自分の仕事を「直される」ことに耐えられますか?
歩いているときに、ふっと思ったことがあった。
日本ではこれだけアニメが発達していて、アニメーターという職業の人たちも世界的に見ても多く存在し、アニメ産業が成り立っているが、アニメーターの「絵の技術」だけでなく、その「メンタリティーの」部分でも、日本人の気質に合ったところがあるのではないか、と。
アニメーターというのは、多くの人がアニメの絵を描くため、当然絵柄を統一する必要があるし、動きのクオリティーも統一しなければならない。そのため、作画監督という立場の人がすべての作画に目を通してチェックし、場合によっては修正を指示する。
宮崎駿のドキュメンタリーを見ていると、宮崎駿は著名な監督であると同時に超一流のアニメーターでもあるので、原画が上がってくるとそれを結構ゴシゴシと直してしまう。そうした技術があるからこそ、宮崎駿のアニメは世界的にも高く評価されるクオリティのものになっているのだろう。
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しかし、よく考えると、自分が描いた絵を直されるアニメーターにとっては、なかなかたまったものじゃないのではないのかな、と。もちろん、宮崎駿の技術が非常に高く、直された後の絵に対して文句を言えないという部分があるからこそ成り立っているのだろうが、全てのアニメ監督が超一流ではないわけで。
自分の意図に沿わない修正が加えられることもあるだろうし、自分がベストだと思って描いた絵に対して指摘されたり直されたりすることは、職人気質の中でも、気になる人がいるのではないかと思う。
もし僕がアニメーターだったら、頻繁に修正を食らうような状況であれば、かなり早い段階で嫌気が差してしまうような気がする。長い拘束時間で、しかも低賃金の中、自分の表現したいことさえも取り入れられないという理不尽さの中で働くというのは、相当な忍耐が必要だと思う。そして、そういったことに耐えられない新人アニメーターもいるのではないかな、と。
まあ、そういうことに耐えられる人を含めて適性ということなのだろうけれど。
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中国や韓国に作画を外注して、そのクオリティの低さに驚いたという話もよく聞く。それは単に腕の悪いアニメーターが多いということだけでなく、そもそも国民性として自分の仕事を指摘されたり修正されたりするのを嫌がる人が多いからではないか、とも考えられるな、と。
以前もこのnoteで書いたことがある気がするが、60歳くらいのベテランアニメーターが「なぜこの業界で今でも生き残っていられるのか」と話していた。それは、良い意味でも悪い意味でもあまりプライドがないからだとその人は言っていた。
もちろん技術力は高いのだが、自分より若い人がうまい作画を描くと、普通に感心してその技術を取り入れてしまうのだという。それくらいの柔軟さと努力がないと、アニメーターの仕事は続けていけないのだろうと思う。
あなたはどう思いますか?