエイトするのはどうなのか?
無料ブログでいい具合にアフィリエイトはできないものなのか?
〇〇さんみたいなサイトを作りたいけど、どうすればいいか全然わからない。
ウェブ制作のプロが使うようなソフトを使いこなせなければ、結果を出すのは難しいのか?
前述した書籍の著者が、運営している塾Kの存在(30万円ほどだったと記憶している)があることは知っていたが、金額的に悩みつつ、何とか自分で打開したいと考えていた。
自分なりに、色々やってみて(HPビルダーを使い、独自ドメインでウェブサイト運営するところまでには至った)、美顔器を一台偶然のような形で販売することができたが、自力で売れたのはこれっきり。
こんなこと(自分で)を続けていても先は知れている。何とかしなければ…との思いから、塾Kへの入塾を決意した。
アフィリエイトへの取り組みを開始してから、2か月ほどが経った頃に入塾したと記憶している。
…今、2024年、SNSだったりYOUTUBEだったり、NFTだったり、〇〇で稼ぐというテーマは色々とあって、それらに関する塾だったりサロンだったりも色々とある。
しかし、今の私は、当時の自分のように、勇猛果敢に?無謀にも?飛び込んでそこからひたすら頑張る…みたいな馬力を持っていないし、純粋さも失ってしまっているように思う。それが良いか悪いかはわかりません。
情報が当時以上に溢れかえり、時代の流れが早い今、以前の私のような勇猛果敢さ、無謀さを取り戻すことが出来たとしても、結果を得る自信がない。
それは、歳をとったということなのかもしれないし、色々知りすぎてしまったということなのかもしれないし、ネット社会の成熟具合と、変化スピードが個人レベルで風穴を開けることに関する難易度を飛躍的に高くしているということなのかもしれない。
ただ、そんな中でも、頭角を現してくる若い人は常に存在するので、私の言い分はただの言い訳なのかもしれない。
しかしながら、今、私世代(同時期にアフィリエイトに夢をみた人)で、若い人に混じって、時代の波に乗り続け、順応し続け、好調を維持し続け、ハッピーな人生を送り続けているという人は、非常に少ないのではないかと思う。
私のアフィリエイトが健在だった頃、呟いていたX(旧ツイッター)は、もはや、呟く人がほとんどいなくなった。ダメになった人間、見切りをつけて道を変えた人間は、ひっそりと去っていく。だから、気がつかないのだろう。少なくとも、皆が今も変わらず絶好調なら、もう少しXが賑わっているに違いないのだ。
藁にもすがる思いで最善を尽くしていた時期(勢いで数十万円の塾に参加、SNS、金欠なのにセミナー参加)
前項でK塾に入ったと書いた。当時は、本当に、「アフィリエイトで人生を切り開く!」、「こんなに素晴らしいものは他にない!」と本気で思っていた。
だから、全てにおいて最善を尽くした。しかし、自分なりに目一杯ストイックにアフィリエイトの作業をしていたにも関わらず、全然結果が出なかった。
数十万円の塾に入ったのになぜ結果が出なかったのか?
今にして思えば、早く先へ進めたい!早く作業したい!早く結果を出したい!という気持ちが強すぎた。その結果、導線、アフィリエイトに適した商品の選定に関してずさんで、サイト作り始めの段階から不味かった。
塾長は、語学が得意で、語学に関する記事を書きつつ、語学教材のレビューもしていくというスタイルで一定の成功を得ていた。
俺はそれを真似したつもりで、整体師だからと、自分色全開のダイエット系のサイトを作り、そこでダイエット器具のアフィリエイトをしていた。
ダイエット器具毎のアフィリエイトへの親和性など一切考えず、ただ、渾身の情報記事の中に申し訳なさそうに、だけど、買って欲しい感満載でアフィリエイト商品を登場させていた。
自分が作ることができる、自分が書けるというところを最優先に、他の売るために大切な要素は都合良く後付けし、ビジネスセンスの欠片もないサイトを作ってしまっていた。
そして、ビジネスはスピードが大事と言われるが、ビジネス的な方向性がイマイチな取り組みに対し、自分なりに変にこだわりすぎてサイトが肉づいていくのが非常に遅かったりもしていた。ビジネスセンスの欠片もない1サイトに亀のスピードで全精力を注ぎ込んでいたのだ。
当時、ある講師の方から、「このサイトは難しいかもしれませんね。」と言われた時にものすごく腹が立った。
今にして思えば、「別でサイト作り直せば良いじゃん!全然大した話じゃないじゃん!」となる。
当時は何とかかんとか、アフィリエイトでの成功を第一優先に我慢して、何でも指導をありがたいものと受け入れるようにしていた。もし、あの時、腹を立てたままだったら、そのようなスタンスでいたら…その後、アフィリエイトで一定の結果を得ることは難しかっただろうなと思う。
