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「きみはオフィーリアになれない」 安達凛子 前編 #005
しかし、ちょっと噛まれたぐらいで、こんなに効くなんて。これは猛毒ではないのか。
そう思うと、呼吸が苦しくなってきた。
どんな種類の毒なのかはわからないが、熱帯のクモやカエルなどは、強い神経毒をもつと聞いたことがある。
徐々に呼吸が困難になる。腕は固められたように動かない。
左手を水槽に突っ込み、魚を振り払おうと思ったが、すぐに全身が動かなくなった。魚の牙はまだ、手首に食い込んでいる。凛子は、ふと、身体から力が抜けていくのを感じた。
水の中にいるような、不思議な気分だった。準備運動なしでプールに飛び込んだときのような、冷たい感触を全身に感じた。
呼吸ができなくなる。もちろん、声もでない。凛子は視界が暗くなっていくのを感じた。
* - * - *
不意に睡眠のスイッチを切られたように、突然凛子は目を覚ました。
すぐに耳に例のコポコポという水槽の音が聞こえてきて、そうか、ここは自分の部屋か、と思った。自分の部屋の床にうつぶせになって倒れているのだ。エアコンの冷気が直接当たる場所で寝ていたようだ。
どのぐらいのあいだ、意識を失っていたのかわからない。
意識が正常に戻ると、信じられないものをみて、目を見開いた。
自分の倒れている場所のすぐ隣に、自分と同じぐらいの背格好の女性がいた。
あまりにも驚いて、声も出なかった。恐ろしい体験をしたときに、間髪入れずに大声を出す人がいるが、あれは嘘だ、そんなに唐突に声が出せるほど息が急に吸えるわけがない、と頭のどこかで、そんな少し場違いなことを考えた。そうやって冷静さを保とうとしているのかもしれなかった。凛子はのけぞるだけでなく、立ち上がってその場を離れようとしたが、腰が抜けてうまく立つ事ができず、中途半端に足に力が入り、そのまま背後にあった棚に激突した。そこで、まじまじとその女性を見つめて、さらに驚いた。
この人は……。
『私』だ。
紛れもなく自分自身が、そこにいた。さっきまでの自分と同じく、うつぶせになって倒れていたが、顔を見れば、自分自身だということがわかる。何より、自分とまったく同じ服を着ているのだ。
これは……。この状況は、いったいなんだろう?
凛子は立ち上がった。これが自分自身だとすれば、いまここに立っている自分はいったい『誰』何なのか? それとも、この女性が『偽物』なのだろうか?
自分自身と見られる女にそっと近づいた。驚いたことに、呼吸をしていて、顔色も悪くない。ただ寝ているだけのように見える。
ふと思い立って、凛子はダイニングの上にあるリモコンを手に取り、テレビをつけた。一瞬、信号を受信するための間があり、遅れて、砂嵐が流れた。これは夢だ、と凛子は思った。あまりにも鮮明すぎるし、あまりにも生々しすぎるけれど、これは、夢だ。
夢だと言われなければ、そうであることを実感できないぐらい、そこは、自分の部屋そのものだった。
しばらく部屋を歩き回った。 部屋の中にある家具、小物、細部に至るまで、自分の把握している部屋そのものだったが、水槽には魚がいなかった。魚がいないこと、そして、自分が二人いること、確認できる限り、違いはそれだけしかない。
(つづく)
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