自己紹介
私は小学5年生の頃からタバコを吸い、原付バイクに乗り始めました。
私の家庭は母子家庭というわけではなく、実親の両親がいます。いわゆる普通の家庭です。
家庭内で特に問題はありませんでしたが、幼い頃から問題児だった私は、家でよく怒られていました。
怒られることはとても煩わしく、苦痛でした。
今なら自分が悪いことが理解できますが、当時の私はなんとなく、家には居場所がないと感じていました。
今振り返ってみて思うことは、家庭に問題がないと思っていること自体が、すでに大きな問題だったということです。
私だけの問題ではなく、家族全員が特に問題はないという認識だった?のでなかなかそのことに気付くことができませんでした。
両親は色々悩んでたのかなぁ。
その後は紆余曲折な人生を送って今に至ります。
後悔も多い人生だったけど、楽しかったこともそれなりにあったかな?
児童自立支援施設→少年院→少年院→執行猶予→刑務所→現在
細かい流れは大幅に省いていますが、大きな出来事としてはこんな流れです。
ヤンキーに憧れて悪の道を進んできました。
何度逮捕されても変われず、繰り返しの人生でした。
そもそも"自分が間違っている"ということに気づいていませんでした。
犯罪をするのはダメなんだろうけど、逮捕されて大変な思いをするのは俺だろ?
どこかにそんな考えがありました。
不良交友とも手を切るつもりなんて毛頭ありませんでした。
自分さえしっかりしておけば。
自分が周りを止めればいいんだ。
そんな甘い考えを抱いていました。
結果として、その考え方が間違っていたために刑務所まで辿り着いてしまったわけです。
逮捕期間は全て含めておおよそ7年になります。
失った時間が戻ってくることはありませんが、この経験があったからこそ今の自分がいることは間違いありません。
この経験を通して言えることは、人が変わるために必要なことは、本人が「変わろう」と思うことです。
本人に変わる気が一切無ければ、いくら周りが口うるさく説教をして変えようと試みても、全くの無意味です。
怒ることだけが正解だと思っている人は自己満足だと思います。
この記事を読んでいる親御さんがいれば、胸が痛くなる事実かもしれませんが、これが現実です。
悪いことをする度に怒って、説教をして情熱を伝えればいつかはわかってくれるだろう。
この考え方は正直に言って甘すぎます。
なぜなら、そこに工夫がないからです。
何をするにしても、自分の行いが間違っていることを認め、それを変えていくことはそれなりに労力が伴います。
たとえ、不満を抱えている現状に甘んじていれば「楽」ができます。
なぜ、今のやり方で自分(親)の気持ちを理解してもらえないのか?
それを考えて、自分のやり方を修正しないのはなぜですか?
原因が自分以外にあると考えていれば、何も改善していく必要性がないので楽なんです。
これは全てのことに当てはまりますよね。
親が全部悪いなんてことは思いませんが、そこに要因があることは事実だと思います。
これは完全な持論になりますが、犯罪をやめさせるために必要なことは、"視野を広げさせる"ことです。
これは犯罪に関わる人だけにではなく、どんな人にも言えることだと思います。
視野が広がれば、今の自分の小ささに気づくことができ、世の中の広さに気づくことができます。
今生きている世界、自分が見ている世界は所詮、ほんの一部に過ぎないのです。
世の中の全てを知ることは不可能です。
知的好奇心を掻き立てて、能動的に情報収集をすればきっと変わる理由が見つかるはずです。
自分には想像もつかないような働き方、やったことのない遊び方をしている人たちは世の中に溢れています。
多くのことを知ることで選択が増えます。
選択が増えれば、その分犯罪をしない理由も増えます。
なので、大切な人を変えたいと思った時は、相手をその気にさせることです。
あれ。これって商談の時にも必須なスキルですね。
どうすれば?なぜ?
この言葉を口癖にしましょう。日本ではとても忌み嫌われる言葉ですが、どうでもいい他人に好かれるために取り繕うほど悲しいことはありません。
人生がかかっていると思えば、やれるはずです。
自分もしくは大切な人に幸せな人生を送ってほしいと思っている人は、きっかけを与えられる側になりましょう。
こんな私ですが、人の役に立ちたいと思っています。
人生の経験(失敗)を通して培ってきた何かが、誰かの悩みの解決だったり背中を押す勇気になれば、こんなに嬉しいことはありません。