ただ他方で、可能性は薄いし、私はそこまで意思が強くもないのだが、頑なに、スタイルを変えずに続けていたら、それはそれで全く違った形での一旦の「当たり」は経験出来ていたかもしれない。
ただ、当時はそれなりの期間内にアフィリエイトを成功させることが第一優先だったので「頑な」を続けることは自分にとっては間違いだった。だから、柔軟に自分を変えていったことに後悔はない。
2024年現在、それなりに苦境にある私だが、当時の自分を変えていく、アップデートしていく様は、今でも忘れないようにしなければと思う。
塾に入ったのに、全然結果が出ず、悶々とした日々を送っている中、K塾において優秀で生徒から講師のような立ち位置にまでなったHさんが、セミナーを開催することになり、それに参加したことから、事態は良い方向に進んでいった。
当時、私は、家族の事情で、東京から生まれ故郷へと引っ越したばかり。そんな折に、東京で開催されるセミナー。得るものがあるのかどうかもわからないセミナー。まだ、引っ越したばかりで生活の基盤も不安定だった時に、なけなしのお金をかき集め、東京に向かったのを覚えています。
この追い込まれた状況でのセミナー参加ゆえに、本気度が非常に高かったこと、そして、当時、Hさんが教えてくれた情報が、どんな人にとっても再現性の高い、当時、時代の最先端を行く情報であったことなどが複合的に絡みあいました。
どんなことかをざっくりと言うならば…アフィリエイト案件のある業界特化比較サイトを作り、そのサイト内でサービス名の口コミページ(ネット上に転がっている口コミをまとめて掲載するから誰にでも簡単に作成できる)を作り、トップページは相互リンクで強くしていきつつ、サービス名の口コミページも自ら所有している他サイトや他社の提供している様々なサービス(はてなBM、ヤフー知恵袋、教えてgoo等)でリンクを強化していく。
そうすることで、トップページからも収益が上がるが、サービス名の口コミページもサービス名、会社名で、検索エンジンでの上位表示か可能になり、「今すぐ客」を呼び込めるので売りあがるというもの。
私は、セミナー参加を成功とするため、それまで自分なりに取り組んでいたことを180度軌道修正し、必死に取り組みました。
この時は、自分自身、知識が豊富でないことを自覚していたし、それでいて、アフィリエイトが自分にとって世の中で一番素晴らしいものだと信じてもいた。
そして、セミナーを開催していたHさんを羨望のまなざしで見ていたし、何が何でもこのセミナー参加を成功にするのだという強い執着があった。
逆に、Hさんのくれる情報について、良いか悪いかを自分の頭で考えることはできない状態だった。
ただ、結果として、この時は、アフィリエイトの世界に風穴を開けることができた。
これは、巡り合わせであり、運だったと思う。
とにかく前に進み続けることで、巡り合わせと運に出会い、それを掴み取ることができた。
こうして振り返ってみると、今、私がもう一度、何かしらを同じように再現するのは難しいのかなと思わざるを得ない。
それは、既に一部前述しているが、良くも悪くも、ついてしまった知識・経験、歳を重ねてしまったこと…などが原因である。
当時のように、「これは最高だ!」と本気で思えるものに巡り会う可能性が低くなってしまっているように思う。物事の荒探しの能力が随分と向上してしまっているのだ。
そういえば、婚活でも似たようなことがあると聞いたことがあるな…
結果的に、2024年現在…何物でもない残念な俺どうする?という話なのだが、今は、とりあえず過去を思い出し、夢中になって記事を書くとしよう…。
上向いていた時期
Hさんのセミナー参加の後、
・軌道修正での頑張り
・セミナーで出会った同志たちとの情報交換、励まし合い、高め合い
などあり。俺がアフィリエイトと出会ってから3年半の月日が流れ、ようやく月10万円の売り上げを立てることができた。
当時、月10万円を売り上げることができるかどうかが、一定の成功のボーダーラインになっていたので、それを超えることで、俺はおおいなる自信を得ることができた。
そして、Hさんが教えてくれ、俺が実践した手法は、1人でもバンバン横展開することが可能であった。
なので、俺はひたすら横展開し続け、月10万円の売り上げを立てることができてから約1年後に月100万円の売り上げを達成することができた。
この月10万円から月100万円までの間が、現地点での俺の中での人生で最も気持ちの良い時期だった。
苦労した末に、成功する方法を得た。苦労したからこそのもので、一朝一夕でなり得るものでないから、心に余裕を持ってよい。俺は、成功する権利を得たのだ。後はただただ、手を動かし続けているだけで俺は成功者だ!
