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弟の日記① ワンオペ聖徳太子

 とある銭湯へ行った。なんでも、そこは銭湯だけでなく岩盤浴も楽しめるのだという。無類の岩盤浴好きのY氏と一緒に向かった。

 今回、私の人生二回目の岩盤浴。数か月前に岩盤浴デビューを果たして、完全にハマった私は二度目の岩盤浴も「汗に溺れよう」とY氏に若干気持ち悪がられるテンションでいた。

 入り口の自動ドアをくぐると、木をふんだんに使用したオシャレ空間が広がっていた、木のいい香りが鼻をくすぐる。

 慣れた様子で入り口から靴箱へ向かうY氏、後ろをフラフラとついていく内に、いつの間にか何かの列に並んでいた。Y氏はスマートフォンを手に暇をつぶしている。あっ、一旦落ち着きます?して、これは何の列でしょう?と首を伸ばした先は受付だった。こんなに並んでいるのか、さすがY氏お勧めの岩盤浴。大人気だ。

 Y氏と世間話をしつつ、気づけばようやく我々の番。勉強のため、私が代表してY氏の前に立ち、料金の説明やいくつかのコースを教えてもらう。ふむふむ、受付前に置かれているコースの一覧表を見ながら確認をする。

「温泉と岩盤浴のセットで利用されますか」

 受付の男性が私に質問をしてきた。

 一覧表から顔を上げて答えようとしたが、男性は私ではなく入り口の方向を見ていた。しまった、私への質問じゃなかったと一覧表に顔を戻すが、遅れて脳に届いた質問内容に目を泳がせる。

(いや、合ってる、これは私への質問だ)

 もう一度顔を上げ答えようとしたが、それより先に男性の口が開く。

「お履き物脱いで、奥の靴箱へご収納ください」

 思わず自分の足元を見てしまう。大丈夫だって、さっき自分で脱いだじゃないか。男性は少し奥で右往左往していた別の客に向けて言っていた。

 改めて受付内を見回すと一人しかいなかった。この男性は、たった一人で岩盤浴に心奪われている客を対応しなければならないのだ。私一人の面倒を見ている場合ではない。

 急いで、先の質問の返事をした。

「岩盤浴も、つけてくださぁ」

 力が抜けるような私の回答に、切れよく「承知しました」と頷き、カウンターの下から入浴セットと岩盤浴セット、館内用の服がひとまとめになったメッシュの手持ち鞄を取り出した。その間も視線はギュルギュルとここ一帯を見回している。

「こちらが館内用の服で、こちらが岩盤浴用です。岩盤浴エリアは五階、岩盤浴用の服装に着替えてご移動ください。二階が男湯、四階が女湯、男女フロアが分かれているのでエレベーターを降りる際はお間違いないようご注意ください。三階に休憩スペース他、食事処がございますので館内用の服装でお過ごしください」

 この説明の間も男性の眼球は止まらない。先ほど入り口で迷っていた客が今度は靴箱でも迷っていたため、そちらの様子を見つつ、まだ声はかけない。何やら思い出して手前のキーボードに物凄い勢いで何かを打ち込む、自身の腕時計を確認して、蚊に刺されたのか腕を軽くかいて、様子を見るためにその場で一度回りかけて、止めて、私に微笑んで、一旦動きが止まった。

 すげぇや、この人。常に次の事を考えているのだ。

 私は岩盤浴よりも、様々な場所で発生するお客様対応を体全身で行うこの男性の方が気になってしまった。おそらく聖徳太子の血が彼に含まれているのだろう、十人の話を同時に聞けそうな勢いだ。

 今、私が頓珍漢なことを言っても対応できるのだろうか、「岩盤浴と日本の夏の気温はどちらが暑いですか」など真面目な顔でいったらどうなるのだろう。

 客を案内していた右手が拳となり、私の顔面めがけてストレートが炸裂、そのまま「じゃあ、外で岩盤浴していろ!」と身ぐるみはがされ、岩盤浴用の服と素っ裸の私が、夏のコンクリートの上に投げ出されるかもしれない。

 やられかねん。この方なら次の客を案内しながら、そのぐらいの制裁はできそうだ。もちろん、初めからそんなこと言うつもりはなかったが、すぐに失礼な妄想は飲み込んだ。

 男性の動きに見入ってしまい受付前で固まってしまっていると、偶然に眼が合ってしまった。

 コンマ数秒合っただけだが、マルチタスク中の邪魔をしてしまった。まるで有名人から目配せをもらったファンのように、慌てて顔を伏せ「ありがとうございぃ」と言って受付を離れた。Y氏は私を置いてエレベーター前にいる。

 受付を離れる間も、後ろから男性の声が聞こえる。

 入り口で迷っている客あれば、「奥へお進みください」と案内し……
 背後のセルフ精算機でエラー音を鳴らす客あれば、振り向いて「こちらにICチップをかざしてください」と言い……
 若干不機嫌になりかける客あれば、頭下げ「順番にご案内いたします」と叫び…… 

(そういうものに、私はなりたい……)
 つい、『雨ニモマケズ』(ワンオペ聖徳太子系男子に捧ぐver.)を妄想してしまう。

 素晴らしい受付術でした。と心の中で拍手を送りながら、受付から距離を確保してからY氏に聞いた。

「それで……何階が、なんだって?」


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