ビジネスタイムの存在意義はなにか?「コミュニケーションタイム」と「クリエイティブタイム」に分けて、「コミュニケーションタイム」だけをビジネスタイムにするのはどうか?
昨日書いたの note を書いている途中で浮かんだ「ビジネスタイムってなんでいるんだっけ」という疑問について、今日は書いてみる。労働時間を2つに分類することで、チームや社会としての集団の時間価値と個人の時間価値の最大化をすることができるのではという内容。
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ビジネスタイムが存在しないと、どうなるだろうか?
ビジネスタイムは、日本語で営業時間とも言えるし就労時間とも言える。
このビジネスタイムがない場合、仮に各個人が好き勝手な場所と時間で生きたとしてらどうなるだろうか?
営業時間がないとすると、スーパーやガソリンスタンドなど日常生活で必要なことは安定して供給されなくなり、これは夜ご飯を食べに外食に出かけても、お店が今日やっているのか?何時までやっているのかがわからない。そんな状況はかなり不便だ。就労時間がない場合もどうか。一緒に働いている仲間がいつくるかわからない。次にいつ相談できるかわからない。そんな状況はコミュニケーションロスを生むし、色々なことが定まらない。
ある程度、人間の活動時間として同じ時間に動いていなければ、社会全体として、最適とは言えないストレスフルな社会だ。
平日の日中は働いているという社会全体としての当たり前よって、仕事が最適化されてきたのではないか。
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そう考えると、スムーズに動く社会につくるのに落ち着いた結果が、決められた時間に働くということだ。
日本で、一番多いはビジネスタイムは、9時ー5時だろうか。その時間であれば、仕事の相談をしても大丈夫。そんな当たり前は、一定のスムーズさを生む。
ビジネスタイムで語られる部分は、労働基準法などの法律も登場する。定められた時間が以外で働くと残業となるからだ。
スムーズに動く社会の最大値として、24時間営業コンビニの存在が象徴しているのではないだろうか。だから、その働かせすぎを抑制するために法律が必要で、逆の意味でもビジネスタイムが存在しているとも言える。
ここまでを整理すると、ビジネスタイムの必要性は、
[1] 同じ時間に活動する
[2] 働かせすぎを抑制する
の大きく2つの効果を持っていると考えることができる。
つまり、
① はスムーズな社会をつくるため
② は人間の権利を守るため
に、ビジネスタイムは本質的には存在しているのではないか。
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ここまでは一見して、時間を定めて同時に活動するということは、効率的であるようにみえるが、一概にすべてが効率的であるとはいえない。
なぜならば、コミュニケーションを必要としないクリエイティブな労働時間が存在するからだ。
例えば、ものづくり、研究など、時間で測れない仕事もたくさんある。全員がクリエーターになれる時代に時間で仕事を区切るのは、全く本質ではない。
時間をかけてかけて、ようやくできた価値が高いものもあるだろうし、1秒で作られた価値が高いものある。その成果物は、その成果物に対する時間だけでなく、その人のそれまで人生そのものに価値がついているとも言える。
こうなってくると、これらを作り出す人に対しては、時間に対して報酬が発生するという概念は成り立たない。
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もしかすると、ここまで読んでクリエーターの人たちだけに、クリエイティブな労働時間が存在すると思われるかもしれない。
だが、どの仕事をしていても多かれ少なかれこの時間は存在する。例えば、経費をまとめる事務作業だったとしても1時間で集中してやったのと、ダラダラ1日かけてやったのを時間単位で評価してもよいだろうか。そういう意味では、事務作業もクリエイティブな労働時間とも言えるのかもしれない。
もちろん成果のみを求めると、仕事によって成果が出せる期間も違うし、出ない間はずっと死ぬほど働く必要があるのかと考えると、ビジネスタイムが働きすぎを抑制する価値はある。
だが、[2] の働きすぎを抑制効果は、働なくてよい時間をつくったと共に、働く必要がある時間をつくった。と考えている。
ビジネスタイムがあるがゆえに、その時間は働いている必要があると多くの人が考えてしまっているのだ。事務作業は、終わればその分の報酬をもらって帰えればいいはずだ。
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僕が言いたいことは、ビジネスタイムが必要ないということではない。
ビジネスタイムを、ココミュニケーションタイムと、クリエイティブタイムに時間をわけずに、社会全体で単一のビジネスタイムを使っていることに問題があると考えている。
コミュニケーションから生まれるクリエイティブもあるだろうし、コミュニケーションが必要な時間が必要がない職業なんてほとんどないだろう。
だが、クリエイティブな労働は集中した邪魔が入らない環境で時間を過ごしたほうが、圧倒的に効率的な場合が多いのだ。
振り返って、「① はスムーズな社会をつくるため」にビジネスタイムが必要なのだとすると、コミュニケーションタイムさえあればこれは実現できるのではないだろうか。
だから、コミュニケーションタイムだけを、ビジネスタイムとして定めるはどうだろうかという提案だ。
長くなってしまったが、ようやく記事タイトルにつながった。
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一つすぐ浮かぶ懸念があるとすれば、クリエイティブな労働に対して、「② は人間の権利を守るため」にが守られないのではないかということ。
僕は、クリエイティブな労働こそ、自分が楽しくてしょうがないことをするべきだと考えている。僕はこれから1億総クリエイター時代でもおかしくないと考えている。だから、
「楽しいクリエイティブな仕事」>「楽しいコミュニケーションの仕事」>「嫌々やるコミュニケーションの仕事」> 「嫌々やるクリエイティブな仕事」
の順で、仕事の比重を置くことのよいだろう。
「嫌々やるクリエイティブな仕事」で搾取されず、「嫌々やるコミュニケーションの仕事」は法律で守ってもらいながら、「楽しいクリエイティブな仕事」で成長していくのが、良いのではないだろうか。
ここまで現時点での結論だ。
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