本気でそう思っていた。それは、後々、色々突っ込みどころ満載で勘違いばかりであることを知るのだが、当時の気持ちよさだけは本当に今でもよい思い出だ。また、味わいたいものである…
絶好調だった時期
俺は、様々な業界、ジャンルで金太郎飴のように横展開をし、着実に売上を高めていった。
そんな折、東北の地震が起きた。2011年3月である。この出来事の結果、防災、備蓄の重要性に脚光が当たり、備蓄水としても機能するウォーターサーバーの申し込みが爆発的に急増した。
俺は、ウォーターサーバーの比較サイトも普通に作っていたので、申し込みが殺到した。
それに加え、他のジャンルのサイトも売上は順調で、自らのやっていることの弱点もこの段階では気づくことができていなかった。
もはや、ただただやり続ければ、成功者への道まっしぐらだ!
と思った。そして、税制的なことはわからないし、売上が伸び続けるなら、その道の専門家に相談する必要もある…ということで、税理士さんに相談に行き、現地点でのベターなチョイスとして、法人化することになった。
法人化に際しては、妻(残念なことに今は元妻だが)に全てを任せた。
そして、このタイミングで経理的なことも全て元妻に任せることにした。
当時は、自分を、SEO、アフィリエイトのエキスパートだと考えていたし、売り上げてさえいればそれで良いのだと考えていた。
だから、売り上げの源泉となっているもの以外は出来るだけ他者に任せた方が良いと考えていた。
しかし、今思えば、この動きはよくなかった。
まず、そのようにしたことで、私自身のお金の知識や、社会的な知識が向上しなくなった、それどころか退化してしまったということを挙げることが出来る。そして、それにより、様々なチャンスに巡り会う機会をも得ることができなくなってしまった。
会社を設立し、運営していれば、お金の流れをみる必要が出てきて、そこから、他の会社を見る目、世を見定める目も養われていく。
それが、長期的に見れば大きな経験・知識・財産となる。
元妻に丸投げすることで、俺はそれらのほぼ全てを放棄してしまったのだ。
様々なチャンスということに関しては…アフィリエイトという広告スタイルには、マッチする案件とそうではない案件とがあるのだが、金融に関連する案件…保険とかローンとか不動産関連とかクレジットカード等々は、アフィリエイトにマッチする案件が多く、大きな結果を出している人は、この辺りの業界へ参入していた。
しかし、俺は参入したくてもうまくいかなかった。
前述のHさん方式が通用している頃は多少の結果を得ていたが、サイトに、記事に、独自の存在意義が求められる雰囲気が出てくる頃になると、自分自身に知識がないのでどうしようもなくなってしまったのだ。
それには、俺自身が、面倒な経理関係、お金関係から、目を背け続けてきたことも大きく関連しているだろう。
ウェブサイト≒情報だと言ってよい。お金に関することは煩わしく、わかりにくく、それでいて現代人には切っても切れない関係にある普遍的なニーズのある、情報に価値を見出し続けることができる世界・業界だ。つまり、安定的にウェブで、アフィリエイトで稼ぎ続けるのに最適な案件だということ。そこから逃げた地点で俺は既に色々と終わっていたのかもしれない。
しかし、当時の俺は、SEOに全力を注ぐこと、アフィリエイトに全力を注ぐことが成功への道だと考えていた。今振り返れば、逃げの考えだったなと思うわけだが。
少なくとも、お金において、豊かになろう、豊かであり続けようとしているなら、何であれ、お金に関する事柄から目を背けるのは絶対に間違っている。これは断言できる。
もし、元妻に丸投げせずに、お金に関する事柄にチキンと向き合っていたら…
・FPなどの資格に目が向き、そこから独自の切り口を見出だせたかもしれないし、様々な独自の価値を見出だせたかもしれない。ちなみにまじでちょっと反省しているのでFP3級は2024年に取得した。2025年には、2級にもチャレンジするつもり。
・現状の危うさを知ることができ、お金の使い方が違っていたかもしれない。(不安定な)SEOによる自サイト露出での完全成果報酬に会社の全てをゆだねている…それがいかに危ないかを知ることができ、お金の使い方が多少違ってきていたかもしれない。
・投資…そこそこお金に余裕がある時期、俺は、記事を買い、中古ドメインを買い、自社サイトを持ち上げるサイト群を維持することにお金を使い続けていた。しかし、その当時であっても、その行為が、場渡り的な行為であることを薄々感じてもいた。当時の俺が、自分のビジネスの危うさをキチンと理解し、お金の知識レベルがそれなりにあり、他社のビジネスの盤石さ、将来性を理解できたなら、それは他者への投資という形を採用することになっていたかもしれない。
ビジネス、会社の長は、結局、人、お金を扱うことに長けているかどうか?というところに行きつくのではないだろうか?
