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コンビニの「面白さ」について

なんだかんだでそれなりに盛り上がっているように見えたオリンピックが一旦閉幕した。

日本選手が活躍したり、明るい話題も多かったけれど、もちろん暗い話題も多かった。新型コロナが流行る前に、オリンピック関連で一番とにかく騒いでいたのは、なんといっても「インバウンド需要」であり、外国人がどっと日本に押し寄せてくるわけだからこのビジネスチャンスを逃すな、とばかりにいろんな人がいろんな策を練って実行していたと思う。
 
本来であれば東京は外国人であふれ、あらゆる場所が押すな押すなの大騒ぎになる予定だったのが、外国人が来ないどころか日本人すらさほど出歩いていないという結果になり(それでもパンデミックのさなかなので、出歩いている人々のあいだで感染が拡大してえらいことになっている)、インバウンドを期待していた業界の肩透かし感がすごいことだろう。

肩透かしで済めばいいが、多くは存亡に関わるレベルの大打撃だったはずだ。
 
そんな中でも、唯一といっていいほど明るい話題は、普段日本に関心をもっていない外国の記者が日本にやってきて、日本のトイレやコンビニのサービスに驚く、というものだったと思う(もはや恒例になりつつあるが)。

日本好きで何度も日本に来ている人ならまだしも、スポーツ関係の記者で日本に対してあまり予備知識がなかった記者にとってそれは結構な衝撃だったらしく、コンビニの食べ物があまりにもおいしい、とTwitterで呟いているのが話題になった。

まあ、確かに外国のコンビニと比較すると品揃えはもちろん、一日に何度も入荷されるという物流品質が狂ってるので、高い品質が担保されている、というのも美味しさの秘訣だろう。特に記者は深夜まで取材をすることが多く、疲れて帰ってきてホテルに併設されているコンビニに行くのが唯一の癒しだった、と言っている人も少なくなかったようだ。


 
そこで僕が感じたのは、人間のもつ「面白さ」という感情の特性についてだ。外国人の記者は、日本に来てスポーツの取材をしに来たのだけれど、そこでまったく期待していなかった日本のコンビニのレベルの高さに驚き、面白がってSNSに大量に書き込んだ。

しかし、日本人にとってはコンビニは日常的に通っているものなので、コンビニに行ったところでさほどの驚きがあるわけでもない。しかし、外国から来た人は、自分の国のコンビニという比較対象があり、そこと比較すると全然別物だ、というところに驚嘆して、面白がっている。

逆に、日本人である僕らは、いろいろと準備をして外国人をもてなそうとしているのに、そんなところが評価されるのか、と逆に驚き、面白がっている。この「面白がるの連鎖」が興味深いな、と思ったのである。

いまの時代は、NetflixでもNINTENDO Switchでも、いろんな娯楽が溢れていて、「面白さ」を「押し売り」しているような状態だと思う。もちろん、クリエイターたちが職人技的に粋を凝らして「面白さ」を追求して完成したプロダクトなわけだが、現実には、なんでもない日常的に僕らが通っているコンビニすら「コンテンツ」になる。

このコンテンツは、意図して面白くしているわけではなくて、「見出した面白さ」だろう。押し売りじゃない面白さがここに潜んでいるような気がする。


 
誰かが自分のために作ってくれた面白さを享受するのもいいけれど、現象をみて、そこに面白さを感じる、というのは重要であるように思う。

他人から面白さを押し売りされていると、ジャンクフードを食べ続けるようなもので、感性がどんどん鈍っていってしまうことだろう。

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やひろ
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