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「手を繋ぐ」ってステキを思い出しながら♥祝💖結婚記念日 to ME♥

今日は結婚38周年記念日。
夫が生きていてくれたらの話だけど。

まさかまさか😅、37年半で終わってしまうとは昨年の今日には夢にも思わず。人生は「儚ない」というけれど心の底から実感中。

せっかくの記念日なので38年前をちょっぴり振り返ってみる。

あまりに昔のことで、うろおぼえながらも、結婚式でどこかのオヤジ(たぶん父の知り合い)が、人生を航海にたとえての、アルアルなスピーチをしたことは覚えている。

夫に黙って従え、うしろから静々と、多少の浮気は多めに、良妻賢母を念頭に……と、現代なら「ざけんなよ!」なスピーチだ。「昭和だったなー」といってしまえばそれまでだけど、昭和な親に育てられた昔のわたしは、素直に頷いたものだ。

実際、育った家は「良妻賢母」を地でいく家庭だった。会社役員の父と専業主婦の母。父は「頭のいい女は鼻持ちならない」「女の成績は普通でちょうどいい」といい放ち、母が父に意見するとか、ましてや逆らうなんてことはまずなかった。何があろうと献身的に尽くすことが、妻のあるべき姿といわんばかりの家庭だった。

母は「女は男に食べさせてもらうのだから主をたてなきゃね」なんてことを娘に真顔で説いたものだ。結果「普通で、目立たず、素直でやさしい女の子」として親が望んだ娘に育ったのがこのわたしだ。“内助の功”という言葉が好きだった夫に惚れられてしまったのも腑に落ちる。

22歳で結婚し、23歳で娘を生み、その後3人の息子たちがぽんぽんぽんで、4人の子を持つ母となり、その後の人生を爆走してきた。

結婚してすぐ、田舎に家建てて引っ越そう、南の島に移住しよう、次はアメリカだ!という人生をいっしょに歩いてこられたのも、深く考えることなく破天荒でも夫と伴走することが正しいと信じて疑わなかったからこそ、成し得たことなのかもしれない。(……今となればそう思う)

もし、キャリアばりばりのできる女性だったなら、そのキャリアを放り出して、できようはずもなかったのだから。

悪い妻より良い妻がいいし、バカな母より賢い母がいいに決まっているのだから、「良妻賢母」自体を否定するつもりはないが、それを女性だけに求めることは問題だし、この言葉の中には、かつての父の発言からもわかるように、男尊女卑的な発想も込められているように思う。

何があろうと夫には献身的に尽くすことを良しとし、老いては子に従うことまでを賢い母とでもいわんばかりのニュアンスが「良妻賢母」には内包されている。同じニュアンスを込めての、「良夫賢父」なんて言葉は聞いたことがないのだから……。(ジェンダーギャップ指数の低い日本よ、がんばれ〜)

そんな背景をふり返ってみると、昭和気質な夫と37年半の結婚生活を送ることができたのも、わたし自身が、自分より夫、自分より家族と、いつも自分を後にすることに疑問を持たず、それこそがシアワセなことだと信じてこられたからこそだったような気がする。

そうはいうものの、時代の流れと米国暮らし、そして世界各地を夫婦で旅したことから、新たな学びを得て、ここ10年ぐらい前からは激的に夫婦関係は進化していた気がしている。

カップルのちがった形を見ることはとっても刺激的だった。

2015年の秋、夫婦でスペイン、マドリード近くのアルカラ・デ・エナーレスという町を訪ねたことがあった。町並みが世界遺産に登録されているステキな学園都市だ。街中を散策したあと、バーの舗道のテラスでスペイン産ビールを片手に町を歩くカップルウォッチングを飽きずに楽しんだ。若者はもちろん、老カップルも肩を組み、手を繋ぎ、仲睦まじくデートしている光景を見ていた。

若者ならともかく、日本では高齢カップルが人前でベタベタする様子はなかなか見られない。

「ほんとうはこうじゃないとだめだよね。年齢なんて関係ないんだもの。愛し合っていることを素直に表現できるっていいことだよね。これができる社会なら仮面夫婦も少しは減るかもね」なんて会話をしながら、ひたすら手を繋いで歩く人々をジョッキ片手に長いこと眺めていた。

そんな経験を重ねて、世界を舞台に人間ウォッチングしていくうちに、ステキだと思うことは取り入れて行こうという話もするようになった。

そのうちに、“昭和な良妻”も言うべきことはちゃんと言い、イエス、ノーもはっきり言うようになった。納得いかないことは議論するようになり、お互いの妥協点をみつけようと努力した。

それでも、別人格ゆえわかりあえないこともあったけれど、「いったん出来上がってしまった人となりは、簡単には変われないなぁ」と思ってみたり、そんなことは「ちがい」と受け止めればいいやと、やり過ごす術を身に着けられたように思う。

とにかく、悪い意味での“昭和夫婦”もここ何年かは、より好い夫婦関係を目指して、お互いに気持ちよく努力をはじめた矢先に逝ってしまったのでとことん悔しいことだった。

いくら悔しがっても37年半の終止符は変えられない。それなら、最後まで添い遂げた事実が不変となったと理解して良しとしよう。

わたしにとっては、夫も家族もかけがえのないものだ。自分が生きた時間の中で夫と出合い、家族を作ることができたことは何よりシアワセなことだったと思えるのだから、

今日あらためて、38年前に夫と結婚した自分に感謝♥

結婚式の日、わたしがケロッとしているというのに、金屏風の前で、男泣きにわんわんとうれし泣きしてしまったあの日の夫にもありがとう💗

もう、結婚記念日を二人で祝うことはできなくなったけど、これからは、「良妻賢母」を「良女賢母」と変えるね。

そして、娘、息子、義娘、義息子たちと「みんなが笑顔になれるHomeの主」になることをゴールに掲げて暮らしていくこととする。

感謝の心を忘れずに💖

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