逆に、どんな業種であってもそこに行きつくわけだし、流れの早い今の時代、何かのエキスパートであるだけで、社長としてふんぞり返り続けるのは極めて難しいと言えるのではないか?
俺は、元妻にお金関連の全てを丸投げし、いつまで価値があるかわからないことに対し、頑張っているつもりで日々を過ごし、一体何を得たのだろう?どう成長したのだろう…?今でも、考えることがある。
とは言っても、当時は当時で自分なりに最善を尽くしてると思っていたから、どうしようもなかったのかもしれない。
ただ、マネーリテラシーを含む様々な知識がもう少し高ければ…とも考えるが、だとしたら、アフィリエイトの世界に風穴を開けることはできていなかったかもしれないとも考えることができる。
だから、つまり…今現在の俺が全てであり、道は一つしかない…これが最良であると考えるしかないし、そのようにしていくしか俺に道はない。
少し話は脱線したが、絶好調だった時期は、東北の震災があってから、グーグルからの初めての手動ペナルティをもらうまでの時期であったと言える。
ある程度の苦労をしたと感じ、結果、成功のための知識と経験を得、それらが、長期間に渡り通用し続けると思っていた時期である。
手を変え品を変え、必死に耐えていた時期
俺が法人化したのが、東日本大震災が起こった2011年の5月。2011年8月に3人目の子供である次女が生まれる…仕事は何の不安もなく、コツコツ一人で手を動かしているだけで基盤がどんどん盤石になっていく…当時は幸せの絶頂と言ってもよい時期だった。
その順調さに、暗雲が立ち込めたのは2011年11月のことだったと記憶している。
当時、順調に育てていたそれぞれ月20万円程度を売り上げてくれていた2サイトが、突然検索しても全然ヒットしなくなり、更に2012年のはじめには、細々とあった各々月10万円ほど稼いでくれていた5~10サイトもダメになり、更には当時のメインだと考えていたサイト…月100万円稼いでくれていたサイトもダメになったのだ。
晴天の霹靂とでもいいましょうか…?月数百万円の稼ぎがあり、今後もその額は上がり続けるものだと信じて疑うことのなかった状態から、いきなり、月10万円稼げるかどうか?ほどの状態にまで収益が落ち込んだのです。
明るい未来しか見えていなかった私は、周囲の圧力に流され、住宅ローンを組み、車もローンで買い…等々中々ヘビーなことをやらかしてしまっていました。
年収も売り上げの想定から算出していましたので、そこそこな金額にしていましたが、そもそも会社にお金が入ってこないのだから、給料は支払われない。保育園料金などは年収をベースに決められるのでこれまた中々の額でどうやって支払えばよいのやら…。
まぁ、ほんとに大変でした。しかしながら、Hさんのセミナーをきっかけに仲良くなった同志も似たような辛さを味わっていましたし、当時は、今でいう有料サロンの先駆けのようなアフィリエイターのコミニュティにも属していたので、情報を得、良いと思えることをことごとく実践し、そのピンチは何とか乗り越えることができました。
私の記憶では、2012年2月頃に、月10万円ほどに落ち込んだ売り上げを2012年8月には月400万円ほどに盛り返すことができたと記憶しています。
どのように短期間で売上を戻すことが出来たのか…それは…
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