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ありのままの自分

誰かと接する時、あなたは素の自分でいることができているでしょうか。

きっと多くの人が相手によって「キャラ」を作り、そのキャラを演じていることと思います。

たとえば、嫌な頼み事や面倒事を引き受けてしまうキャラだったり、友達を家まで送迎するキャラだったり、残業キャラだったり、色々なキャラクターがあると思います。

大抵そのキャラクターは初対面で決まってしまいますよね。
初対面でどういう対応をしたのかで相手は自分をそういうキャラ設定にしてしまうことが多いです。

出勤時間より30分早く出勤してくるキャラを作り上げてしまえば、ある時突然5分前に出勤しようものなら批判されることすらあります。批判されないまでも、どこかマイナスなイメージを抱かれるかもしれません。

それを態度や言葉にしてくる人も多数います。

こんなこといつまで続けないといけないのか。

本当の自分はこんなキャラじゃない。

こう思ってる人が多いのではないでしょうか?

これは紛れもなくありのままの自分ではありません。
あくまで仮の姿でしかありません。

ではなぜ、そうなってしまうのか。

1番に言えることは

他人の顔色を窺っている

ということです。

その人から嫌われはしないか。
何か嫌なことをされはしないか。

そんな考えが頭を占めてしまい、その偽キャラを続けざるをえない状況になってしまっている。

私も経験があるのでよくわかります。

だけど、考えてもみてください。

その人は、あなたの人生に本当に重要な人物なのでしょうか?

その人の機嫌を取ることに時間と労力を費やして、それに見合った何かが手に入るのでしょうか?

その答えがNOであるならば、今すぐ演じているキャラクターをぶち壊しましょう。

急にキャラを変えたっていいんです。

人の話に相槌を打っていた人は、その人の話がつまらないなら、振り回されるなら、無視したっていいんです。急に無視したっていいんです。気まずい思いをする必要もないし、気まずくなっても時間が経てば解決します。

それよりも、もっと自分のためにの時間と労力を費やしましょう。

いわゆる常識と言われている大多数の共通認識なんてものは、時と共に移り変わります。
昨日まで常識だとされていたことが今日になって非常識になることだってあるんです。

ルールと言われているものも似たようなものです。

ルールってなんのためにあるのでしょうか?
そもそも、そのルールが作られたきっかけは何でしょうか?
そのきっかけを知っている人は果たしてどのくらいいるでしょうか?

ルールを守ることがルールになっている

多くの場所で見かけられる光景です。
ルールが作られた原因とされるものが今は解消しているならそのルールを守る必要はどこにあるのでしょうか?

ルールを守ることがルールなんてのは、時間の無駄でしかありません。
会議のための会議も同じですよね。

何かを共有するための会議なのか、何かを決定する会議なのか。
皆さん会議に臨む時にこのことをどのくらい意識されていますか?

目の前のことが真実であると、正しいと信じてしまえば自分を見失っていきます。

自分という芯を持ちましょう。

自分がやりたいことは何なのか
自分の気持ちを犠牲にしていないか
その相手はどれくらい人生に重要なのか

相手を気持ちよくさせても、その人は自分の人生の面倒は見てくれません。
自分の人生は自分で変えていくしかないのです。

もちろんそこには苦労が伴います。痛いし辛いです。

だけど、その壁を乗り越えた先にはきっと明るい未来が待っています。
私はそう信じて今も踏ん張っています。

少しでも早く本当の自由を手に入れるために試行錯誤の毎日です。

どうすればいいのかわからない

そういう人は私にコンタクトをとってください。

乗れる相談には乗りますので、一緒に考えましょう。一人で考えても限界があるけれど、人が集まれば集まるだけ知恵が集結します。
これから頑張っていく人たちで励まし合っていきませんか?

私もまだまだ未熟者ですが、人生経験は豊富、というか特殊だと思います。
私の経験から憶測、アドバイスすることしかできませんが、少しでも人のために何かできればいいなと思います。

最後になりますが、他人の目なんて気にせずに自分を生きましょう。
自分の人生は他の誰でもなく、自分のものです。

右に行くのも左に行くのも全部自分で決めていいのです。
上に行ったっていいんです。

そのためにまずは覚悟を決めましょう。「明日から」ではなく「今から」です。

この時間に勤務時間外の人は、会社の人から電話がかかってきても無視しましょう。
それくらい小さいことから始めていきましょう。

ありのままの自分を大切に。

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