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妊娠初期の幸せと不安と(妊娠2か月~4か月)

妊娠2か月

祖父のお葬式が終わり、日常が戻ってきた。
いや、これまでの日常とは全然違う。妊娠生活の始まりである。

まず、体が重い。眠い。高温期が続いているので、体温は常に36.9~37.3ぐらいを行き来していた。微熱状態なのでそりゃ体はだるい。
そして、6週ごろから早々につわりらしきものが始まった。お腹がすいてくるお昼前、なんか気持ち悪いかも…?
検索すると、つわりは空腹を避けるべきと書かれている。気持ち悪くて食欲はないが、お弁当作りも休止していたためコンビニに向かう。
麺類なら食べられるかな…とパスタコーナーで目が合った”豚バラとおろし梅の和風パスタ”なるものを手に取る。梅干しは好きだし食欲増進してくれそうかな…と。
そして温まったパスタの蓋をあける。う…豚肉のにおい…気持ち悪い…。
こうしてわたしの"肉類が食べられない"という食べづわりがスタートした。

お腹がすいてくるお昼前や夕方に二日酔いのような車酔いのような気持ち悪さにえずくのだが、結局一度も吐きはしなかった。空腹を乗り越え、気持ち悪いながらご飯を食べ終えて少し経つと落ち着く。
振り返ってみると期間としては3週間程度だったし、世の中には水分を取るだけでも吐いてしまうような妊婦さんもいるので、だいぶ軽いほうだったなと今では思う。
それでも、18時まで仕事をして駅まで歩き、満員電車に揺られて家に帰る時間は本当に気持ち悪くて、顔色が真っ青のまま家につくなりソファに倒れこむこともあった。大好きな料理もほとんどできず、冷凍ご飯をチンしている間に気持ち悪すぎて泣き出し(突然「気持ち悪いよぉ~」といいながらキッチンで泣き出すわたしを見て夫はびっくりしていた笑)、夫が作ってくれた豚肉炒めは食べられなかった。あの日は今思い出しても悲しくなる。笑

ちなみに、わたしは前述の通り肉類が1番無理で、その次に魚、卵などの動物性たんぱく質の匂い?や調理につかう加熱した油の匂いを想像するだけで気持ち悪くなるタイプだった。
よく言われる白米は全然平気で、ふりかけごはんが一番安心して食べられた。

妊娠3か月

妊娠6週から始まったつわりは9週ごろにはおさまり、気持ち悪いと思う頻度がどんどん減っていった。母子手帳をもらい、出産予定日が確定し、自分が妊婦なんだという自覚が増していく。ただ、12週までは安心できない。
12週までの流産は早期流産と言われ、主な原因は赤ちゃんの染色体の異常だという。正直、母体がどう過ごそうがあまり関係ないらしい(もちろんアルコール・たばこ・薬などには注意が必要だが)。欧米では、12週まではアスリートもいままでと変わらずに試合に参加してよいことになっている。
ただ、ネットで検索すると「とにかく安静に」「旅行は安定期に入ってから」などと書かれている記事が多い。
万が一、何かあったときに妊婦が自分自身を責めないように書かれているのだろうなと思ったが、アスリートが試合していいなら、無理しない範囲の旅行はできるだろうと自分で結論付けて、妊娠前から計画していた沖縄旅行を決行した。

結果、行ってよかった。めちゃくちゃ楽しかった。
体調が悪くなることもなく、大好きな海にも入り、十分に休憩もはさみながら沖縄観光を満喫した。オリオンビールが飲めなかったことだけが悔やまれるが、これはいつかまた行くであろう産後の沖縄旅行の楽しみにとっておこう。

そして妊娠3か月ごろにはまだ2週間に1回は妊婦検診があり、頻繁に赤ちゃんの様子を確認できることも精神的安定につながった。義家族や仲の良い友達にも報告し、穏やかな日々だった。

妊娠4か月

12週の壁を越え、流産の可能性がグンと下がるのがこの時期。胎盤も完成に近づき、母体がとった栄養が赤ちゃんへと運ばれるようになる。そして2週間に1回あった妊婦検診が4週間に1回になる。

この4週間がとてつもなく長かった。。。
このころは胎動はまだまだ感じられず、検診の時にエコーを見るのが唯一の赤ちゃんの生存確認方法だった。
つわりもなく、検診もないと「赤ちゃんは本当に生きているのか?」と不安になってしまうのである。わたしの情緒不安定が加速した。
急激なお腹の痛みや、出血がない限りは大丈夫なはずなのだが、こういった兆候もなくお腹の中で赤ちゃんの心拍が止まってしまう「稽留流産」の可能性もゼロではない。
このころ仕事が少し暇だったこともあって、思いついた不安要素をすぐに検索してしまっていた。また、関連リンクから流産を経験した方のブログなども読んでしまう。そして不安になりすぎると「母体の不安は赤ちゃんにも伝わるんだった!やめよう!大丈夫、生きてる!」と無理やりページを閉じる。
また、妊娠中は初期からずっと「なんかちょっとお腹痛いかも?」ぐらいの鈍痛があったりする。これは問題ない腹痛なのか?お腹が張ってる気がするけど大丈夫か?血は出てないか?…出てない、よかった。。。
これの繰り返しである。

わたし:「赤ちゃん生きてるよな?元気よな!?」
夫:「大丈夫!元気やで!!!」

という会話も毎晩のルーティンのようになってくる。人から大丈夫だと言われると少し安心できるのだ。自分のお腹の中にいるのに、不安になってしまう自分が情けない。母として弱すぎるのでは、、、とまた悲しくなる。
かと思えば、寝る前のリラックスタイムに夫にお腹をなでてもらいながら、ゆっくり過ごしていたりすると「あぁこの人との子どもがお腹に宿ったんやなあ。なんてすごいことなんだろう。ほんまに奇跡やん。幸せやなあ」と今度は嬉しくて泣きそうになる。文字通り情緒不安定だった

そもそも母体が赤ちゃんの存在を感じられないのに、12週以降は流産が赤ちゃん側の原因ではなくなるというのは、どう捉えたらいいんだろう?母体のせいってこと?と思い検索していると、このページにたどり着いた。

「そういうふうに悲観的に考えないで欲しいのです。12週までは、お母さんや医者の力が及びませんが、それを過ぎて母体に原因があるということは、流産、早産を防ぐために、お母さん自身にできることがある!医療技術を使って防げる可能性がある!救えるチャンスがある!ということなんです」と産婦人科医、中井章人先生。

https://jp.moony.com/ja/tips/pregnancy/pregnancy/trouble/pt0253.html?

この記事を読んで、すごく納得して安心することができた。そうか、母体や医療の力が及ばなかった時期はもう超えたんだ!じゃあもう、母体は元気に過ごしたほうがいいに決まってる!!!
こうして、情緒不安定も落ち着き、赤ちゃんを信じて比較的穏やかに過ごせるようになった妊娠4ヶ月の最終週(15週)、ついに胎動を感じることができたのだった


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