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「権力」は、すでに人類の手を離れたのでは

最近、「巨悪」と呼べるような存在が減ったよな、と思う。

「すべてこいつが悪い」と言って責任のすべてをなすりつけられるような巨悪。ちょっと前に、GAFAがあまりにも力をもっているということで、GAFAのCEOが米国下院議員に公聴会で尋問されるようなこともしていたけれど、どちらかといえばGAFA側も押され気味だったみたいだし。

日本で言えば、いまの菅総理も、叩けば埃が出てくるような巨大権力の雰囲気はなく、見た目から正直に言うなら、地元の商店街の会長みたいな感じ。

僕の目から見たら、安倍元首相も「権力」と呼ぶにはかなりソフトで、一生懸命、野党が叩いて埃を出そうとしている光景はちょっとな、と思うところもあった(もちろん、おぼっちゃんだから庶民と金銭感覚が離れているところはあるだろうけれど、「悪」というには可愛いもんだよな、と思う)。
 
米大統領選を間近に控えていて、トランプとバイデン氏が選挙活動を展開している。トランプは新型コロナに感染したとか言って、一時期公務から外れていたみたいだけれど、すぐに戻ってきた。

たぶん感染したのを隠し通していたらのちのち大きな問題になると判断して、公開することに踏み切ったのだと思うのだけれど、それにしても戻ってくるのが早い。本当に完治したのか怪しいもんだと思う。

こういう光景を見ても、「支配者」と言うには、あまりにも人の目を気にしすぎているような。米国大統領ともあろうものなら、世界権力の中枢にいるわけだから、もっとどっしり構えていて欲しいものですが。

もちろん民主主義の枠組みの中で選ばれた大統領ではあるわけだから、民衆の支持を得られないと失脚してしまう仕組みであることに変わりはないわけだけれど、「悪」の匂いが非常に薄いように感じるのは僕の気のせいだろうか。

以前、田原総一郎が、「何人もの首相のスキャンダルをすっぱ抜いて失脚させてきたが、叩けば埃が出てくる『権力』を持っていたのは中曽根首相ぐらいまでで、それ以降は叩いても埃が出てこなくなった」というようなことを言っていた。

むしろ、総理大臣ぐらいになると、一挙手一投足を監視されているようなものだし、怪しい動きをしようものなら、それを糾弾するのが生きがいみたいになっている人たちが大勢いるから、たしかに滅多なことはできないだろう。

いまの世界は、むしろどこに「悪」がいるのかがよくわからない、複雑な構造になったともいえる。

人類の支配者は誰か、というと、人類が作り上げたシステムに他ならず、特定の人間がそれを掌握しているわけではない。すでに、「権力」は、人類の手を離れてしまったのでは、と思う。

また、「悪」を定義するということは、つまり「自分は悪に含まれていない」とどこか他人事に世界を見ることになるような感じがするが、実際のところ、この社会で生きるということは、この世界で起きている問題の当事者でもあるわけで、「あいつが悪いから、あいつを倒すんだ」という方向性は、やっぱりお門違いのような気もする。

「自分でなんとかするぞ」という姿勢が求められるというか。

それでもなお、少数派ではあるけれど、世の中で起きている不都合を「誰かの陰謀だ」とする人たちもいる。そういう人たちは、どちらかというと、「誰かのせいにしたくてたまらない人たち」なのだろう。

構造としては、自然現象などを「神」に喩えた、昔の人たちと同じようなものだと思う。
 
僕たちはみんな、被害者でもあり、加害者でもある。それが「世界に所属している」ということだと思うので。

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